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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/54】「52」大沢親分から立川、塀内、そしてマウンドで躍動する52へ

割引あり

(写真 中央・18代現在の益田直也、左上・後の大沢親分こと10代大沢啓二監督、左下から・球団初の盗塁王西田孝之も出発は52、右上・地元千葉の強打者立川隆史、右下・ケガから復活10年背負った塀内久雄)


 ※名前横に【サイン】がある選手は、サイン写真が掲出されています(クリックで拡大)

(54)「52」大沢親分から立川、塀内、そしてマウンドで躍動する52へ

 背番号52は、益田直也の背番号として定着している。系譜を振り返っても、歴代で最も52を躍動させていることは間違いない。
 毎日時代は星野武男が18から変更して初代として背負い、2代はカイリーとともに進駐軍から「アルバイト」として入団したフッドが3ヶ月だけ継いだ。東京時代は球団初の盗塁王西田孝之が1年だけ背負い30へ、そして21へと変更した。
 ロッテとなって最初に52を背負ったのは10代大沢親分。コーチ、二軍監督をえて、39歳で青年監督として抜擢された。
 マリーンズでは立川隆史、塀内久雄と野手の番号となったがそれぞれ変更した。そして今、益田直也が歴代52番最高のプレーヤーとなっている。

----- 現在の背番号「52」 -----

 ★《18代》2012(H24)年〜2024(S28)年・13年目 益田 直也(ますだ なおや) 投手(在籍13年目)

  1989(H1)年10月25日生(入団時22歳)、右投右打
  和歌山・和歌山商業高−関西国際大−千葉ロッテ(12〜)

 【益田 直也 背番号変遷】52(13)
 2011(H23)年のドラフト4位で関西国際大学から入団した益田直也が、背番号52を引き継いだ。
 12(H24)年のルーキーイヤーから開幕一軍入り。3月30日の楽天開幕戦でプロ初登板を果たすと、翌31日の2回戦では2番手として初ホールドを記録する。以降、ルーキーながらセットアッパーを任されると、安定感のあるマウンドを見せ、オールスターにも初出場を果たす。後半になると抑えも任され、8月5日のオリックス戦で初セーブ、30日の楽天戦ではプロ初勝利も記録する。最終的にルーキーイヤーは72試合に登板し2勝2敗41ホールド1セーブ、防御率1.67を記録した。72試合登板は新人最多登板、41ホールドは新人最多ホールドと新人記録を更新し、新人王に選出された。
 翌13(H25)年は抑えの薮田安彦が出遅れたために抑え役を任される。抑えでも安定感を発揮。特に5月は2リーグ制後最多タイとなる月間18試合登板、球団新記録の月間10セーブを記録する。シーズン通して抑えを務め、最終的にリーグ最多となる68試合に登板、2勝6敗9ホールド、セーブは33を記録し、最多セーブのタイトルを獲得。防御率も2.76だった。
 14(H26)年も抑えを期待されたが、右ヒジ違和感で出遅れる。開幕直後に一軍合流も抑えに回った西野勇士が結果を出していたため、西野につなぐ8回を任される。しかし、安定感を欠く試合も見られ、後半は8回のセットアッパーからも外れる。最終的に52試合に登板し7勝3敗23ホールド1セーブだったが、防御率は4.94と安定感を欠いたシーズンとなった。
 15(H27)年も安定感を欠く状態が続いた。開幕一軍入りを果たしたものの、4月下旬には抹消。1ヶ月後に一軍復帰したものの、シーズン通して大事な場面での登板は少なく、51試合に登板したものの、防御率は3.91(3勝2敗11ホールド)に終わった。
