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先祖の末端にいると感じると涙が止まらなくなる

こんにちはoriです!!

今日は徒然なるままに書いていくよ!

最近、当たり前のことが当たり前じゃないとよく感じる。

特別に奇跡的な出来事があったわけじゃないけど。

ここ数年は〝自立〟をテーマに仕事やプライベートに取り組んできた。

その甲斐もあってか誰かに依存したり、他人の気分に左右されたりすることが少なくなってきた。
自分でも成長したと自負がある。

だけどその自負が孤独を生み出した。

他人とどんなに接しようが解消されるわけではないと分かっていたし、他人に頼るのが苦手な私はこの孤独をただ味わうことしか出来なかった数年。

そんな私にあたたかな光を灯してくれたのが〝六方拝〟といわれる感謝習慣。

6つの方向に向かって、先祖・親・兄弟・目上の人・友人・許せない人などにありがとうをいっていく。

詳しくはこちら

もともと感謝は夜寝る前の習慣としてやっていたわけで、これも自分に良い影響を及ぼした(もちろん今も続行中)。
その時は出会ったことのある人(店員さんなどその日会った知人ではない人も含む)の顔を思い浮かべて感謝をしていたが、先祖や親戚に関しては失念してた。

だから各方角に感謝する人・ものが割り当てられている六方拝は私にとってやりやすい感謝習慣だ。

六方拝をやり始めたとほぼ同時期に、小説「運転者」の再読する。

数年前に読んだ本ではあったが内容を結構忘れているもので。。

タクシー運転手が語ることの一つに先祖の話がある。
詳しい内容は割愛。

そのエピソードはただでさえ泣けるのに、先祖を思い浮かべて感謝し始めた私の涙腺を崩壊させた。

なんということだ。

制度が整っていない時代、戦時中、戦後、数々の試練を乗り越えてきた先祖たちがいるから、私がここにいる。

「命のバトン」とはよくいったものだなぁ。

いつの世も大変な時代だが、そもそも〝生きること〟自体が大変だ。
まだ半世紀すら生きていないが痛感している。

先祖たちが誰も生きることを諦めなかったから、その命のビッグツリーの末端に私がいる。

それを想像したら泣かずにはいられなくって。
同時になおざりに生きてたまるか、と心が奮い立ち。

それに自分が末端じゃなくなったとき、末端の世代に「いい思い」をさせたい。
何が、とは明確になっていないけど。

ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
沢山のやさしい手が添えられていたのだ

一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで

茨木のり子「自分の感受性くらい」〝知命〟より一部抜粋

人は誰もひとりで生きていないし、ひとりでは生きられない。
先祖だけでなく、出会った人、出会ったことがない人がいるからこそ私は生きていけるのだ。

親元を離れて数年、私はよくやってきた。
まずはそんな自分に花丸をあげよう。
お疲れ様、この世にたった一人しかいない自分。

それから今年の下半期は親孝行、先祖孝行をしていこう。

物や旅行に執着がない親だから、特別なものをあげるというより、一緒に美味しいものを食べて「美味しいね。幸せだね」と言い合う時間を増やしていくこと。

これが私なりの親孝行。

先祖孝行は何をすればいいかと悩んだけど、私が毎日満たされて平穏な生活を営むことが先祖孝行になるのかも。

お墓参りは行かない。

お墓には眠ってないし。
……遠いし(旭川の山奥)。

そう、今思い出した。

知り合いの〝視える人〟が「ご飯を食べる前に『(亡くなった)じいちゃん、ばあちゃん、一緒に食べよ』と言うと良い」と言っていた。

何に良いかは忘れたが、きっと亡くなった人を思い出してご飯をいただく行為は感謝することにつながるんだろうな。

小説「いま、会いにゆきます」では「亡くなった人は〝アーカイブ星〟に行って、地球で生きてる人がその人のことを覚えているうちはそこに留まれる」という設定がある。

〝アーカイブ星〟にいる祖父母たちに私の食事がコピーされてたらいいな(だって私は美味しいものを食べているんだもの)。

孤独感は人類が生命活動をする上で必要な感情だからなくすことはできなくとも、すでに多くを与えられていると気づくと少しは和らぐ。

感謝は胸の中のあたたかな光。

ついつい一人で生きている気になってしょぼくれがちな私だけど〝おかげ様精神〟を忘れずにこれからも。


ここまで読んでくれてありがとう!

ではまた次回。

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