◆読書日記.《クリスチアナ・ブランド『はなれわざ』》
※本稿は某SNSに2020年1月29日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
クリスチアナ・ブランド『はなれわざ』読了。
クリスチアナ・ブランドと言えばアガサ・クリスティを継ぐイギリス・ミステリの女王と呼ばれた文壇の重鎮。
怖ろしく緻密なハード・パズラーとキャラクター達が事件の真相について徹底的にデスカッションを行い多重解決の末に高度なトリックの炸裂する作風が特徴。
<あらすじ>
トスカーナ海岸近くに浮かぶ溶岩の島、サン・ホアン・エル・ピラータ島。そこは古来より海賊の流れをくむ貴族が要塞を建て、周囲の国には依存しない一応の独立国として領主のサン・ホアン大公の治める国となっていた。
この島には世界から観光客が押し寄せて来る。今回もイギリスからパックツアーが来ていた。
この団体旅行客は一癖も二癖もありそうで、新進女流作家もいればロンド日琉の衣装店のデザイナーもいれば、隻腕の元ピアニストとその妻、独身の富豪女性の一人旅等々といった面々が揃っていた。
その中にはスコットランド・ヤードで通称「ケントの鬼」と称される敏腕警部・コックリルの姿もあった。
コックリル警部は休暇中で、気ままにイタリィ旅行を楽しんでいたのだ。
だが、彼を含む観光客らが陽光麗らかな島のリゾートを楽しんでいる最中、ホテルの一室では現代のオフェリアのような姿で胸を一突きされた死体が横たわっていた。
殺人が起こったと思われる時間帯、容疑者は全員ビーチにいたのに、である!
一体誰が、どのようにして、誰の視線からも逃れられないこのあけっぴろげなビーチを抜け出して、ホテルで殺人を行う事ができたというのか?
島は独立国家として、イギリスの刑法は適用されないし、イギリスほどの警察力もない。
ホアン大公は他国からの外聞を気にしていた。
早く真犯人を逮捕しないと、最も怪しい人間を証拠もなく捕まえて縛り首にする事にもなりかねなかった。
コックリル警部は、イギリスの現代的な科学捜査を行えない状況で、全く不可解な状況の中から、犯人を一人に絞らなければならなくなってしまった。
しかも、その容疑者の一人には自分も含まれていた。絶体絶命のコックリル。どうする?……と言うお話。
<感想>
ブランドの作品はどれも緻密な計算が行き届いたハード・パズラーと、キャラの濃い登場人物たちのユーモラスなやり取りが特徴的だ。
しかも、毎回登場人物たちが発生した事件に対してあらゆる可能性を検討し、様々な回答を提案する『毒入りチョコレート事件』形式の多重解決方式を採用している。
それだけでも作品複数分のプロットを用意しなければならないほど大変な事だが、ブランドの作品は、登場人物たちの提出する推理がどれも意表をつく面白い視点が提示されるだけでなく、更にラストはそれらを上回るインパクトの解決が出されるという大技を出してくる。
特にブランドの代表的長編『ジョゼベルの死』はそのパターンが最も成功し、最も恐るべき真相を出してきたまさに傑作であった。
『はなれわざ』もこのブランドのいつもの方式を踏襲している長編で『ジョゼベルの死』に次ぐ名作名高い作品としても有名である。確かに、このシチュエーションは面白かった。
警部が一望のもとに見下ろせる場所に陣取って読書を楽しんでいる間、容疑者たちは筏の上でうたたねしていたり、ゴムボートに乗っていたり、パラソルをさして寝ていたり、コックリル警部の近くで寝ていた者もいた。
しかも、彼らがホテルに行くためには、警部のすぐ脇を通って行かなければならない。
そんな環境の中で、どうやってその場を抜け出してホテルまで行く事が出来たのか?
この状況のために当初「被害者は自殺したに違いない」と主張して皆で難を逃れようという事に落ち着く。
だが、それでは島の警察署長が納得しなかった。
それどころか「警部がホテルまで行けば誰にも見られず行けたのでは?」と、あやうく自分が容疑者にされかけてしまう。
上手いと思うのは、この事件がイギリス警察の手の届かない孤島の独立国の中で発生しているという所だ。
警察力はわずかながらにあるが、規模は小さく、英国程の科学捜査は望めない。
指紋採取や検死、基本的な鑑識操作さえも行わない杜撰さの中で捜査が進められる事となる。
つまり、純粋な推論の過程において、犯人を一人に絞り込まなければならないという状況を作り出しているのである。
現代は、なかなかミステリに出て来るような不可能犯罪が成立しない。
何しろ、現代の科学捜査は様々な証拠を採取できるので、犯人が警察に事実誤認をさせることなどそう簡単にできるものではないからだ。
だが、本書のように科学捜査が封じられた状況だと、犯人はかなり大胆な行動が可能となる。
DNA鑑定もルミノール反応検査も死亡推定時刻の誤認もやりやすい。
こういう条件が重なっているからこそ、本作は現代ミステリにしては非常に大胆な推理が次々に飛び出してきて非常に楽しいミステリとなっている。
しかし、最後の真相はさすがに、「そうするしかないよなぁ」といった所に落ち着いてしまった。今回もブランドのパズラーとしての限定状況を設定する巧さが光っていたが、その収束の仕方のほうは若干の苦しさがあったか。