《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/46】「44」顔に育てた山本功児、井上晴哉の背番号44】
(写真 中央・ドラ2ルーキー宮崎龍成が20代を引き継ぐ、左上から・二軍で首位打者も一軍で結果を出せなかった6代石谷訓啓、巨人から移籍して花開いた11代山本功児、右上から・川崎から千葉で活躍バイプレーヤー12代島田茂、移籍後マスクで貢献した14代吉鶴憲治、2年連続20本超えアジャこと19代井上晴哉)
(46)「44」顔に育てた山本功児、井上晴哉の背番号44
背番号44と言うと井上晴哉を思い浮かべる人が多いだろう。今シーズン11年目となる44はチームの顔となっているが、それもそのはず11年は背番号44の歴代最長でもある。ただ背番号44の系譜を辿ると、44で実績を挙げて若い背番号に変更した「出世番号」とした選手は少なく、逆に井上のように44を顔とした選手がいた。オリオンズ時代は後に監督となった山本功児、千葉移転時に44を背負った島田茂、マスクを被った吉鶴憲治と44に愛着を持ち、自分の顔とした選手の系譜でもある。
----- 現在の背番号「44」 -----
★《20代》2025(R7)年~・25年は1年目 宮崎 竜成(みやざき りゅうせい) 内野手(25年は在籍1年目)
2000(H12)年12月9日生(入団時24歳)、右投左打
(出身・徳島)岡山・創志学園高–立命館大–ヤマハ–千葉ロッテ(25〜)
【宮崎 竜成 背番号変遷】44(1)
2024(R6)年のドラフト2位で社会人・ヤマハから入団した宮崎竜成が、背番号44を引き継いだ。
高校時代は3年次に夏の甲子園に出場し、大学では主将を務めた。ヤマハでは2年目の24(R6)年から二塁のレギュラーに定着した。173センチと小柄だが、パワフルな打撃が持ち味。
----- オリオンズ&マリーンズ「44」の系譜 -----
※1950(S25)~1951(S26)年 空番
★《初代》1952(S27)年・1年 西 省昭(にし) 捕手(在籍1年)
生年月日不明(入団時22歳)、右投右打
岡山・倉敷商業高‐毎日(52)
【西 省昭 背番号変遷】44(1)
1952(S27)年に岡山・倉敷商業高校を卒業し、アマチュアで野球を続けていた西省昭が入団。2年間空番だった初代背番号44を背負った。
若手軍強化のために入団した20名の一人だったが、一軍では出場機会なく1年限りで退団した。
<一軍未出場>
★《2代》1953(S28)年・1年 鵜飼 昭雪(うかい あきゆき) 捕手(在籍5年)
1934(S9)年4月25日生(入団時18歳)、右投右打
愛知・享栄商業高‐毎日(53~57)
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