◆評釈.《音樂漂う岸侵しゆく蛇の飢――赤尾兜子(『蛇』S30~34年)》
去年から引き続いて塚本邦雄による俳句100句の評釈集『百句燦燦』を毎日1~2句ずつ読み進めている。
今回は、元旦に初めて読んだページに記載されていた赤尾兜子の一句が面白く、またこの前衛俳句を試みた俳人にも大いに興味を惹かれる所があったので、ここでご紹介しようと思った次第。
音樂漂う岸侵しゆく蛇の飢 ―― 赤尾兜子
赤尾兜子(あかお とうし)、1925年(大正14年)2月28日 - 1981年(昭和56年)3月17日、主に昭和の時代に俳句を作り、俳誌『渦』を創刊し主宰となって活躍した俳人。
旧制大阪外語専門学校では司馬遼太郎と同級生であり、一年上に小説家・陳舜臣がいたという。
特定の俳人に師事せず、前衛俳句を志向した俳人であり、どうもその「前衛」には様々な葛藤が隠れていたらしく、晩年には作風が伝統回帰へと変化したと言われている。(参考:https://zenmz.exblog.jp/3163240/)
塚本邦雄も「言語芸術と抽象性の全き結婚など虚妄に近い。伝統的定型詩にはかつてその蜜月の幻想すら不可能であった」と、赤尾の俳句における前衛の困難さに理解を示している。
「言葉」というものが、そもそも意味を持たないものに対して「意味」を張り付けていくものである――といのは、近代西洋哲学の言語論でも良く指摘されている所である。
そういった意味を指示する「言語」に抽象性や抽象的な精神を表現できるのか?
言葉による定型詩である俳句――その厳しいルールに縛られた言語芸術に果たしてシュルレアリスムや抽象性は本当に成立するのか? 季語を入れねばならず、五七五の定型があり、「言葉」によって成立する芸術に、抽象性が成り立つのか?
俳句のような言語芸術に、アクション・ペインティングのような純粋な抽象、または音楽のような非造形芸術的な表現が可能なのか?
――それを称して塚本は「不毛」だと指摘しているのである。
しかし、塚本は続いて「しかし不毛も亦結実の一様相であり、虚妄こそ真実の反映であろう」「試行錯誤の騒然たる坩堝から突然あり得べかざる結晶体が生まれる。白熱した抽象性が俳諧の器の中で急激に冷まされた時、あり得た一句は一過性の輝きを放って人の目を射る」と、その実験精神を評価している所が、やはり塚本らしい指摘であった。
冒頭にあげた一句が、果たしてその赤尾の芸術上の葛藤を表しているものなのかどうかは分からない。が、この一句には、無意識にしろそのイメージ的なものには明らかにそういった前衛的な作風における葛藤が読み取れるのである。
上にも書いたように「音楽」というものは純粋にイメージや感情といった抽象的芸術の代表的なもののひとつである。
この音楽の漂っている岸辺を侵しているのは、イブをそそのかして「智慧の木の実」を食べさせた「蛇」の飢えなのである。――拝蛇教の信仰対象であるこの「蛇」は人類に知識という光をもたらした「知」の象徴であり、魔術や錬金術の世界でもしばしば「蛇」は「知」を表す。
ここで注目したいのは、「音楽漂う岸」を侵すのは「蛇」ではないという点である。
ここで結句を「飢えた蛇」としたら、「音楽漂う岸」を侵すのは「蛇」という具体的なものになっていただろうが、「蛇の飢」だからこそ「飢え」という観念が「音楽漂う岸」を侵しているという――こういった修辞にも明らかに赤尾の抽象精神が表れていると言えるだろう。
つまりは、この一句が赤尾兜子の中で、自らは抽象を志す此岸にありたいと願いながらも、どうしようもなく「知性的生物」である人間の性から、知性が抽象的世界を常に脅かし続けている――そのイメージが彼の中に揺蕩っていた。
この一句は、その赤尾兜子の内面的な葛藤が、ある種の抽象的イメージとして表れているのではないだろうか。
しかし、これは「難解」として知られる赤尾兜子の作品の中では、かなり分かり易い部類と言えるだろう。
中には、明確な分析を拒み、ただただその美しさ、残酷さ、苦しさ、切なさ――そういったイメージを提示するような作品も少なくない。
広場に裂けた木 塩のまわりに塩軋み
花束もまれる灣の白さに病む鴎(カモメ)
機關車の底まで月明か 馬盥
大雷雨鬱王と会うあさの夢
葛掘れば荒宅まぼろしの中にあり
ゆめ二つ全く違ふ蕗のたう
会うほど靜かに一匹の魚いる秋
例えばこの中では「花束もまれる灣の白さに病む鴎」などは「音樂漂う岸侵しゆく蛇の飢」と同様の作者の懊悩が感じられるし、「会うほど靜かに一匹の魚いる秋」の静謐さも美しい。「大雷雨鬱王と会うあさの夢」の、この切迫感に駆られた苦しさも、ぼくの好む所だ。
赤尾の代表作の一つ「轢死者の直前葡萄透きとおる」も、この残酷さが強く印象に残る一句である。
「轢死」とは、なんと残酷で、しかも「冷たい死」であろうか。
産業革命がおこり、自動車や機関車が開発されなければ、このタイプの「死」は発生しなかったであろう。つまり、自然界にない死の形こそが「轢死」なのだ。
ぼくは、最も鬱屈としていた学生時代、何度も何度も恐怖に駆られ、電車に轢かれて死ぬ様子をイメージしたものだったが――そのイメージの残酷さには何故か「葡萄」のイメージがオーバーラップして浮かんだものだった。
葡萄を食べる時のあの感覚――実の逆側をきゅっと摘むと、口元に運んだもう一方の側の皮が引っ張られて割け、中の果肉と果汁が爆ぜて口内に飛び出してくるあの感覚。
恍惚とした感じがあるのと同時に、どこかその裏に残酷なものを秘めているあの感覚。
あのブリッ、と勢いよく中身が出てくる感じに――、肉体を車輪に荒々しく押しつぶされ、皮を引っ張られて中身が爆ぜ肉と汁が飛び出してくる――ある「轢死」の一場面を恐怖と共に、肌感覚的にイメージしてしまう。
轢死者の直前に透き通る葡萄などというものは、ぼくには氷のように酷く冷え切ったもののように思えるのである。それはなんと、ヒリヒリと痛いほどの冷たい肌触りだろうか。
その赤尾兜子は昭和56年、突然阪急電車に撥ねられて轢死してしまう。自殺だったのか事故だったのかはわかっていないが、その時期、赤尾はひどい鬱状態であったとも言われる。