《有料、冒頭試読》【ロッテ球団73年考察/(31)-打者-「死球」73シーズン歴代ベスト10】
(写真 歴代シーズン、通算ベスト10で唯一オリオンズ時代の選手として名前を連ねたマドロック)
(30)-打者編-「死球」73シーズン歴代ベスト10
前回の四球、敬遠に続き、今回は死球の73シーズン考察を。
死球は四球とともに出塁するための大きな武器ではあるが、ケガをする可能性も高く打者は出来れば避けたい記録でもある。ただ、上手く避けながら死球を得る打者もいる一方で、避けるのが上手くなくケガにつながる選手も多い。また、強打者は厳しいところを突かれると睨み返したり、投手返しをしたりという駆け引きで厳しいところを「投げさせない」強打者もいた。
そんな背景を頭に入れて、今回のランキングをご覧頂きたい。
【チーム死球 10年ごとの最多シーズン 一覧】
★創設年 1950(昭和25)年…9死球 ※球団史上最少
★1951~1960(S35)最多年…1960(昭和35)年 40死球
★1961~1970(S45)最多年…1968(昭和43)年 46死球
★1971~1980(S55)最多年…1973(昭和48)年 45死球
★1981~1990(H2)最多年…1988(昭和63)年 50死球
★1991~2000(H12)最多年…1991(H3)、1992(H4)年 36死球
★2000~2010(H22)最多年…2006(H18)年、2009(H21)年 63死球
★2011~2021(R3)最多年…2018(平成26)年 87死球 ※球団史上最多
★直近年 2023(令和4)年…69死球
チーム死球もランキングは2000年代が並ぶため、死球についても創設年、10年ごとに区切った最多シーズン、直近の昨シーズンと数字を並べた。
創設年は9死球。球団史上唯一の1ケタを記録した。その後、球団スタート当初5年は10~20死球台だった。以降、シーズンにより上下はあるものの、30~40死球台で長年推移した。
1988(昭和63)年に初めて50死球を記録したが、これは自内角球も避けなかったマドロックが14死球を記録したことが大きかった。
死球数に大きな変化が現れたのは2000年代に入ってから。2002(平成14)年に57死球を記録すると、以降50個前後で推移。2006(平成18)年には60死球を突破して63死球を記録、以降70死球も突破し、2018(平成26)年 には球団史上最多となる87死球を記録した。
2000年代に入ってから急激に死球が増えた要因として言われているのは、打者の防具の着用だと言われている。ヒジと足首にプロテクターを着用したことにより、打者が踏み込んで打つようになり、多少の死球も避けなくなっていることが大きい。
このため、シーズン個人記録も1人を除き2000年代の記録が並ぶ。
【歴代シーズン死球ベスト10】
◎現役 △移籍して現役 ※100傑横-Tはタイの略
◆1位…◎中村奨吾 22死球【パ1位】2018(平成30)年 ※NPB100傑5位-T
◆2位…△鈴木大地 18死球【パ1位】2017(平成29)年 ※NPB100傑15位-T
◆3位…福浦 和也 17死球【パ1位】2002(平成14)年 ※NPB100傑19位-T
◆〃 …△鈴木大地 17死球(パ2位)2018(平成30)年 ※NPB100傑19位-T
◆〃 …マーティン 17死球【パ1位】2020(令和2)年 ※NPB100傑19位-T
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