《全文無料》【マリーンズ略史 92~05/-60- 1994年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録】
(写真 左から、八木沢荘六監督、伊良部秀輝、ヘンリー・ミューレン)
(60)1994年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録
【史上初、サヨナラ振り逃げ許す】
6月12日のオリックス12回戦(神戸)でNPB史上初の珍記録が生まれた。マリーンズは3回表に3点を奪って先行。しかし7回裏に同点に追いつかれ、試合は延長に入った。そして10回裏、9回裏からマウンドに上がっていた成本年秀が2安打と1四球で二死満塁のピンチを招く。最後は三振に仕留めるも、それを捕手定詰雅彦が捕逸。3塁からサヨナラの走者がホームを踏みサヨナラとなった。「振り逃げサヨナラ」が史上初めて生まれた。
ただ、記録上は3塁走者がホームインした時点で試合終了となり、打者は振り逃げではなく「三振」が記録され「捕逸」サヨナラとなり、打者には「残塁」が記録された。
《現在》2014年5月6日のソフトバンクー日本ハム戦でも同様のケースが発生している。
【愛甲、新たな勲章「6試合連続二塁打」】※NPB・リーグタイ記録、球団タイ記録
1992年に連続フルイニング出場、19993年に連続試合出場が止まった愛甲猛だったが。1994年に新たな勲章が加わった。
5月28日の近鉄6回戦(藤井寺)で二塁打を放つと、翌29日の7回戦、31日からのダイエー9、10回戦(宮城)は出場機会がなかったものの、続く3日の日本ハム9回戦、翌4日の10回戦(千葉マリン)では各試合2本の二塁打を記録。5日の11回戦では最終打席で二塁打を放ち5試合連続二塁打と伸ばした。そして、7日の近鉄8回戦(千葉マリン)では6回裏の第3打席で同点に追いつくタイムリー二塁打を放、NPB・リーグ・球団ともタイ記録となる「6試合連続二塁打」を記録した。
6試合連続二塁打はリーグで5人記録しているが、マリーンズが3人記録している記録。球団史上愛甲は、三宅宅三(1952年7月24日~30日)、山内和弘(1959年6月18日~25日)、山崎裕之(1971年7月29日~8月3日)に続く4人目、リーグでは1965年に阪急・ウィンディ、1972年に阪急・加藤秀司が記録しており6人目となる。
《現在》7試合連続二塁打がNPB・リーグ記録として更新されている。2009年に日本ハム・金子誠が、2021年に日本ハム・金子健介が記録している。
【八木沢監督、シーズン途中休養】
マリーンズ初代監督の八木沢荘六監督は1992年6位、1993年5位と下位に低迷。上位浮上を賭けた1994年だったが、開幕3連敗スタート後、序盤に7連敗など喫して下位に沈む。その後は借金1まで立て直すも、7月に9連敗と6連敗を喫し浮上の気配が見えないことから、8月2日に「八木沢監督の休養と中西太ヘッドコーチの代理監督就任」が発表された。
球団史上、病気や制裁による一時離脱を除き、シーズン中の監督交代は5度目。過去の監督途中交代は…
◆1952年、総監督湯浅禎夫、監督兼外野手別当薫(現在のキャプテン)体制だったが、7月16日に平和台で起きた引き延ばし日没中止が騒動となったことから、27日に湯浅総監督を更迭。別当が監督兼任として指揮を執った。翌53年は湯浅総監督が復帰、若林忠志が監督兼投手として2年ぶりに復帰、別当は選手に専任した。
◆1965年、3シーズン目を迎えた本堂安次監督だったが、開幕直後こそ好調だったものの抜け出した南海に大きく水を開けられ5位に低迷したことから、6月10日に本堂監督の休養と濃人渉ヘッドコーチの監督代行就任を発表した。
◆1967年、球団創設時の4番戸倉勝城が監督就任。しかし開幕から6連敗、32イニング無得点と低迷すると、6月19日に濃人渉ヘッドコーチが2度目の代行監督に就任した。翌1968年に農人は監督に就任した。
◆1971年、7月13日に起きた放棄試合の責任を取る形で農人監督、近藤ヘッドコーチを更迭。大沢啓二二軍監督が一軍監督に昇格した。
【伊良部、マリーンズ初タイトル獲得】
前年までローテーションには加わっていたものの、結果は今一つだった伊良部だったが7年目となった1994年に開花した。
