◆読書日記.《多岐川恭『消せない女』》
※本稿は某SNSに2020年5月19日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
多岐川恭『消せない女』読了。
初期の乱歩賞作家・多岐川恭お得意の変形倒叙ものミステリ長編。
<あらすじ>
売れない作曲家の鴨池信夫には、「鴨池商事」を経営する辣腕経営者にして「女傑」と呼ぶに相応しいバイタリティ溢れる妻・徳子の尻に敷かれ、日々不満を募らせていた。
信夫は最近、新しい恋人を作ったので、ますます徳子が煩わしくなってきた。
鴨池家の資産は全て妻・徳子が握っているのでこのまま離婚したら自分は無一文になってしまう。どうにかして妻を亡きものにしてその財産を手にし、恋人と再婚したい。
信夫は徳子を自然死に見せかける殺害計画を練り、幾度となく罠をしかける。
しかし、徳子は異常なほど運がついていて抜群に健康がいい。
信夫よりもはるかに腕力も強い。
徳子は自分が命を狙われているとはつゆほども気づかないまま、信夫の罠をことごとく跳ね除けてしまった。
自分の手には負えないと悟った信夫は、嶺牧男という殺し屋に妻を殺してもらうように依頼するのだった。
嶺牧男を自分のオフィスに呼んだ際、手違いで秘書の小堀ケイに牧男との会談を見られてしまう。
ケイの事を信頼している信夫は、牧男に徳子の殺害を依頼した事をケイに明かす。
ケイは雇い主の徳子の事は好きではなかったが、信夫に殺人なんて馬鹿なマネをしてほしくなかったので、どうにかやめるように説得を試みる。
しかし、信夫は徳子の殺害を諦めるつもりはないようだった。
牧男も仕事はきっちりやるタイプで計画を中止するつもりはない様子。
ケイは仕方なく、信夫の「新しい恋人」なる人物にお願いして信夫の計画を止めるように説得してもらおうするが、信夫はその「恋人」が誰なのかを秘密にして教えてくれないのだ。
斯くしてケイは、信夫の計画を止めるために「誰が信夫の恋人なのか」を突き止めようと、ボーイフレンドの坪内正泰に協力してもらいながら信夫の周囲の人間関係を調べて回る。
そして、ケイが信夫の周囲を調べ回っている裏で、同時に信夫の徳子殺害計画は着々と進んでいくのだった……というお話。
<感想>
「倒叙形式ミステリ」というのは『刑事コロンボ』や『警部補・古畑任三郎』みたいな形式のミステリだと思ってもらえれば良いかと。
まず犯人が殺人を起こすところから物語が始まり、そして警察捜査がだんだんと犯人を追い詰めていくプロセスを主に犯人視点で描いていくのがこの手のミステリの常道と言える。
ドストエフスキーの『罪と罰』も倒叙形式のミステリだ。つまり、この手法は犯人の犯罪心理というものを深掘りするのに役立つ方法なのだ。
「ミステリ」と言っても「殺人トリック」ではなく「殺人心理」の「謎」を追う本格推理を志向して多岐川恭はその後も『静かな教授』や『的の男』『男は寒い夢を見る』なんかでこのタイプのミステリを様々な方法で転換・発展させていくこととなる。
日本ではこの「倒叙ミステリ」を追及した作家は珍しいタイプだ。
で、この「倒叙ミステリ」の可能性を模索した多岐川恭の試みを継承する作家というのは何故か生まれなかった。
時代が社会派ミステリ全盛の傾向に反れていったという事もあるのかもしれないが、多岐川教は「倒叙ミステリ」に幾つか面白い可能性を提示したので、こういったスタイルが後に開拓されて行かなかったというのは少々勿体なく感じてしまう。
多岐川恭の倒叙ミステリの中でも出色の出来はやはり『的の男』だろう。
"あのタイプ"の仕掛けというのは、多岐川恭以外に国内の作品でも海外の作品でも見た事はないのだが、色々と応用が効く面白い型だと思う。
倒叙ミステリの特徴は犯人側の心理を描き込めるという利点もあって、それも大きい。
さて、本作の出来はというと、残念ながら『的の男』や『男は寒い夢を見る』等と比較すると、少々散漫な印象は拭えない。
物語の興味を「信夫の恋人は誰だ?」の「人探し」に置いたせいもあるかもしれない。
「妻の殺害計画」という派手なトピックがサブ・プロット的な位置にあって、物語の推進剤のメインが「人探し」と「それを邪魔するゴロツキどもとの争い」等になっているので「ミステリ」というよりかは、軽めのサスペンスといったチープな感じになってしまっているのだ。
まあ、本作は著者の中でも「ブラック・ユーモア・ミステリ」という位置づけとして書いているのでチープな肌触りは確信犯ではあるかと思うのだが、それにしてもちょっと、軽い。
この場合の「軽さ」のデメリットというのは、サスペンスとして「推進剤の弱さ」にあると思う。牽引力が弱いのだ。
あんまり魅力もない、うだつの上がらない惚れっぽい中年男性の恋人とは誰なのか?という興味がメインの謎というのでは長編ミステリを引っ張っていくにはちょっと弱い。
もっと読者を「どうしてだろう?」「知りたい!」と思わせるような強力なフックを用意しないと、エンタテイメント作品としては、読み手側の興味が続かない。
また、本作がブラック・ユーモアである事もあってか、登場人物が軒並み「イヤな奴」すぎて、キャラクターの魅力でも物語を牽引することが出来ていない。
鴨池信夫は妻に依存しきってるのに不満ばかり言うものの妻に表立って抵抗できず、他の女に簡単に惚れて、自分勝手で利己的な欲望のために妻を殺そうと企むダメ人間だ。
妻は妻で、自信過剰のために夫の事を全くまともに取り合おうとせず、信夫の事を「夫」としても「男」としても扱っていない。せいぜい「ダメなペット」扱いだ。自分はもう夫の「夜の相手」なんかしたくないからと「夫専用の愛人」を用意して夫にあてがい、それ以外の女性との付き合いを禁じたりする始末だ。
秘書のケイもケイで、自分に惚れた弱みのあるボーイフレンドを良いようにあしらって、付き合う気もないのに色仕掛けで「信夫の恋人探し」をするように命じてこき使う。
メインキャラからしてこんな感じだから、こういった人たちがどういう運命にあっても「可哀そう」とか「頑張れ!」的な感想が湧かない。
といった感じで、様々な箇所でインパクトの弱さが目立つ惜しい作となってしまっている。
だが、多岐川恭が本作で試みた「殺そうと狙ったターゲットに何度も殺人計画を実行するも、ターゲットの非常識な強運のために何度も失敗する」という要素をシンプルに物語の主眼とした『的の男』でこの試みは一応の成功に至ったと思える。
多岐川恭のこの系列の作品のまずまずの成功作『的の男』から比べてみれば、上記にも上げたように本作はその他のあまり興味を強くは引かないような「弱い諸要素」に興味が分散してしまっていて、印象が散漫になり、「冗長」とも思えるユルさが出てしまったのは良くない点だったかもしれない。
だが、本作で試みた形式は何作かの長編による試行錯誤の末に、後の『的の男』となって結実すると思えば、多岐川恭としては本作は、その後の著作のための踏み台となる悪くない布石だったのかもしれないと思った。