◆読書日記.《長尾剛『日本がわかる思想入門』》
※本稿は某SNSに2019年2月8日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
長尾剛『日本がわかる思想入門』読了。
日本独自の思想とはどのようなものか? この難しい問題に果敢に挑んでいる入門書。
古代日本の『古事記』『日本書紀』から始まって、近代日本までの日本の思想を時代順に順に説明していく。日本の思想史的アプローチの思想入門。だが、かなり散漫ではある。
本書で著者は「実際のところ、巷には『日本人には思想がない。日本人は人生の指針を持っていない』なぞと情けない自嘲の言葉を、なぜか得々と述べ立てる"文化人"も多い」と言い、こういう意見を著者は「ウソなのである」と批判する。
つまり、日本には思想が"ある"と言うのが本書における著者の主張なのだ。
著者は日本の思想に関して「ヨーロッパ哲学とは異質の、だがその価値において決して引けを取らない『日本思想という大いなるオリジナルの成果』として、実は今日にも光を失っていない」と書く。
だが、本書を読んでどうったものが「日本オリジナルの思想」と呼べるのか、理解できた読者がどれほどいるのか、ぼくには疑問だ。
というのも、著者の説明している「日本の思想」なるものは、ほとんど中国から伝来してきた仏教思想や儒教、朱子学、或いは明治以降に流入してきたヨーロッパの思想など「外来の思想に根を持った思想」でしかなく、これではどこが「日本オリジナル」という主張に繋がるのかと言う所がいまいち説得力に欠けるのである。
このような説明では、日本の思想は「オリジナル」とは程遠く、まるで「海外からの借りものの思想」でしかなないもののように思えてしまう。
そこをどうしてあえて「オリジナル」と言えるのか、何をもってして「日本オリジナルの思想」なのか、というのを説明しなければならないはずだ。
だが、そういう点に関して著者自身の「思想」が、どうもアヤフヤなのである。
本書の弱点として挙げられそうな点は、そもそもの日本の根本的な考え方に繋がるはずの「古代篇」「中世篇」の思想の説明が、情報として弱いという点だ。
著者は日本の思想を説明する上で何故かたびたび「文学」を挙げるのだが、例えば平安時代の思想を説明する上で著者が挙げている人物が清少納言や紫式部といった作家なのである。
清少納言や紫式部が「思想をしなかった」とは言わないが『源氏物語』や『枕草子』から読み取るのは、当時の作家個人の「考え方」であって「思想」ではないのではないかと思う。これを果たして「思想」と呼んで良いものなのだろうか?
こういった説明で『日本思想という大いなるオリジナルの成果』と主張されても、困惑してしまうのである。
その他にも著者は、日本の中世思想家の例として「隠者」を挙げ、隠者であった吉田兼好や鴨長明を中世の思想家としているのだが、それでは『徒然草』や『方上記』を指して「思想書」と言いたいのだろうか?
これは一体、誰が言っている説なのだろうか。一般的な学説なのか、それとも著者個人の主張に過ぎないのか。参考文献や引用論文のようなものの提示もされていない。一般的な説でないものを特別な説明なく紹介するのは入門書としては正しくないのではないか。
しかし本書はハッキリと「入門書」という体裁であり、しかも説明なしで吉田兼好や鴨長明を思想家の一人として紹介しているのである。著者の説明は本当に正しいのだろうか? このように、疑問ばかりが湧き出てしまう。
「伝統化された思想」でなく、前世代の思想を受け継いで発展していく「構築的な思想の流れ」でもなく、そういう断片的な思想が各時代で単発に出るというような形では、とても著者が主張している「ヨーロッパに引けを取らない思想」とは言えないのではなかろうか。
それは「日本の思想」ではなく、単なる「ある日本人の個人の思想」ではないかと思うのだが。
では日本は西洋の哲学のようなちゃんとした形となって独立した思想が発展したのか? 中国の諸子百家のような日本独自の思想家や思想運動が現れなかったのか?(勿論、日本でも近代以降は発生するが)それでも、何となく確かに日本独自の思想らしきものが存在するのは、一体何故なのか?その正体は何か?
そういった基本的な疑問に答えてこそ、初めて「日本に思想がない」という批判を「ウソ」だと切り捨てるだけの根拠となるのではないだろうか。
本書の内容では「思想の大きな流れ」に乏しく、各時代の「個人の考え方」が単発で説明され、前後の時代などとのつながりが弱い。
だから、本書を読んでも日本史を貫いて流れる『日本思想という大いなるオリジナルの成果』なるものが全く見えてこないのである。
全て単発で終わっているのでは、何世代にも渡って様々な学派が思想を積み重ねていった西洋思想/哲学という巨大な構築物に大して「引けをとらない思想」などとは言えないのではないだろうか。
先日『日本人は思想したか』を読んでなかったら、これらの疑問はさほど大きなものではなかっただろう。『日本人は思想したか』というのは、それほど難しいテーマだ。