開幕2戦目に先発。1失点完投ながら打線の援護なく黒星発進だったが、3試合目先発の4月22日の日本ハム3回戦(千葉マリン)で自身プロ初完封で今シーズン初勝利。以降、安定したピッチングを見せたが、打線とのかみ合わせが悪く5連敗を記録する。それでも、前半は8勝7敗、防御率は2.01で防御率、奪三振のトップに立つ。
後半は8月13日の西武21回戦(西武)で9勝目を挙げてから、シーズン最終先発となった10月4日のダイエー26回戦(千葉マリン)まで7連勝をマーク。最多勝争いを繰り広げていた各投手を抜き去り15勝で最多勝を獲得。最多奪三振も手にし、マリーンズ初のタイトルホルダーとなった。ただ、防御率は後半に入り徐々に落とし3.05。最後は西武の抑えの新谷博が規定投球回に到達し、逆転を許した。伊良部は最終戦に1回を投げ3.04、新谷は2.91だった。
伊良部はこのシーズン、いくつかの記録をマークした。
【1イニング3暴投】※NPBタイ記録
9月28日の日本ハム25回戦(東京D)、先発伊良部は立ち上がりの1回裏、3つの暴投を記録した。1イニング3暴投は4人目。球団では1987年6月14日近鉄11回戦(ナゴヤ)以来2人目。
《現在》現在もNPBタイ記録。伊良部以降12人が記録し、現在まで16人が記録。マリーンズでは小林雅英が2004年5月15日のダイエー8回戦(千葉マリン)で記録している。
【毎回奪三振】※球団タイ記録 8度目(7人目)
伊良部は今シーズン最後の先発となった10月4日のダイエー26回戦(千葉マリン)で11個の三振を奪ったが、自身初となる毎回三振を記録した。球団史上8度目(7人目)。
《現在》伊良部は翌1995年4月29日の西武戦でも記録しており、球団史上2度記録しているのは成田文男に次ぎ2人目。成瀬善久も2度記録。現在まで13度(10人)記録している。
【ミューレン、135三振の球団新記録】※球団新記録
このシーズンから入団し、打線の核として期待されたヘンリー・ミューレンだったが、23本塁打69打点、打率.248と今一つだった。特にバットが空を切ることが多く、三振は135個を喫した。シーズン135三振は球団新記録。それまでの記録は1990年に愛甲が記録した112三振だった。
なお、NPB・リーグ記録は1990年の近鉄・ブライアントの204三振。
《現在》2010年に金泰均の140三振が球団記録。ミューレンは球団2番目。ブライアント204三振は現在も唯一の200三振超えのNPB記録。
(次回)⇒(61)勝負強かったハワイアン・ベニー アグバヤニ
----- マリーンズ略史 92~05 INDEX ------
【年度別出来事編】
【~1991(平成3)年】
(1)《全文無料》『千葉移転前夜』
(25)《全文無料》 オリオンズ~マリーンズ ファンクラブ略史
【1992(平成4)年】
(2)《全文無料》『千葉移転元年 4月ダッシュも最下位に沈む』
(42)《全文無料》移転直後の快進撃
(57)《全文無料》5試合で4完封
【1993(平成5)年】
(3)《有料・冒頭試読》『最下位脱出も大差の5位に低迷』
(54)《全文無料》1993年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録
【1994(平成6)年】
(4)《有料・冒頭試読》『八木沢監督休養、2年連続5位に終わる』
(60)《全文無料》1994年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録
【1995(平成7)年】
(5)《有料・冒頭試読》『球団改革断行、千葉移転後初のAクラス』
(21)《全文無料》風しん蔓延で主力が消えた14日間
(45)《全文無料》胴上げ阻止、神戸3連戦
【1996(平成8)年】
(6)《有料・冒頭試読》『投手充実も、得点力不足否めず5位低迷』
【1997(平成9)年】
(7)《有料・冒頭試読》『中盤反攻も迫力不足否めず最下位に沈む』
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(8)《有料・冒頭試読》『18連敗「七夕の悪夢」もチーム力は向上気配』
(20)《全文無料》なぜ18連敗を喫したのか?
