【自分史】#2 小学校1、2年生編
卒園後はそのまま新潟市内の小学校へ。
小学校は住んでいた社宅から非常に近く、徒歩数分という最高の立地。
近すぎて通学中の印象に残る出来事は全く無し。
僕の人生において、この小学1、2年の時期が最高だったかもしれない。
先生はとても優しい先生で、その後関わった先生の中では最も良い先生だったと思う。
多賀先生(名前うろ覚え)お元気にされているかしら。
クラスメイトにも恵まれていて、よく皆んなで遊んでいました。いじめもしがらみもなく、すごく良いクラスだった。今では考えられないけどその頃はとてもわんぱく小僧で、わりと友達を引き連れていたな。ほんと今のぼっちっぷりが信じられん。
ちょいちょい女の子にスカートめくりをして、女の子をからかうこともしていました。自分でいうのもですが子供の頃の僕は割とかわいらしい見た目とキャラで許されるところがあったけど、今の世の中でやったら色んなところで磔の刑でしょうね。
家にいてもかなりのイタズラをしていまして、一番怒られたのは母が作っていたケーキかパンの原料かわからないけど小麦粉を溶いてどろっとしたやつを窓枠に流し込み、その窓枠でミニカーを走らせて遊んだ時。
とんでもなく怒られて家を追い出され、社宅の駐車場にあるポンプ小屋の横でシクシク泣いていました。
そこを同じ社宅に住んでいるどこかのお母さんに拾われて、僕のお母さんに許してあげてっていってくれて何とか家に入ることを許されました。
僕のわんぱく、手のかかりっぷりは酷かったけど、母のブチ切れっぷりはその後もすごかったな。普段は優しいけどキレると本当に怖かった。バシバシ引っ叩かれてました。
習い事の公文や水泳、エレクトーンとか兄より明らかにできが悪いから気合い入りすぎていたのかな。
ずっと新潟にいれたら良かったのですが、小2の終わりの頃に、急遽父親の転勤で引っ越すことに。クラスでお別れ会をしてくれました。皆んな寂しいっていってくれてチヤホヤされて、引っ越しの意味もわからず良い気分。冊子で手紙みたいのもくれて本当に周りに恵まれていたな。
引っ越し後も年賀状くれてた前川くんも元気にしてるかな。
最高の小学校1、2年生でした。新潟の皆さんありがとう。
いつかどこかで巡り会いたい。