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《有料、冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-66- 球団史上最強のスイッチヒッター・西岡剛】


(66)球団史上最強のスイッチヒッター・西岡剛

 トップバッターとしてチームを引っ張った西岡。2年目にスイッチバッターに転向して頭角を現し、2005年には初タイトルとなる盗塁王を獲得してレギュラーに定着した。その裏には自らの決断、巡り合わせが重なっていたことも大きかった。

 ルーキーイヤーから3年目2005年の3年間の西岡を振り返ってみたい。

 【力の差を実感したルーキーイヤー】

 大阪桐蔭高で42本塁打を記録して2002年のドラフト1位、背番号は7。チームを背負う打者として期待が大きかった。ルーキーイヤーの2003年はキャンプも一軍に帯同した。しかし、西岡自身は「とてもじゃないが通用しない」と痛感したという。6月21日に一軍登録され、7試合に出場し6月28日のオリックス15回戦(千葉マリン)で初安打も記録し、9打数3安打を記録したが、力の差は明らかだった。山本功児監督も「現状の自分の力が分かったと思う。これでさらに力をつけてして欲しい」と二軍で精進することを期待した。
 その二軍でも苦しんだ。スタメンに名前は連ねたものの打率が上がらない。同期の早坂が順調に数字を残していることも西岡に火を点けた。しかし、1年目は二軍で規定打席に到達したものの、打率.216に終わった。何より盗塁は成功は10個、失敗は7個で盗塁成功率は.588だった。早坂が.打率.258、盗塁は22個(成功率.733)で盗塁王に輝いた。「早坂がタイトルを獲ったのは嬉しかったけれど、悔しかったですね。バットを振っても振っても結果が出ないし…」。西岡のルーキーイヤーが終わった。
 結果を出せなかった要因の一つは対左投手だった。苦手意識も芽生えつつあった。スイッチに転向するという考えも浮かんだが「左で結果が出ていない。右で結果が出せなかったら…」との思いが強かった。

 【転機の2年目、スイッチ挑戦】

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