(22)《全文無料》ユニホーム応援が広がったのはロッテから
(33)《全文無料》黒木2冠と小坂の盗塁王騒動
【1999(平成11)年】
(9)《有料・冒頭試読》18年ぶり「七夕首位」も、連敗喫して4位低迷』
(18)《有料・冒頭試読》熱く育てた山本監督の5シーズン (1999年~)
(28)《全文無料》18年ぶり首位「七夕の歓喜」狂騒曲
(38)《全文無料》前半快進撃支えた「ボーリック神話」(1999年)
【2000(平成12)年】
(10)《有料・冒頭試読》『4月出遅れ5割届かず5位低迷』
(52)《全文無料》乱打戦で連夜の日本タイ記録
【2001(平成13)年】
(11)《有料・冒頭試読》『世代交代、福浦首位打者、小林雅パ記録もエース後半離脱』
【2002(平成14)年】
(12)《有料・冒頭試読》『開幕11連敗が響き借金5の4位に終わる』
(39)《全文無料》あわや、開幕連敗記録に王手
【2003(平成15)年】
(13)《有料・冒頭試読》『終盤に先発安定、9月快進撃も4位で山本監督辞任』
(47)《全文無料》2003年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録
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(14)《有料・冒頭試読》『ボビー復帰、新制度プレーオフ進出に0.5ゲーム差』
(17)《有料・冒頭試読》「ボビーマジック」とは何だったのか(2004年)
(19)《有料・冒頭試読》巻き込まれた、球界再編騒動
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(15)《有料・冒頭試読》『プレーオフで逆転優勝、阪神破り31年ぶり日本一』
(16)《全文無料》(付録)『ポストシーズン詳細、二軍合わせて6冠王者成』
(49)《全文無料》45年ぶりの12連勝(2005年)
(62)《全文無料》2005年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録
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【選手編/投 手】
(23)《有料・冒頭試読》チーム支えたエースの苦悶・黒木知宏(1995~2007年在籍)
(26)《有料・冒頭試読》ルーキーからフル回転左腕・藤田宗一(1998年~2007年在籍)
(27)《有料・冒頭試読》低迷期支えたエース、復帰後はリリーフで日本一・小宮山悟(1990年~1999年、2004年~2009年在籍)
(30)《有料・冒頭試読》抑えの切り札への道・小林雅英(1999年~2007年在籍)
(32)《有料・冒頭試読》マリーンズ初タイトル剛腕エース・伊良部秀輝(1988年~1996年在籍)
(35)《有料・冒頭試読》強気なマウンド、マリーンズ初代クローザー・河本育之(1992年~1999年在籍)
(37)《有料・冒頭試読》マリーンズ初の最優秀救援投手から手術へ…・成本年秀(1993年~2000年在籍)
(40)《有料・冒頭試読》7年目のブレーク「サンデー晋吾」(1994年~2013年在籍)
(43)《有料・冒頭試読》先発の柱サブマリン・渡辺俊介 (2001年~2013年在籍)
(44)《有料・冒頭試読》中継ぎ切り札から先発の柱へ・小林宏之(1997年~2010年在籍)
(47)《有料・冒頭試読》絶対的エースの信頼・清水直行 (2000年~2009年在籍)
(50)《有料・冒頭試読》球団創設年以来55年ぶりの快挙・久保康友(2005年~2008年在籍)
【選手編/打 者】
(24)《有料・冒頭試読》二軍成長記・福浦和也(1994~2019在籍)
(29)《有料・冒頭試読》打線を支え愛された背番号6・初芝清(1989年~2005年在籍)
(31)《有料・冒頭試読》オリオンズ最後の戦士・堀幸一(1989年~2009年在籍)
(34)《有料・冒頭試読》マリーンズ初の新人王、盗塁王・小坂誠(1997年~2005年在籍)
(36)《有料・冒頭試読》「14打席連続出塁」の大記録樹立・南渕時高(1990年~1997年在籍)
(41)《有料・冒頭試読》裏から支えたバイプレーヤー・諸積兼司(1994年~2006年在籍)
(48)《有料・冒頭試読》千葉で途切れた連続記録・愛甲猛 (1981年~1995年在籍)
(51)《有料・冒頭試読》オリオンズ最後のタイトル・平井光親 (1989年~2002年在籍)
【選手編/助っ人】
(53)《有料・冒頭試読》中4日のタフネスエース・ネイサン ミンチー(2001年~2004年在籍)
(54)《有料・冒頭試読》「神話」と「ナイト」の勝負強さ・フランク ボーリック(1999年~2002年在籍)
(56)《有料・冒頭試読》安定感抜群の助っ投・エリック ヒルマン(1995年~1996年在籍)
(58)《有料・冒頭試読》 窮地を救ったストッパー ブライアン・ウォーレン(1998年~2000年在籍)
(59)《有料・冒頭試読》「いつか必ずロッテに帰ってくる」の約束果たした フリオ・フランコ(1995年、1998年在籍)
(61)《有料・冒頭試読》勝負強かったハワイアン・ベニー アグバヤニ(2004年~2009年在籍)
(63)《有料・冒頭試読》つなぎ役&勝負強さを兼ね備えた助っ人・マット フランコ(2004年~2006年在籍)
(64)《有料・冒頭試読》韓国の英雄が苦しんだ2シーズン・李承燁(2004年~2005年在籍)
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