 16(H28)年は筋力強化の効果もあり、球速を取り戻して開幕を迎える。セットアッパーとして開幕から安定感あるマウンドを見せる。3年ぶりにオールスターにも出場。後半は抑えの西野が離脱すると抑えに回る。一時右ヒジのハリから間隔を空けたものの、61試合に登板、防御率1.83と安定感を発揮。3勝2敗21ホールド14セーブだった。
 17(H29)年は抑え役に指名され開幕を迎える。しかし、開幕から安定感を欠く。セットアッパーに回るも状態が戻らず5月には抹消される。約2週間で復帰を果たすも安定感は戻らない。8月には再び抹消され、そのままシーズンを終えた。最終的に31試合の登板に留まり、防御率は5.09、勝ち星なく0勝4敗6ホールド9セーブと苦しいシーズンとなった。
 18(H30)年は二軍落ちすることなくシーズンを通したが、安定感を維持出来なかった。防御率は3.08と前年よりも良かったが、2勝6敗17ホールド3セーブと、ここ一番で踏ん張りきれないマウンドも見られた。
 19(R1)年も抑えに指名されシーズンイン。開幕戦で最後をピシャリと締めてシーズン初セーブを挙げると、抑えとして安定したマウンドを見せ、前半は14セーブを挙げる。後半も抑えを務め、最終的に60試合に登板、4勝5敗12ホールド27セーブ、防御率2.15と好投を見せたシーズンとなった。オフには国内FA権を獲得したが、宣言せずに残留した。
 20(R2)年は新型コロナ禍の影響で6月開幕となったが、厳しい条件下ながら抑え役を果たす。8月7日のオリックス10回戦(京セラD)で史上33人目となる通算100セーブを達成。すでに通算100ホールドを達成しているため史上5人目、球団初の通算100ホールド&100セーブ達成する。シーズン最後まで抑え役を全うし、リーグ最多の54試合に登板、3勝5敗5ホールド31セーブ、防御率2.25と本来の安定感を発揮し、CSで敗れたものの、13年ぶりのチーム2位に貢献した。
 21(R3)年も抑え役としてシーズンに入るも、2試合続けてサヨナラ負けを許すスタートとなる。しかし、以降は本来の益田らしさを取り戻し、5月は月間リーグトップタイの8セーブ、月間防御率0.90と安定した内容を見せ、5年ぶりとなるオールスターに出場する。後半も安定した抑えを見せセーブを積み重ねる。10月24日の日本ハム23回戦(ZOZOマリン)で38セーブ目を挙げ、小林雅英の持つシーズン37セーブの球団記録を更新した。最終的にリーグ最多の67試合に登板し、3勝6敗38セーブで8年ぶりにセーブ王のタイトルを獲得。防御率も2.24だった。また、このシーズンは新型コロナの影響で9回打ち切りのルールが取られ引分が急増。益田も同点の場面で引分に持ち込まれるケースが増え、18引分のNPB新記録もマークした。CSでも抑えとしてFS進出を果たしたが、そのFSでは負けたら終わりの場面でサヨナラを許してシーズンを終えた。
 22(R4)年も抑えとしてマウンドに上がる。しかし、安定感を欠く内容で一度戦線を離れる。一軍に帯同しながら再調整し、5月からは徐々に本来の状態を取り戻す。6月11日のDeNA戦でNPB史上3人目となる通算150セーブ・150ホールドを達成するなど安定し、オールスターに出場を果たす。しかし、後半に入ると状態を落とし、8月20日には登録を抹消される。9月に復帰も安定感を欠き、セットアッパーとして失敗する場面も見られた。最終的に52試合に登板したものの、1勝2敗8ホールド25セーブ、防御率3.29と精細を欠いたシーズンとなった。
 23(R5)年も抑えとしてシーズンイン。このシーズンは安定感を取り戻す。6月16日のDeNA戦でプロ野球史上10人目となる通算200セーブを達成した。しかし、交流戦後は不安定なマウンドが続き、後半は打ち込まれるケースも目立った。10月には発熱で特例抹消もされ、最終的に58試合に登板、防御率3.71、2勝5敗13ホールド36セーブだった。

