《有料、冒頭試読》【73年考察/(6)-打者-「打率」首位打者&73シーズン打率ベスト10】
(写真 歴代複数回首位打者を獲得した3選手。左から2度・榎本喜八、5度・落合博満、2度・角中勝也)
(6)(打者編)「打率」首位打者&73シーズン打率ベスト10
まず、面白いランキングを紹介したい、現12球団の通算した打率ランキングだ。当然、巨人、阪神、オリックス、中日はNPB創成期からの球団であり。オリオンズ&マリーンズは戦後の新しい球団となるが、試合数に関わらず、これまでの通算打数と安打数から打率を算出した記録である。
【球団通算打率ランキング】
1位…ロッテ .25769(329212-84838) ※参入年(1950(S25)~)
2位…巨 人 .25740(369314-95060) ※参入年(1936(S11)~)
3位…ソフトバンク .52733(365196-93976) ※参入年(1938(S13)~)
4位…西 武 .25610(328269-84069) ※参入年(1950(S25)~)
5位…楽 天 .25479(84846-21618) ※参入年(2005(H17)~)
6位…オリックス .25317(369013-93422) ※参入年(1936(S11)~)
7位…日本ハム .25252(344544-87003) ※参入年(1946(S21)~)
8位…広 島 .25272(327353-82730) ※参入年(1950(S25)~)
9位…横浜DeNA .26259(327773-82791) ※参入年(1950(S25)~)
10位…阪 神 .25127(369418-92824) ※参入年(1936(S11)~)
11位…ヤクルト .25120(326816-82096) ※参入年(1950(S25)~)
12位…中 日 .25003(367301-91839) ※参入年(1936(S11)~)
2022年シーズン終了時点で、千葉ロッテマリーンズがトップに立っている。当然、球団の歴史が続く限り変動する数字であるが、ぜひとも覚えておいて欲しい記録から紹介した。
まず、チームのシーズン打率のベスト10から。
【チーム シーズン打率 ベスト10】
★1位….28709-1- 1985(昭和60)年(130試合)-2- (落合(.367)/リー(.328)/西村(.311))
★2位….28551-1- 1950(昭和25)年(120試合)-1- (別当(.335)/呉(.324)/土井垣(.322))
★3位….28245-1- 2005(平成17)年(136試合)-1- (今江(.310)/堀(.305)/フランコ、福浦(.300))
★4位….28085-1- 1986(昭和61)年(130試合)-4- (落合(.360)/リー(.331)/横田(.304))
★5位….28018-2- 1980(昭和55)年(130試合)-2-(前期V) (リー(.358)/レオン(.348)/有藤(.309))
★6位….27682-1- 1981(昭和56)年(130試合)-3-(前期V) (落合(.326)/リー(.302)/レオン(.301))
★7位….27410-4- 1979(昭和54)年(130試合)-4- (リー(.340)/白(.333)/レオン(.304))
★8位….27013-1- 1977(昭和52)年(130試合)-3- (有藤(.329)/リー(.317)/白(.281))
★9位….26983-2- 1971(昭和46)年(130試合)-2- (江藤(.337)/アルトマン(.320)/ロペス(.301))
★10位….26947-2- 1978(昭和53)年(130試合)-4- (リー(.317)/レオン(.316)/得津(.290))
※シーズン最低….2309 2022(令和4)年(143試合)
※NPB最高….297 ダイエー 2003(平成15)年
チームの歴代打率トップシーズンは稲尾監督2年目の1985(昭和60)年に記録した.287である。落合4,リー、西村と3人の3割打者を輩出したが、全体的に高打率の打者が多かった。
2位は球団参入初年度に記録した1950(昭和25)年の.285が入る。上位3人の他に本堂.306、河内.286とレギュラー陣が高打率を記録して日本一に輝いたシーズンだった・
3位にはマリーンズ時代の2005(平成17)年の.28245がマリーンズ時代唯一のランクイン。プレーオフからの日本一に輝いたシーズンの打率が入った。
