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憎きりんご飴、メロンパンを憎め

私の家族はいらぬところで厳格だった
私がまだ小学生のころ、年末年始の帰省から帰ってきた次の日、鶴岡八幡宮に初もうでにお参りに行くと、たくさんの屋台が連なっていた
そこは地元の公園の祭りでも見るようなタコせんや焼き鳥、綿菓子、射的、輪投げなどありふれたものであふれていた
子供のくせにつまらんものばかりだと、見下していたところ、見知らぬ食べ物が目に映った
赤い球に棒を突き刺し、覆いをかぶせたものが並んでいる、りんご飴だ
本当に飴なのか⁉あんなおっきな飴見たことないぞ
もちろんお小遣いという言葉など知らなかった私は帰り際に両親におねだりをした(お使いという言葉は知っていた)
しかし、私の両親は「今日はお参りに来たんだ。そんなものを買い食いしに来たんじゃない」と言って、焼き肉弁当の屋台に並んだ

それ以来、りんご飴が脳内にふらりと浮かんでは消えていく日々を過ごした

地元の公園の屋台のラインナップは一生変わらないし、正月に遠出をするのは面倒だと言って初詣は毎年地元の小さな神社になったし、文化祭でもみんないやに頭をひねろうとして、りんご飴の屋台が出ることはなかったし

私のりんご飴へのあこがれは記憶の風に今にも消されそうな灯火であった

しかし!高校生になったある日、私は仲の良かった友達と鎌倉に花火大会に出かけることとなり、そこで10年以上の時を経て記憶の風に酸素が送られ、ぼうっと爆ぜるように赤い炎が燃え上がった
りんご飴だ、私にはりんご飴がひときわ輝く赤い炎に見えた
そういえば初めて会った鶴岡八幡宮もこの近くではないか
何たる偶然
この運命をどぶに捨てる私ではない
皆がりんご飴など見向きもしないうちに、私は走り出してもちろんりんご飴大を買った
早速プラの覆いをとって空に掲げてみると、なんだ花火なんて音だけで、りんご飴のほうが100倍夜空に映えるではないか
少しもったいなさを感じたが、私はぺろぺろっとりんご飴をなめ始めた
赤い丸い大きいうまい、あまおうとはまさにりんご飴をたたえる言葉であったのか
またりんご飴を夜空にかざすと、なめた部分が花火の明かりを反射する
なんて幻想的な一瞬なんだ
なるほど、りんご飴あっての花火であるのだなあ
そのような感傷に浸っている私を一ミリの迷いもなく置いていく友達はこの景色に気づくことはないのだろうと思いながら私は見失わぬように走って追いかけた(もちろんぺろぺろしながら)

友達に追いつくや否やのところで、私の舌に当たる感触が変わった
りんご飴を見ると見覚えのある皮のようなものが見えた
私はたどり着いてはいけなかった真実を恐れながら友達に確かめる

「まさかだけど、りんご飴って本物のりんごが入っているのか?」

友達はあざ笑いながら首を縦に振る
あまりの絶望で、そんなことも知らなかったのかと言う友達の声も聞こえなかった
お前、全身飴じゃなかったのか?
まさかリンゴでかさ増ししてたのか?
あの美しい面持ちはただのメッキだったて言うのか?
もしかすると、見た目と名前に騙されていただけで、今食べていた飴はりんご味じゃなかったのか?
様々な思いが飛び交ったのち、私はこの結論にたどり着いた

全部メロンパンのせい

メロンパンが不純物(メロン)を一切入れずに中までぎっしりメロン風味のパンであるからこそ私はりんご飴に対して過度の期待をしてしまったのだ

私は現代の甘党いわばコンテンポラリースウィート(英語っぽくしただけ)であるから、生の果物よりも缶詰の果物を、缶詰の果物よりも果物風味の加工食品(アイスやチョコ)を好むのだ。
そんな私が、生のリンゴ入りのお菓子など認めるはずがなかろう

くそっ
私は失意の中、りんご飴のメッキをきれいさっぱりなめとった
最後の望みをかけて、りんご飴の不純物をかじる
ああ、間違いなく生のリンゴだ
飴の成分なんか一ミリもしみ込んでないし、ましてやシロップの味などするわけもない
そして何よりも最悪なのが、かじった部分が白いのだ
先ほどまで、りんご飴に反射する花火の白い光を見て感動していた私がばからしい
またりんご飴だったものを空に掲げると、かじった部分が満月の模造品のようで、こんなに花火を汚すものがあるのかと私は憤慨し、一瞬で食べ終え、燃えるごみの袋に捨てた
対向する見物客がみんな自分を見て笑っているように見える
くそっこっちはこんなにつらい思いをしていることを知らずに、思いっきり投げたリンゴの芯付きの棒が袋をかすめて、道に出て、人に当たってしまったので、その人に謝った後粛々と芯付き棒をゴミ袋に入れるところを見て笑ってたんだろ!
またゴミ箱に立ち寄った私を待ってくれなかった友達のところに駆けつけると、またみんなこっちを向いて笑ってやがる
くそっなんの噂話をしてたんだ、どうせ無知な私をコケにして笑ってたんだろう
ほどなくして、花火も終わり、帰ろうとする見物客の波に飲み込まれ私たちも家路に帰った
友達とも別れたあと、家の最寄り駅でトイレに駆け込んだ
ほんとに会場のトイレは激混みでとてもじゃないが入れなかったので、もう寸前のところまで来ている
手洗い場の前に立った時信じられないものが目に映った
とりあえず、思いっきり放水をしてズボンに多少の跳ね返りを感じながら、落ち着いて手洗い場の鏡を見る

口の周りが真っ赤ではないか
ジョーカーや口裂け女よりも大きな唇を持った海神のような自分の顔を見て愕然とし、今日の周りの反応にすこぶる納得がいった。
私は、そのまま鏡の前でジョーカーに引けを取らないぐらいに大声で笑った
嘘だ
友達への怒りを胸に口の周りを拭いて、何事もなかったかのように家まで歩いた

家に帰るともちろん何事もなかったように両親がいる
その時思いだした両親の言葉を借りて、つい数時間前の私に言おう

「今日は花火を見に来たんだ。そんなものを買い食いしに来たんじゃない」

その晩のご飯は奇しくも焼肉だった

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