  (23年シーズン終了時)
 ◆投手成績<703試合、32勝48敗218S166H、防2.94、0先発、0完封、626奪三振>
 ◇初登板<2012(H24)年3月30日開幕戦・楽天1回戦/R(Kスタ)/2番手/0.1回0失>
 ◇初ホールド<2012(H24)年3月31日・楽天2回戦/R(Kスタ)/2番手/1回0失>
 ◇初セーブ<2012(H24)年8月5日・オリックス14回戦/R(京セラD)/5番手完了/1回0失>
 ◇初勝利<20122(H24)年8月30日・楽天19回戦/H(QVCマリン)/2番手/1回0失>
 ◇オールスター出場/5回(12、13、16、21、22)

 ※在籍時に獲得されたタイトル
  ◆最多セーブ/2回(2013、2021年)
 ※在籍時に選出された表彰
  ◆新人王(2012年)
  ◆月間最優秀バッテリー賞(2020年8月/捕手・田村龍弘)
  ◆ゴールデンルーキー賞(2012年)
 ※在籍時に達成した記録
  ◆月間18登板(2013年5月)最多タイ記録(他に4人)
  ◆1球勝利(2014年9月9日・西武22回戦(QVCマリン)史上38人目
  ◆1球セーブ(2021年6月4日・横浜DeNA1回戦(横浜)史上62人目、68度目
  ◆1球勝利、1球セーブを両方達成 史上4人目、パ・リーグ史上初
  ◆同一球場通算100セーブ(2023年5月18日・オリックス8回戦(ZOZOマリン)史上4人目、パ・リーグ史上初
  ◆シーズン18引分(2021年)史上最多
  ◆シーズン67交代完了(2021年)史上最多
  ◇100ホールド(2016年7月23日・楽天12回戦(楽天Kobo)史上24人目)
  ◇100セーブ(2020年8月7日・オリックス10回戦(京セラD)史上33人目)
  ◇500試合登板(2020年8月28日・オリックス13回戦(京セラD)史上102人目)
  ◇150セーブ(2021年9月8日・オリックス18回戦(ほっともっと)史上17人目)
  ◇600試合登板(2022年4月12日・ソフトバンク4回戦(長崎ビッグN)史上43人目)
  ◇150ホールド(2022年6月11日・横浜DeNA2回戦(ZOZOマリン)史上10人目)
  ◇200セーブ(2023年6月16日・横浜DeNA1回戦(横浜)史上10人目、672試合目での達成は史上最遅
  ◇700試合登板(2023年9月27日・日本ハム24回戦(エスコンF)史上18人目、救援登板のみでの達成は史上3人目、プロ入り12年目での達成は史上最速)
  ◇100ホールド100セーブ 史上5人目
  ◇150ホールド150セーブ 史上3人目
  【新人記録】
  ◇新人シーズン72登板(2012年)新人史上最多
  ◇新人シーズン41ホールド(2012年)新人史上最多

----- オリオンズ&マリーンズ「52」の系譜 -----

※1950(S25)~1951(S26)年 空番


 ★《初代》1952(S27)年・1年 星野 武男(ほしの たけお) 投手(在籍3年)

  1929(S4)年5月20日生(入団時20歳)、右投右打
  愛知・旧制愛知県商業学校−三菱重工業−東洋紡富田−毎日(50〜52)

 【星野 武男 背番号変遷】18(2) ⇒ 52(1)
 → 星野武男 背番号 18 へ(試読エリア)
 1952(S27)年に3年目を迎えた星野武男が、シーズン中に背番号を18から52に変更し、初代背番号52を背負った。変更時期と理由は不明。
 前年は留守軍の主力として開幕投手を務めたものの、14試合の登板に留まっていた。3年目の52(S27)年は不調から脱せず苦しむ。シーズン途中に背番号を変更するも、自身初めてとなる一軍未登板に終わり、オフには引退した。

 ◆投手成績<24試合、1勝1敗、防5.77、3先発、0完封、20奪三振>
 ◇初登板<1950(S25)年4月16日・西鉄4回戦/H(後楽園)/2番手完了/1回1失>
 ◇初先発、初完投<1950(S25)年4月17日・阪急5回戦/H(後楽園)/先発/9回9失●>
 ◇初勝利<1950(S25)年10月28日・大映20回戦/H(後楽園)/先発/9回2失>
 ◆打撃成績<25試合、打率.207、29打数6安打、0本塁打、2打点、1盗塁>


 ★《2代》1953(S28)年・3ヶ月 チャーリー フッド 内野手(在籍1年)

  1930(S5)年月日不明(入団時23歳)、右投左打
  米・ノリスタウン高−米・マイナー−毎日(53途中)

 【フッド 背番号変遷】51(1)
 投手のカイリーに続き、メジャー経験はないものの米マイナー選手で進駐軍で駐留していたフッドとも契約を結んで入団。背番号52を引き継いだ。
 8月中旬に合流し20日の南海15回戦(大阪)に4番左翼で初出場。いきなり適時打含む5打数2安打4打点と活躍する。その後、一発が出ずに苦しんだが、カイリーが除隊され帰国した9月6日の近鉄13回戦(大阪)で4回に待望の1号3ラン。すると、5回に2号2ラン、6回に3号3ランと当時NPB初となる3イニング連続本塁打を記録する(現在まで7人が記録)。10月も試合に出場したが、4日の東急19回戦(駒沢)を最後に除隊命令が出て帰国した。打率は.247だったものの25試合で26打点と勝負強さが際立ち、盗塁も4個を決めた。

 ◆打撃成績<25試合、93打数23安打.247、5本塁打、26打点、4盗塁>
 ◇初出場、初スタメン、初打席、初安打、初打点<1953(S28)年8月20日・南海15回戦/R(大阪)/4番左翼/5打2安/初打点適時二塁打>
 ◇初本塁打<1953(S28)年9月6日・近鉄13回戦/R(大阪)/4番三塁/黒尾重明から/1号から3号は3イニング連続>

 ※在籍時に達成した記録
  ◆3イニング連続本塁打(1953(S28)年9月6日・近鉄13回戦(大阪)当時NPB初)


1954(S29)年 空番


 ★《3代》1955(S30)年・1年 岩沢 福弘(いわさわ ふくひろ) 投手(在籍1年)

  生年月日不明(入団時18歳)、右打右投
  山梨・日川高−毎日(55)

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