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◆読書日記.《七尾和晃『世紀の贋作画商 「銀座の怪人」と三越事件、松本清張、そしてFBI』》

※本稿は某SNSに2021年10月15日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。


 七尾和晃『世紀の贋作画商 「銀座の怪人」と三越事件、松本清張、そしてFBI』読了。

七尾和晃『世紀の贋作画商 「銀座の怪人」と三越事件、松本清張、そしてFBI』

 本書は、恐らく被害規模数百億円にも上ると言われ「日本の美術界をしっちゃかめっちゃかにしてしまった」とまで言われるあるイラン系ユダヤ人画商の詐欺事件を扱っている。

 これは美術本とは言っても「美」とは全く関係のない「政治」や「金」に関わる話だ。だから、心底この話はウンザリさせられる。

 何より、日本の美術界にはびこる「闇」の深さにウンザリさせられた。

 政治家連中にも、企業の中にも、こういったアート業界の中にも、日本には「ムラ」と呼ばれる、仲間内で手段を問わない様々な悪辣な方法で利権を独占するネットワークが存在するようだ。

 これは、そんな美術"ムラ"のお話。――


◆◆◆

 イライ・サカイ(Ely Sakhai)を知っている人は少ないと思う。
 ご存じだろうか?

 1980年代から21世紀にかけて約20年以上も日本に大量の「贋作」を雨あられと流入させ、おそらく数百億以上の金を稼いでアメリカに豪邸を建て、いまもニューヨークにギャラリーを構える「贋作画商」である。

 彼の叩き出した日本人の被害規模は、正確な数字は出ないだろうと言われている。
 それは、日本人が「恥と外聞」を気にするために「私は彼の贋作を買って騙されてしまいました」と被害を訴え出る人がほとんどいなかったからなのだそうだ。
 イライを逮捕したFBIが最も苦労したのは、日本人のその気質によるものであった。

 イライが20年以上に渡って日本人に売った贋作の数も全く予想が付かない状態だが、FBIがイライを起訴した際に提示したイライの「贋作」はシャガールにルノアール、モロー、ゴーギャン、モネ、クレー、モジリアーニ、レンブラントと12点の錚々たる名品の「贋作」であったという。

 イライは途方もない数の贋作を日本人に売り込んでいたようで、それは画商や富裕層のみならず、大学教授や企業、美術館に至るまで様々な顧客の間を渡り歩いてきたという。

 しかも、アメリカでイライが起訴されたからといってこの問題は既に解決されたものではなく、いま現在も日本のどこかの美術館の中にはイライの作った「贋作」が掲げられている可能性があると言われるほどの影響が出ているのである。

 これは美術業界をひっくり返すような大事件なのだが、上述したように多くの被害者は外聞を気にして名乗り出なかったと言われる。
 だから、これほどの大事件であるにも関わらず、彼の名が日本では犯罪者として決して有名にはなっていないのである。

 また、彼に関わった画商なども知らぬ存ぜぬを決め込むか、逆に彼に対してごうごうたる批難を浴びせたという。

 ぼくが学生時代、ゼミの教授が「日本では美術館も企業もあまり真贋の鑑定はしたがらないんだよ」と言っていたのが思い出される。

 もし「贋作」と分かってしまったら、自分たちの鑑定眼が疑われるし、企業の中では美術品調達担当者の立場は危うくなるのであろう。

 何より、企業の資産であったり美術館の収蔵品の価値が一気にゼロになるというのは、企業としては恐怖だ。
 「節税」や「投機」目的で買った企業なども、何千万、何億とする美術資産が単なる布切れになってしまうなど考えられないだろう。だからこそ「真贋の鑑定はしたがらない」という気持ちもわからないでもない。

 だから――今も企業が持っている美術品にはいくつもの贋作が確実に紛れているだろうし、本件の黒幕たるイライ自身の話によれば、日本の美術館の中には彼の売った「贋作」が今も展示されている――という。

 日本の――特に銀座等に店を構える画商ら(いわゆる「セカンダリ・マーケット=作品の製作者が直接の出品者ではない「"中古"マーケット」の画商ら)の一部にとって「アート」とは鑑賞すべきものではない。
 文字通りの「通貨」なのである。
 日本のセカンダリ・マーケットによって、日本に流通する西洋絵画は、その価値を単なる「流通通貨」に貶められてしまっているのである。

 セカンダリ・マーケットに流れる美術品というものは「定価」が付いていない。
 ついていないし、その価値は「評価」という曖昧なものによって、取引当事者らの匙加減で上げられたり下げられたりと、自由に変える事の出来てしまうものなのである。

 そういった美術品の特徴こそが、日本のアートマーケットで「流通通貨」化した原因の一つであった。

 例えば、企業や富裕層などは、政治家に献金する代わりに美術品を"かなりお安く譲る"のである。
 政治家はそういった美術品を多数抱えており、いざ選挙が始まって急にまとまった金が必要な時などに画商に"正規のお値段"である高額の値段で売って金を作る。
 政治家から美術品を買った画商は、またそれを企業や富裕層に売りつける。

 そういった「政治家-企業/富裕層-画商」の三位一体の三角貿易によって、流通する美術品は「美的な価値はあるか否か?」を全く無視されて「"裏"流通通貨」として表には見えない所で流通しているのである。

 ぼくとしてはこういった、美術品を「通貨」として扱うタイプの取引と言うのは、日本が好景気にあった時期に限られた一時的なもので、美術価値が暴落し、海外から西洋絵画を購入する資金力も落ちた日本の企業などではもう扱えないだろうと予想していたのだが――そんなことはなく、性懲りもなく未だにこの構造は延命していたのだ。

 こういうところにウンザリさせられるのである。

 勿論、これら美術品は銀行振り込み等による「記録に残る取引」はされない。
 全て現金、手書きの帳簿、云々によって様々に隠匿される。まさに「裏取引」そのものなのである。
 そこは脱税や資金洗浄も「ない」などとは言い切れない――という類のやばい世界なのである。

 このように様々なルートが表からは見る事ができず、しかも「定価」のない、取引当事者らの匙加減で上げられたり下げられたりという曖昧な価格帯でやりとりしている業界だからこそ、イライ・サカイのような画商が大量の「贋作」をそこに流入させる事が出来たのだと言われている。

 それどころか、イライと協力して半ば「贋作」と知っていながらもそれらの作品を日本の流通ルートに乗せてしまった共犯者的な画商もいたと言われている。
 何故か? その手のアートのセカンダリ・マーケットに巣食う日本の画商にとって、美術品の「真贋」などという問題は、この際どうでもよかったからなのである。
 要は「流通して価値がある"交換価値"のある品」でさえあれば、彼らにはそれを使って商売ができたわけで、「贋作」であろうと「真作」であろうと構わなかったのだ。

 つまりは、それが「日本のアート業界は西洋絵画を"流通通貨"に貶めてしまった」とぼくが言った事の理由なのである。
 さてはて、日本に巣食う"ムラ"的利権構造は既にアート業界にも寄生して、その中身はもうボロボロに食い荒らされている。
 ――この日本で「美」は、いったいどこにいってしまったのか?


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