残したい言葉
言葉を残したい。
そう思って、noteを始めた。
ただ、いざ書こうと思うと、なにを書きたいのかわからなくなる。
「何者かになりたい」
漠然とそう思っているけれど、なんでそんな風に思っているのか、よくわからない。
なんでそう思ったんだろう。
「語る」という行為は、何かを軸にしていないと、すぐに行き先が分からなくなる。
話の矛先は、ペン先と違って目に見えるものではない。
耳の中で、頭の中で、概念として形成されてはいるけれど。
方向性を誤ると、来た道を引き返すのは難しい。
「語る」よりも「記す」ほうが、その痕跡をしっかりと残せる分、自分を見誤らないように思うが、これがまたどうして難しい。
「この話を残す価値が、あるんだろうか」とか。
「どこかで見たような話でしか、ないよな」とか。
努力したところで、存在意義を見出せない言葉しか持っていない気がしてくる。
星の数ほどの人が言葉を語り、言葉を記し、多くの言葉を残してきているのに、語られていない「言葉」などあるのだろうか。
そう思うと、どうにもこうにもあえて自分が語ることの「価値」みたいなものを見出すのが難しい。
自分が語ることの「価値」。
私には、何ができるんだろう。
「書く」ことと向き合うとき、最近、いつもそんなことを考えている。
「何をいうか」よりも「誰がいうか」についても、考える。
卵が先かニワトリが先か問題にもよく似た、「言葉が先か、人が先か」という問題。
「私」の語る言葉に価値を見出すには、私自身が自分を磨かなければいけない。
自分を磨くと同時に、「言葉」と向き合い、一つ一つの言葉を丁寧に選ばなければいけない。
どちらも、おろそかにしてはいけない。
駆け出しライターの頃には考えなかった、「言葉を残すことの意味と責任」みたいなところまで、ようやく考えが及ぶようになった。
それでも、まだ足りないと感じる。
書きながらも、まだまだ終わらない。
ひとつ山の頂上を極めても、また次の山を目指すように。
ずっと終わらない旅なんだろうな、と思う。
書くことを志す人が、幾度となく通る道なんだろう。
そして、また深みにはまるのだと思う。
言葉とは、私とは。
誰に問われるでもないけれど、常に自問自答している。
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