以下、川崎球場時代の記録が並ぶ。稲尾監督3年目の1986(昭和61)年.28085が4位、山内政権下で2年連続前期優勝を飾った1980(昭和55)年の.280、1981(昭和56)年の.277が5位、6位、山内監督1年目の1979(昭和54)年の.274が7位と続く。8位には仙台から川崎球場に本拠地を移し後期優勝を果たした1977(昭和52)年.270が入った。
9位には唯一東京球場時代の1971(昭和46)年の.26983が入った。リーグ優勝を果たした翌年の打率。10位には金田監督最終年の1978(昭和53)年.26947がランクインした。
個人記録の1回目は打者記録の中から、球団史上最多獲得タイトルとなる「首位打者」をピックアップ。そして「打率」についてもランキングを考察する。
「首位打者」を多く輩出している球団は、セ・リーグが巨人、パ・リーグはオリオンズ&マリーンズだ。獲得回数を列挙すると
・巨人…25回(11人)
・ロッテ…18回(12人)
・オリックス…14回(6人)
・日本ハム…13回(5人)
・中日…12回(7人)
・DeNA…11回(10人)
・ソフトバンク…11回(9人)
・西武…9回(8人)
・阪神…9回(6人)
・ヤクルト…9回(6人)
・広島…7回(6人)
・楽天…2回(2人)
となる。ただ、人数で数えるとロッテは榎本、角中が2回、落合が5回獲得。巨人は王が5回、長嶋が6回獲得しているため、延べ人数では、ロッテ12人、巨人11人でロッテが最も多くの人数を輩出していることになる。
まずは、その首位打者の歴史から。
※打率の横にある( )内の数字は打数-安打
【歴代首位打者 一覧】
◎現役
★1957(昭和32)年…山内 和弘(25歳) .33103(435-144)/29本/81点/74四死 (132試合制)
★1960(昭和35)年…榎本 喜八(24歳) .34413(494-170)/11本/66点/79四死 (133試合制)
★1966(昭和41)年…榎本 喜八(30歳) .35084(476-167)/24本/74点/75四死 (引分再試合、東京は134試合)
★1971(昭和46)年…江藤 慎一(34歳) .33676(389-131)/25本/91点 (130試合制)
★1977(昭和52)年…有藤 道世(31歳) .32921(404-133)/16本/53点 (130試合制)
★1980(昭和55)年…レロンリー(32歳) .35787(489-175)/33本/90点 (130試合制)
★1981(昭和56)年…落合 博満(28歳) .32624(423-138)/33本/90点/76四死 (130試合制)
★1982(昭和57)年…落合 博満(29歳) .32468(462-150)/32本/99点/86四死 (130試合制)
★1983(昭和58)年…落合 博満(30歳) .33178(428-142)/25本/75点/66四死 (130試合制)
★1985(昭和60)年…落合 博満(32歳) .36739(460-169)/52本/146点/104四死 (130試合制)
★1986(昭和61)年…落合 博満(33歳) .35971(417-150)/50本/116点/104四死 (130試合制)
★1988(昭和63)年…高沢 秀昭(30歳) .32712(483-158)/14本/64点/41四死 (130試合制)
★1990(平成2)年…西村 徳文(30歳) .33790(438-148)/3本/38点/62四死 (130試合制)
★1991(平成3)年…平井 光親(25歳) .31445(353-111)/4本/34点/36四死 (130試合制)
★2001(平成13)年…福浦 和也(26歳) .34590(451-156)/18本/67点/63四死 (140試合制)
★2010(平成22)年…西岡 剛(26歳) .34564(596-206)/11本/59点/83四死 (144試合制)
★2012(平成24)年…◎角中勝也(25歳) .31237(477-149)/3本/61点/43四死 (144試合制)
★2016(平成28)年…◎角中勝也(29歳) .33905(525-178)/8本/69点/74四死 (143試合制)
2リーグに分裂した1950(昭和25)年以降、ロッテはなかなか首位打者に手が届かなかった。一番近づいたのは、同年日本一となった毎日時代の別当薫。本塁打王と打点王を獲得したが、首位打者には.0037差で大下弘(東急)に届かなかった。以降、大映・飯島滋弥、南海・岡本伊三美、阪急・レインズ、西鉄・中西太、豊田泰光と毎日と近鉄以外の球団から首位打者が排出されたが、毎日が唯一手に出来ないタイトルだった。
1952(昭和27)年に入団した山内和弘は54(S29)年4位、55(S30)年2位、56(S31)年3位と毎年打率争いの上位にいたが、ようやく1957(昭和32)年に待望の首位打者を獲得。球団史上初の首位打者となった。
