◆読書日記.《矢口高雄『激濤Magnitude7.7』上下巻》
※本稿は某SNSに2019年9月1日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
ご存知『釣りキチ三平』で有名な矢口高雄先生の半フィクション/半ドキュメンタリー漫画『激濤Magnitude7.7』上下巻、読みましたよん♪
<あらすじ>
1983年5月26日の昼頃、秋田県沖でマグニチュード7.7、震度5の強い地震が発生。
地震発生のその時、主人公の杉村真はひとり、磯釣りを楽しんでいた。
彼が磯釣りをしていた岩場は岩盤が強く、彼には震度3程度にしか感じなかったがその後、周囲の水位が急激に下がりはじめ、そして、日本海の水平線に白い線が浮かび上がっていた。
巨大な波が押し寄せるまで、彼はそれが「津波」であることに気が付かなかったのだった……。
杉村真は津波に飲まれながらも、運よく牧場の柵に引っかかって難を逃れることができた。
後のニュースで見ると、彼の感じたよりも遥かに揺れは激しく震度は5、揺れによる被害は少なかったが津波による被害が甚大で、確認されただけで100人以上の命が失われたと言う。
彼と同じく磯釣りをしていた人々も十数名が命を亡くしたという。
彼は秋田県釣友会の会長を訪ね、今回の地震による被害を「釣り人」という視点で独自の調査をし、それを纏めて今後の教訓としたいと訴えた。
釣りを愛する一人として、犠牲となった釣り人達の命を無駄にしないためにも、この実態調査を以て教訓とする、と。……というお話。
<感想>
本書ではこのエピソードの後、主人公の杉村真が被害にあった釣り人の遺族や、命からがら助かった釣り人などの話を聞いて回り、津波にあった彼らの人生と、地震発生当日の様子を追っていく。
ちなみに、この地震は冒頭に挙げた日時に実際に発生していて、漫画に描かれている被害も実際にあったことだ。
だから本作は「半ドキュメンタリー」という事となる。
後書にも書かれているが、著者が本書を描くきっかけとなったのが、この地震の被害を本作の主人公と同じように纏めた『大津波に襲われた(秋田つり連合会/編)』という本を読んだ事だった。それを漫画という形式にして広めたいという動機があったという。
本書の連載は平成元年から2年にかけて。2011年の東日本大震災よりも20年以上も前の事だ。
そういう背景も踏まえて本書を読んでみると、東日本大震災の時と実に似たような景色が展開している事に驚かされる。
車は簡単に流され、津波はかなり陸地深くまで届き、その速度は人の足などより断然速く何もかも攫っていく。
東日本大震災よりも規模は小さいながらも、ほとんど東日本大震災と同じような事が、20年以上前に日本海側で起こっていたのだ。
この漫画によって描かれる教訓も、ほとんど東日本大震災と同じものでしかない。
地盤の固い柔いの違いで揺れは場所によって全く違う。揺れが小さいからと言って油断するべからず。
揺れた後はとにかく急いで海岸線から離れて高台へ一目散に逃げること。
逃げるときにもっていくものを選んでいたり、片付けをしてから……などとまごまごしている内に津波はすぐそこまでやってきている。
東日本大震災によって常識になりつつあるこれらの教訓も、もっと以前に発生したこの地震で既に出尽くしていたのだ。
何故忘れてしまっていたのか? 何故伝わっていなかったのか?
本書の登場人物も口々に「津波の事は知っているが、地震があったからと言ってすぐにそれが津波の危険性には繋がらなかった」と言っている。
東日本大震災でもこれと似たような感覚でいた人は大勢いたはずだし、現にぼくらも東日本大震災という災禍の教訓を知るまではそういった危険性の自覚はなかったのではないだろうか。
歴史はくりかえす、とは言うが、もう一つ踏み込んで言えば「歴史は忘れ去られるものだ」とも言えるのではないかと思わされる。
忘れ去られないよう努力し教訓化しなければ、歴史というものは簡単に忘れ去られてしまうものなのだ。
「歴史は簡単に忘れ去られる」……だからこそ、重要な事は本書のようにしっかりと記録しておくことが大切になる。
「記録する」という事がいかに大切なのか、本書一冊を読んでみても実によく痛感させられるというものではないだろうか。