この世界にうまくなじめない気がする(という、メンタルブロック)
私は、人間関係を築くのがへたくそだと自覚している。
学生時代には、特定のお友達とべったり付き合うタイプの人間関係ばかり経験してきた。
というか、自分から「友達になろう」みたいな働きかけをしたことが無いのかもしれない。
数少ない気の合う友達に嫌われたくなくて、ずっとその関係の中にいたくて。
臆病だったよね、と今ならわかる。
なんでわかるのかというと、今もそうだから。
中学生までは、それでもよかった。
ただ、高校生になったら世界が変わった。
私が選んだ高校は職業高校だった。
地元の子たちが多く通う、普通科の公立高校とは違う。
遠くから通ってくる子が多いので、出身中学を聞いても全員バラバラ。
つまり、知り合いが全然いない。
自分を変えたくて、あえてその道を選んだのだけど、そこでも私は変わらなかった。
高校に入って、初めての昼食の時間。
なんとなく近くの席同士・あるいは前日までに仲良くなった者同士で机を寄せ合う中、私は1人でもじもじしていた。
まだ、誰ともマトモに話せていなかった。
そんな私を見かねて、隣の席の子が「一緒に食べよう」と声をかけてくれた。
たまたま出席番号順に並んだ、隣の席の子と、その前の席の子。
結局、その2人と3年間、学校生活でのほとんどの時間を共にした。
「人間関係は、苦手なんだ」そう感じている。
大人になった今でも、近所付き合いが苦手で、挨拶以上の話ができない。
気の利いた話の1つもしたいと思うけど、尻込みしてしまう。
でも、いつまでもそこから抜け出さないのは、なんか違う。
そう、私はうすうす気づいている。
「人間関係が苦手」なのではない。
それを言い訳に、「改善する努力をしていない」ただそれだけだ。
「人間関係は、苦手なんだ」そう思った日から、私はその言葉にとらわれている。
これは一種のメンタルブロックで、自分をその型枠に押し込めているだけ。
「私は人間関係が苦手なんです」という言葉を免罪符に、苦手ムーブへ逃げている。
これも、自覚はある。
なんていうか、こんな私でごめんなさい。
「何を話したらいいのか、わからない」
「嫌われたらどうしよう」
「どうすれば、あの人と友達になれるの?」
これら全部、やってみなくちゃわからないことばかりなのに、いつだって尻込みしてしまう。
そして「苦手なんだよなぁ」と、胸中で呟いている。
なんて進歩のない私。
うん、そりゃ進歩しないだろう。
特に、本当に友達になりたい人に対してほど、そう。
一生懸命考えて、「こんな話がしたい」「あわよくば、連絡先を交換したい」とか思うのだけど、なんか全然思った通りに行かない。
そして、なにもしないまま心折れて、あきらめの境地に至る。
私は、本当に人間関係が苦手なの?
ただ単に、経験値が足りないだけじゃないの?
一歩踏み出していないだけじゃないの?
はい、これがアラフォーにもなろうという、いい大人の悩みであります。
冷静に考えたら、原因も、対策も、しっかり理解しているんだ。
失敗してもいい、恥ずかしくてもやらなくちゃいけない。
そういうところを乗り越えて、はじめて変われるんだろうなと思う。
大人になってから、自分の未熟な部分と向き合うのって、本当になんていうか…恥ずかしくて仕方ない。
未熟なまま大人になっちゃった、自分のせいなんですがね。
あーあ。
いい大人のはずの私は、こんなにも未熟者なのさ。
でも、そこを乗り越えたら、きっと少しずつ変わっていける。
この世界にうまくなじめない気がする、という思いに囚われる時もある。
(実は、今まさにそう)
でもこれ、私の「逃げ」の常套句だと思う。
うーん、うーんって悩んで、逃げたくないなら、思い切ってドアをノックしたらいい。
声を上げてみたらいい。
何もしないで、Uターンしちゃうのがいつもの私だけど、それじゃ変わらないんだぞ。
(ちなみに、そんな自分を想像するだけで、変な汗がでてきます。そういうこと、あるよね)
ただ、こうしてnoteで思いを整理したら、ちょっと変われる気がする。
noteに記したという「言葉の責任」の力で、やれる気になってくる。
ある意味、ポジティブなメンタルブロックなのかもしれない。
そうだ、やれるよ。やれるぞ!
私、マジで単純。
「苦手」の言葉から、自分を解き放ちたい。
だから、頑張らなくちゃねって思うのです。
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