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◆感想.《国枝史郎『神州纐纈城』》

※本稿は某SNSに2020年5月6日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。


 国枝史郎『神州纐纈城』読了。

国枝史郎『神州纐纈城』

 大正14年に雑誌『苦楽』に連載され未完となったものの、戦後復刊されてから再評価され、現代では耽美的・猟奇的・幻想的な戦前伝奇小説の傑作として名高い国枝史郎の代表作!
 以前から読みたかったんですが、今回は割合入手が容易な河出文庫版で読みましたよ♪

<あらすじ>

 時は戦国時代の甲斐の国。

 武田信玄の家臣であった土屋庄三郎はある夜、妙な老人から燃え上がるような見事な紅に染まった布を買う。

 その布には、庄三郎が幼少時代に行方をくらました父の名が縫われていたので興味を持ったのであった。

 だが、不思議な事にその名は翌日にはすっかりと消えてしまっていた。

 ある時、その布は風に吹かれたようにふわふわと庄三郎の手を離れて逃げていく。

 それを追って行った庄三郎はいつの間にか、遠く離れた富士山麓にいる自分に気が付く。

 そこで庄三郎は、この布と同じく燃えるような紅に染められた経帷子を来た騎馬武者の一群を見かける。あの者たちはいったい何者なのか!?

 この布の正体を追っていくうち、庄三郎はこの布が『宇治拾遺物語』巻第十三「慈覚大師 纐纈城ニ入ル事」に出てきた布――人々を吊るして切り、その血を絞って真っ赤に染められた布――と同じ工程で作られた「纐纈布」だということを突き止める。

 そして彼はその布が「纐纈城」という水城で作られている事を知る!

 纐纈城――富士山麓にある本栖湖の濛々と水煙の立ち上がる、その靄の向うの何処かに、水面から聳え立っていると言われている水城!そこに入った者は二度と戻れないと言う!

 城主は鉛色をした「少将」の能面を被り、全身を隙なく白布で覆った謎の人物だった!

 どうもその城に、庄三郎の父がいるようなのだ。

 庄三郎は父の行方を求め、この世の魔界「纐纈城」へ赴く!……というお話。


<感想>

 国枝史郎の『神州纐纈城』と言えば、昔は良く古本屋に箱入りハードカバー版がうやうやしくパラフィン紙に包まれて、海野十三やら夢野久作やらの戦前大衆文学の大家と一緒の"高値"コーナーに置かれていたのを覚えている。

 学生時代は山田風太郎以外はあまり時代小説を読まなかったので手には取らなかったのだが、他のいわゆる「異端作家系」の書籍と並んで一種異様な雰囲気を放っていたものである。

『神州纐纈城』という文字面だけでもう迫力十分。大衆文学のしかも伝奇浪漫とはいえ、三島由紀夫が絶賛しているだけの風格がある。

 この河出文庫版では解説代わりに三島由紀夫の「小説とは何か」という一文から国枝史郎について書かれた箇所を抜き出して掲載している。

「一読して私は、当時大衆文学の一変種と見做されてまともな批評の対象にもならなかったこの作品の、文藻のゆたかさと、部分的ながら幻想美の高さと、その文章のみごとさと、今読んでも少しも古くならぬ現代性におどろいた。これは芸術的にも、谷崎潤一郎氏の中期の伝奇小説や怪奇小説を凌駕するものであり、現在書かれている小説類と比べてみれば、その気品の高さは比較を絶している」

 と、三島も手放しの褒めようだ。確かに、本書は三島の美学にも共感するものがあろう。

 三島でも他の文学者でもそうだが、ちゃんとした見識のある者であれば例えそれが「大衆文学」とのレッテルが張られていようが「芸術」とのレッテルが張られていようが、そんなジャンル論にとらわれることなく評価ができるものだろう。国枝史郎の再評価も当然の事だったと思う。

 70年代の国枝史郎のこの再評価がきっかけとなり、後の「異端文学者」――ぼくも敬愛する小栗虫太郎、夢野久作、久生十蘭、海野十三等々の再評価がやって来る事となる。

 国枝史郎と言えば、時代小説の白井喬二や探偵小説の江戸川乱歩等と同人を組織したり、乱歩や小酒井不木などと大衆文芸の合作組合「耽奇社」を結成したりと、乱歩らなどと共に戦前の大衆文学を引っ張って行った立役者の一人でもあったという事も考えれば、この「異端文学」の系譜に連なるだけの存在感は十分あったのだ。
 しかも、国枝の怪奇幻想趣味はその他の時代小説家の作品よりかは、どちらかと言えば小栗虫太郎や夢野久作の作風に近いと言っても良いのではなかろうか。

 そういう意味で残酷な幻想美というのも考えると三島由紀夫好みの作風だとも言えるだろう。

 その三島も指摘している通り『神州纐纈城』は「今読んでも少しも古くならぬ現代性」があって、この荒唐無稽とも言えそうなプロットの広がりようは実にイマジネーションも発想も豊かだ。

 『デビルマン』『マジンガーZ』で有名な永井豪は『神州纐纈城』に影響を受けて『凄ノ王』を描いたし、元・永井豪のアシスタントで『ゲッターロボ』の作者としても名高い漫画家の石川賢も『纐纈城綺譚』を原作としたマンガを描いている。
 そう考えても『神州纐纈城』は現代の漫画にもそのまま応用できそうな荒唐無稽の自由なアイデアに溢れている。

 しかし、確かに『神州纐纈城』は石川賢の作風によく似ている。
 パワフルで魁偉な登場人物たちが次から次に登場して話が果てしなく展開していく。殺伐として猟奇的だが、圧倒的な描写力がそれを幻想美にまで高めている。そして、あまりに構想が広がり過ぎたために未完に終わり「閉じる」事を嫌がるテクスト。

 本作はこのように、未完で終わっていながらも作者のイマジネーションの欲動で溢れ返って、単なる「打ち切り」感以上の何かを感じさせる作品となっている。
 未完で終わってはいても不思議とそこで終わらず、この後の物語を想像させずにはいられない力に満ちたパワフルな怪作と呼べるだろう。


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