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映画『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』


音楽でも美術でも,世界全般のことでもなんでもそうなのだが,○○時代というネーミングは,ある視点から見た過去をカテゴライズしたものである。

つまり,渦中にいる間は,渋谷のスクランブル交差点の中央にいるようなもので,人をかきわけて流れに逆らいたいのか,大きな流れに身を任せてハイになりたいのか,流れを受け止めることで精一杯で,自分たちを俯瞰する余裕なんてない。
それが「時代」と呼ばれるものになるのか,そうじゃないのか,当の人々にとっては関係ないのかもしれない。

もうすぐ日本では「平成」という元号が終わりを迎える。
私が生きたこの30年が後々なんと呼ばれるのかはわからないが,1970年代半ばに早逝した若者の生まれ変わりだと信じる1978年生まれの私には,正直ピンと来ない時代だった。

ジャックスの実験的グループサウンズの音楽にシビれ,生演奏に負けないアイドルの歌唱力に感嘆し,ウルトラマンのザラザラした画質にワクワクするのだ。
物心ついた時から「懐かしの〜」とつくテレビ番組はすべてチェックし,憧れの人物は泉麻人だった(今もです)。

このように,なぜか1960年代後半から70年代に強烈な憧れを持つ私にとって,イギリスのカルチャーもまた例外ではなかった。

英国の名優マイケル・ケインのナビゲートで展開するドキュメンタリー映画『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』では,ビートルズ,ローリング・ストーンズ,ザ・フーなどの音楽はもちろん,メアリー・クワント,ヴィダル・サスーン,ツィッギー,デイヴィッド・ベイリーなどなど,音楽,ファッション,写真というすべてのロンドン・アート・カルチャーの原点に酔いしれた。
特に,お花のマークのイメージしかなかったマリクワこと,メアリー・クワントがカッコ良く,ファッションはもちろんのこと,自分の手で道を切り開いた女性としても眩しく見えた。

この時代を生きた若者は,渦中にいることを自覚しながら,自分たちの手で時代を作るという覚悟があったように思う。
生意気さと,賢さ,想像力と創造力を武器に暴れまくった結果,階級社会という差別と偏見の眼差しに打ち勝った。

「昔が良かった」とつぶやくだけでは,60年代の保守派英国人と何も変わらない。

「平成」が悪いわけじゃない。自分がどうするか,なのだ。

2019年5月。新しい節目がやってくる。

どうする? どうしたい?



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