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#40: こんなときだから♪ドビュッシー 〜愛の難破船!?ー「喜びの島」
ドビュッシー:喜びの島(1904)
#36 -42のテーマは「乗る派? 撮る派? いや聴く派でしょ!ー乗り物の音楽」
船が向かう先は,ヴィーナスの住むシテール島。愛と喜びに満ち溢れた官能的な楽園の島。
本日お送りする「喜びの島」は,18世紀初頭に活躍したフランスの画家アントワーヌ・ヴァトーが描いた「シテール島の巡礼」を描いたピアノ作品と言われています。ただ,今回注目したいのは,この曲が作曲された背景です。
フランスの作曲家クロード・ドビュッシー(1862-1918)は,妻帯者であったものの,ある女性と恋に落ちます。
その女性とは,エンマ・バルダック夫人。教子の母親でした。
お互いのパートナーとはすでに冷めた関係になっていたものの,許されぬ関係であったことは間違いありません。
しかし,1904年7月、ドビュッシーは妻リリーのもとを去り、エンマと共にイギリス海峡にあるジャージー島に向かいました。そしてこの島で「喜びの島」が生まれたのです。
前半のメランコリックな雰囲気は,行き急ぐ二人の心情と波の煌めき,船出という希望など,あらゆる感情や情景が次々とフラッシュバックするように紡がれます。クライマックスでは,島に到着し自分たちの楽園を手中にした愛の喜びが炸裂します。
これは家主のまったくの想像ですが,おそらくドビュッシーは絵画を言い訳に,自分の感情をモリモリに盛り込んだに違いありません。
その後,二人がどうなったかって?
お互いの離婚が成立し,二人は結婚するのですが……。
リリーは拳銃で自殺未遂。一命を取り留めたものの,多くの友人はドビュッシーの元を去ったそうです。
当然,このスキャンダラスなニュースは世間を騒がせました。
非難の目に曝されたドビュッシーでしたが,エンマとの間に女の子が誕生します。
そして,このお話はピアノ組曲「子供の領分」へとつながっていきます。
許されぬ恋,そして愛の逃避行。たどり着いた先は楽園か,それとも失楽園か。
たまにはこんな大人な問答を空を眺めながらするのも、ちょっぴりマンネリな生活に良いかも!?
今日もみなさんにとって,素敵な一日でありますように!
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