2人目はリーグ制覇を遂げた大毎時代の1960(昭和35)年の榎本喜八。この年、ミサイル打線が爆発し榎本が首位打者に輝いたが、榎本以下、2位・山内.3173、3位・田宮謙次郎.3126と上位を独占。6位にも.2945で葛城隆雄が入り、打撃ベストテンに4人が入った。
翌61(S36)年、首位打者には届かなかったものの、榎本は180安打を放つ。これは長らくシーズン最多安打の球団記録となったが、打率は東映・張本勲の.3316に届かず.3315。1毛差という僅差で首位打者には届かなかった(張本は159本)。東京時代の1966(昭和41)年に榎本は2度目の首位打者に。球団初の2度目の獲得だった。
ロッテとなって初代は1971(昭和46)年、前年トレードで中日から移籍した江藤慎一が獲得。江藤は中日時代の1964(昭和39)年、1965(昭和40)年とセ・リーグで2度獲得しており、自身としては3度目の首位打者。当時、史上初の両リーグ首位打者となった。
4人目(5度目)の首位打者となったのは、1977(昭和52)年の有藤道世。満身創痍の体で獲得したミスターロッテの唯一の勲章となった。
そして、新ミサイル打線と呼ばれた1980(昭和55)年から首位打者はロッテのお家芸となる。1980(昭和55)年にリーが初獲得。入団年の1977(昭和52)年の本塁打、打点に続く三冠タイトルの獲得となった。
1981(昭和56)年からは3年連続で落合博満が獲得。82(S57)年には球団史上最年少となる三冠王を獲得。84(昭和59)年は阪急・ブーマーに譲り、そのブーマーが三冠王を獲得した。しかし、85(S60)年には首位打者を取り返すとともに、現在でも球団記録として残る52本塁打、146打点で2度目の三冠王を獲得。翌86(S61)年にも3度目の三冠王を獲得。三冠王3度獲得は日本球界でただ一人の記録。また、この年の出塁率.487は現在もプロ野球最高記録として残っている(85(S60)年の.4806は歴代2位)。
落合が移籍した後、長打力は大きく減少したが、バットコントロールに秀でる打者は続く。1990(平成2)年には4年連続盗塁王の西村徳文がケガで出遅れるも、打撃改造に成功して首位打者を獲得する。翌91(H3)には平井光親が後半レギュラーに定着してギリギリ規定打席に到達して首位打者を獲得した。平井の111安打は過去最も少ない安打数での首位打者として現在も記録に残っている。
千葉に移転し、マリーンズとなって初めて首位打者を獲得したのは、投手として入団し、1年目に打者に転向した福浦和也。マリーンズ10年目のことだった。一軍に定着し前年は惜しくも.296と3割に届かなかったが、2001(平成13)年に.346で輝いた。ただ、以降長らく打線をけん引した福浦は球団史上3人目となる2000本安打を達成したが、タイトルはこの年の首位打者だけだった。
「下剋上」と言われ、シーズン3位から日本一となった2010年(平成22)年には西岡剛が爆発する。開幕戦からヒットを積み重ね、榎本の球団記録180安打を更新し、球団史上初となる200安打を突破。206安打で首位打者に輝いた。
2012(平成24)年、新たなヒットメーカーが誕生する。前年二軍で最高出塁率のタイトルを獲得した6年目の角中勝也が登場する。開幕は二軍スタートとなったものの、合流するとヒットを重ね、交流戦でも好調さをキープして交流戦打率を.349とし、交流戦首位打者を獲得する。終盤、ケガもあり一時は調子を落として3割を切ったものの再び打率を上げ、独立リーグ出身者として初の規定打席到達と初の首位打者に輝いた。
角中はその後3年間3割を切ったが、2016年(平成28)年に再び開幕から順調にヒットを積み重ね3番に定着。2位に2分4厘の差をつけて2度目の首位打者となった。この年、角中の安打数は榎本の180安打にあと2本と迫る球団史上3位の178安打を記録した。
では、シーズン打率をランキング化してみる。
【歴代シーズン打率 ベスト10】
◆1位…落合 博満 .36739【首位打者】1985(昭和60)年 ※NPB100傑14位
◆2位…落合 博満 .35971【首位打者】1986(昭和61)年 ※NPB100傑24位
◆3位…レロンリー .35787【首位打者】1980(昭和55)年 ※NPB100傑31位
◆4位…榎本 喜八 .35084【首位打者】1966(昭和41)年 ※NPB100傑51位
◆5位…福浦 和也 .34590【首位打者】2001(平成13)年 ※NPB100傑74位
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