#6:愛の証明、想いはエネルギー?
愛の証明、想いにはエネルギーがあるのか?
ということについて、考えてみたいと思います。
例えば、
お母さんが子どものことを本当に愛していたなら、
その想いを証明することはできるのでしょうか?
そんなことを説明したり、
証明しなくても、愛は存在していて、
子どもには伝わっているものでしょうか?
子どもたちが争ったり、苦しんだりすることを望む母親はいない。
というのが真実なら、
どうしてまだこの世界で、争いは絶えないのでしょうか。
苦しむ子どもたちがいるのでしょうか。
僕はもしお母さんが愛してくれているのなら、
きっと抱きしめてくれると思うんです。
でも、抱きしめてさえいたら、
それは愛していることの証明になるのでしょうか?
もし、実際に抱きしめていても、
まったく愛の想いがない状態だったとしたら、
どうでしょう?
それでも子どもは愛してくれてると感じるものでしょうか?
みなさんはどう思いますか?
僕はやっぱり、
想いがまず最初にあって、行動するからこそ伝わるんじゃないかなって。
でも、もし子どもに会えない環境にあったとして、
目の前で抱きしめてあげられなかったとしても、
愛する気持ちがあったなら、
その「愛のエネルギー」は確かに存在していると思うんです。
もし、その想いにエネルギーがなくて、
愛が存在しないのなら、
僕たちはどんな風に想いを伝えられるでしょうか。
単に抱きしめるという行動だけが、
愛の証明になるのでしょうか。
愛は確かに存在する。
想いはエネルギーである。
このことがなかったら、
僕は人が人を愛することはできないんじゃないかと思う。
こんなこと話さなくったって、
わかっている。
これを読んでそう想う人がいたならば、
それこそが愛の証明じゃないかと。
少なくとも、僕はその中の一人です。
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