【全史】第17章 稲尾采配、チームを再覚/1984(昭和59)年
(1)管理野球に対抗、稲尾丸の放任主義
始動は1月10日、川崎球場での自主トレーニングだった。稲尾新監督の始動という事もあり、ほとんどの選手が参加した。前年、渡米してヒジにメスを入れた村田もリハビリ段階ながら参加した。そして12日、稲尾監督は全選手を集めて訓示した。
「アルコール、麻雀、ゴルフ、全てOK。ただし陽気にそして程々に」
細い目をさらに細めて笑顔で話した。報道陣に囲まれると「放任主義?そう思ってもらって結構です。ここ3年ほどでロッテには暗いイメージが付いてしまった。これで少しでも悪いイメージが払拭出来るのであれば放任だろうが何でもいい」と話した。そして「ウチは独創的な野球をやるよ、これ以上負けても『7位』 になる事はないからね」と笑った。
その裏には稲尾の狙いがあった。課題は投手陣である。「球団が私に託したのは投手陣の再建だと認識している。新任の佐藤投手コーチと二人三脚で立て直したい」と稲尾も承知している。若手の有望株は多いが「一朝一夕にはいかないだろう。徐々にレベルアップを計りたい」と時間がかかると思っている。やはり、戦っていくには打撃陣の援護に頼らざるを得ない。その打撃陣の中心は有藤、落合、リーと個性的なメンバーばかり。ならば、彼らには全てを任そうという判断だった。
バッテリーは18日から沖縄県那覇市奥武山球場で自主トレを継続、29日に帰京した。30日には沖縄で自主トレしていたバッテリーも合流して川崎大師と若宮神社で恒例の参拝、31日に鹿児島へ移動した。
2月1日、鹿児島県鴨池球場でキャンプインした。稲尾は6つの「禁止項目」を掲げた。
1.首脳陣への反抗、批判は無制限の罰金
2.門限破りなどの規則違反も罰金刑
3.自主管理できぬ選手は首脳陣が強制管理
4.個室での飲酒、遊技は絶対禁止
5.キャンプ地での自動車運転禁止
6.公営ギャンブル場への出入り禁止
調整、休日に関しては各自の自主性を尊重したが、チームワークに関しては絶対に従うこと、というものであった。
このキャンプで注目されることはいくつもあった。
まずは村田の状態だ。前年8月に渡米してヒジにメスを入れた。まだ、リハビリ段階で復帰もシーズンの終盤になる予定だが、前年からキャッチボールは再開していた。日本人投手で三井に次ぐ術後のリハビリ、経過に注目が集まった。
打の主軸、有藤にも注目が集まった。今シーズンから外野への転向を決意した。「ワシがサードをやっていては、チームは勝てん。若手も伸びん」。三塁に落合が回り、一塁にはトレードで巨人から移籍した山本功児が入る。そして、有藤が外野に回る。チームが勝つための布陣だと有藤は考え、前年オフに申し出ていた。
前年は打率.265、リーグ順位27位は自己最低順位、14本塁打も自己最低だった。何より、守備力の低下は有藤自身が痛感していた。ただ、稲尾は「チームリーダーとして有藤は欠かせない。外野で有藤が生き返るのなら断行する価値はある」と有藤に期待を寄せる。「有藤の再生。これこそウチの最大のテーマ」と強調した。ルーキー外野手として汗を流す有藤の姿も注目を集めた。
その山本功にも注目が集まった。読売では王貞治という絶対的な存在に隠れ、王引退後も中畑清の成長により代打の切り札的存在が定位置となっていたが、その力は多くの評論家が「他球団ならばレギュラークラス」と認めるところだった。前年は代打を中心に打率.282、5本塁打、打点は15点と数字は下降していたが、持ち味の勝負強さは変わっていない。33歳のベテランは、最後のひと花を咲かせる気持ちを固め、新天地で汗を流している。
ところが、オープン戦で水上がケガをする。走塁した際に右足甲を骨折し、全治3週間で開幕が微妙な状況となった。代わりに頭角を現したのが7年目の佐藤健。前年は主に有藤の控えだったが、二塁、遊撃もこなせるバイプレーヤーとして85試合に出場。106打席に立ち、打率.268/4本塁打だった。その佐藤健はオープン戦で水上に代わり出場すると、早速一発を放つなど猛アピールした。
(2)5割足踏み、仁科は2年連続ノーノ―逸する
開幕からつまづいた。開幕は阪急との3連戦(西宮)だったが3連敗。続く西武3連戦(西武)は先発に回ったシャーリーの1失点完投勝利、大洋から移籍した右田がプロ初勝利を完投で飾る新しいパターンで2勝1分と勝ち越し取り返したが、続く日本ハム3連戦(川崎)を1勝2敗、南海3連戦(川崎)を2敗1分、近鉄3連戦(日生、藤井寺)を1勝2敗と各チームとの対戦が一巡し、4勝9敗2分と黒星が先行した。僅差ながら、早くも最下位に沈んだ。
ただ、悲観的な状況ではなかった。先発が失点はするものの、試合を作っていた。問題は打線のつながりだった。有藤が.359、移籍の山本功が.286、高沢が.362と打線を引っ張ったが、落合が.204、リーが.196と4番、5番がブレーキとなっていた。2人がこのまま終わる訳はなく、状態が上がってくれば、という状況だった。
また、オープン戦で骨折した水上は開幕に間に合い、スタメン出場したものの、開幕から5試合ノーヒット。序盤は今一つの状態が続いた。
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