まるた

起こったこと、思ったこと。そして、のろけ......を言うツイッターを飛び出して、長々と書き綴る場所。 アイコン・ヘッダー/ノーコピーライトガール

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マガジン

  • 本の記録

    読んだ本たちの感想をまとめているよ。

  • 短編集

    短編、詩、エッセイ。ジャンルはバラバラ......というか意識していないけれど、そういった創作物をまとめたもの。

最近の記事

せめて月1は更新したいな。

    • アメリカンチェリーを食べて泣いた話

      アメリカンチェリーを食べて泣いた。 なんてことはない。昔のことを思い出したから。 小さな小さな頃のことを思い出したから。 あの日、いつものようにスーパーでの買い物について行った私は、青空市場で堂々と佇むアメリカンチェリーを見つけた。 「さくらんぼだ!!!」 そう思った私は母に、あのさくらんぼが食べたいとお願いした。母はあっさりと「いいよ」と言った。ただし「荷物になるから帰りにね」と。 私はワクワクして、スーパーでもルンルン気分で「さくらんぼが食べられる!」と思いながら

      • 『セッちゃん』

        セッちゃん自身がもう限界で、 世界がきっかけを作って 待っていたのかもしれない 『セッちゃん』で一番印象に残っているのはこの部分。 巷の感想をみると、こっち側とあっち側の話を「リバーズ・エッジ」などを引き合いに出しながら語っている。 ただ、若者(自分のことは若者だと信じている)から言えば、そんなことは微塵も考えなかった。考えなかったよ、こう思ったよということをネットの海に流したい。このノートはただ単に感じたことを赴くままに綴る雑感である。 セッちゃんやあっくんのぬるい日常

        • 茶碗蒸し

          茶碗蒸し 私はこの言葉に滅法弱い。 メニューを開いて「茶碗蒸し」と書かれていると 頼まずにはいられない。 たとえ、お得なセットメニューに組み込まれていなくても 追加で頼んでしまう。 茶碗蒸しはお店によって様々だ。 どこでも見た目はぷるぷるしているが、 口に入れると全然違う。 かなりゆるめですぐにぐちゃぐちゃになるものや しっかりしていて舌でつぶすのが楽しいもの。 具材だって個性にあふれている。 お気に入りの具材は銀杏だ。 あのほろ苦い独特の風味が 茶碗蒸しの滋味あふれ

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        • 本の記録
          4本
        • 短編集
          2本

        記事

          『バームクーヘンでわたしは眠った』

          柳本々々さんのぽつぽつ響いてくることばと 安福望さんのやわらかい絵が語りかけてくる。 そして、一つ読んでは本を閉じ、一つ読んではぼーと考える。 そんな風にゆっくり、のんびり読み進めたくなる本でした。 この本自体は、柳本々々さんが1年間毎日書いていた日記から 103の話を厳選したもので、時々季節を感じる内容が混じっている。 それが、この人はこの季節にこんなことを考えるのだなぁと、 しみじみ思わせてくる。 私はこう思うなぁと自然と考える。 その結果、一つ読むたびに一息つく必要が

          『バームクーヘンでわたしは眠った』

          『うたうおばけ』

          ギターを持ってうたうおばけ。 どこにでもいそうなからあげボーイズ。 野生の売り上げ目標をみつけるふきちゃん。 くどうれいんさんの周りにいる素敵な家族や友人、 すれ違った人々のことがたくさん書かれている本。 その人たちのことが魅力的に書かれている本。 それがこの本。 これを読んでいると 「こんな不思議な人に出会ってみたいな」 「こういう人、私の周りにもいる!」 なんて思いながら、自分の周りに想いを馳せることになります。 くどうれいんさんの世界の見方が、言葉が、あふれている。

          『うたうおばけ』

          わたしのなつやすみ

          先週末、レポートの提出を終え、わたしのなつやすみがはじまった。 今年の夏はなにをしよう。 会いたい人には会えないし、行きたいところにも行けない。 お祭り、キャンプ、バーベキュー。 夏らしいイベントごとも自粛気味。 今年の夏はなにをしよう。 おうち生活を充実させよう。 おいしい夏野菜をたっぷり食べよう。 洗濯ものをカラカラのお外に放り出そう。 日陰に逃げて、本を読もう。 夜になったらお散歩しよう。 暑い夏も夜になれば元気いっぱい。 夏の音を楽しもう。 人に会えない夏

          わたしのなつやすみ

          誰もが抱える哲学的問い

          先日、とある会に参加した。 そこでは「自分は何者であるか」という問いに様々な角度(の学問)からアプローチするというようなことをやっている。 ……なんて言うとゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を思い出す方もいるだろう。まさにこのあたりの問いに答える会である。これに付随する話も面白いが今日の本題からは逸れるので筆をとめておく。 さて、「自分は何者であるか」などと問われると、なんだか難しいことを問われている気分になる。 「そういうの知ってる

          誰もが抱える哲学的問い

          『わたしを空腹にしないほうがいい』

          「わたしを空腹にしないほうがいい」 この一文で始まる ピンクの表紙が目を引く本は、くどうれいんさんの日記をまとめたものだ。 どの日のお話にも ごはん が絡められていて、わたしたちが生きていく過程で食事と縁を切ることは不可能なのだと思い知らされる。たとえ、身体が食べ物を受け付けなくてもである。 この本にでてくる ごはん はどれもおいしそうで、こんな ごはん を食べれば心に元気がなくてもちょっぴり 力 が出てきそうだと思える。 私は心に元気がないと体も動かなくなって、食事をおろ

          『わたしを空腹にしないほうがいい』

          シーソー

          駆けていく 時間が光の速さで駆けていく 光の速さで去っていく 私の時間はもう限界 タスクとタイムがつりあわない シーソーはもう動かない タスクが重くて動かない タスクと仲良いお友達 ホビーもシーソー仲間入り

          シーソー

          肉じゃが考

          肉じゃがを作ったら彼氏に喜ばれる。 不思議と定着しているこの考え方だが、男子的には「そうでもない」というのが本音なのではないだろうか。 今回は一体なぜこの言説が定着しているのか、そもそも肉じゃがが抜擢されたのはなぜなのかを、だらだらと書き連ねてみる。 さて、彼氏に料理を作る目的は何だろうか。 彼氏に喜んでほしいから? 家庭的な女アピールをして今後につなげたいから? 「肉じゃが」というワードが出てくるときには、同時に「家庭的」という言葉が出てくるように感じる。 要するに、肉

          肉じゃが考

          true

          もやもやぷくぷくぶくぶく みずのなか ハリボテを纏わされて 底の方に沈むのです ホントのワタシはガラスです もろくて 落とせば割れる 熱すれば融ける そういうものなのです ああダレカ ほんとのワタシをみてください そして失望してください どうか期待をやめてください 応えるワタシは疲れてしまい 何もできぬのです なにも できぬのです

          今まで書き溜めていた短編公開したり、本の感想たらたら述べたりできたらいいな。

          今まで書き溜めていた短編公開したり、本の感想たらたら述べたりできたらいいな。