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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(42)「40」多士済々のメンバーが連なる系譜】

割引あり

(写真 左から、22代・2年目の真勝儀エース西村天裕、初代・一軍登板なかった村田博秀、8代・NPB初のメジャー経験捕手テスタ、15代・投手から野手へ40番最長13年背負った佐藤和史と同じく13年の17代・渡辺正人)


(42)「40」多士済々のメンバーが連なる系譜

 背番号40の系譜を振り返ると、多士済々のメンバーが連なる。残念ながらチームの主軸となった出世番号とは言えないものの、その時代、時代でチームを支えた名前が続いている。

----- 現在の背番号「40」 -----

 ★《21代》2023(R5)年~2024(R6)年・2年目 西村 天裕(にしむら たかひろ) 投手(在籍2年目)

  1993年5月6日、右投右打
  和歌山・和歌山商業高‐帝京大学‐NTT東日本‐日本ハム(18~23)‐千葉ロッテ(23~)

 【西村 天裕 背番号変遷】40(2)
 2023(R5)年、すでにオープン戦がスタートしていた3月6日に福田光輝とのトレードで日本ハムから移籍した西村天裕が、背番号40を引き継いだ。
 開幕から一軍に帯同し、3戦目に登録され初登板を果たす。初登板から無失点を続け、5月11日の西武8回戦(ベルーナD)では移籍後初ホールドを記録。無失点は18試合となり「開幕からの連続試合無失点」の球団記録を更新。さらに21試合まで伸ばし松永昂大の「シーズン連続試合無失点」の球団記録にも並んだ。この後失点して記録は途絶えたが、以降も好投を続け、7月4日の西武10回戦(ZOZOマリン)で初勝利を挙げる。しかし、9月3日に左脇腹の肉離れで離脱し、約1ヶ月で復帰した。移籍1年目は44試合に登板し、4勝0敗14ホールド、防御率1.25だった。自身初のCSにも登板した。

 (23年シーズン終了時)
 ◆在籍時投手成績<44試合、4勝0敗、防1.25、0S、14H、0先発、0完封、41奪三振>
 ◇ロッテ初登板<2023(R5)年4月2日・ソフトバンク3回戦/R(ペイペイD)/3番手/1回0失>
 ◇ロッテ初ホールド<2023(R5)年5月11日・西武8回戦/R(ベルーナD)/2番手/1回0失>
 ◇ロッテ初勝利<2023(R5)年7月4日・西武10回戦/H(ZOZOマリン)/5番手完了/1回0失>

----- オリオンズ&マリーンズ「40」の系譜 -----

※1950(S25)~1951(S26)年 空番


 ★《初代》1952(S27)年~1953(S28)年・2年 村田 博秀(むらた ひろひで) 投手(在籍2年)

  1932(S7)年5月28日生(入団時19歳)、右投右打
  熊本・九州学院高‐杵島炭鉱‐毎日(52~53)‐高橋(54)

 【村田 博秀 背番号変遷】40(2)
 1952(S27)年に佐賀県の社会人・杵島炭鉱から入団した村田博秀が、2年間空番だった背番号40を初めて背負った。
 2年間所属し新人軍で登板したが、一軍のマウンドの上がることなく53(S28)年限りで自由契約となり、新球団高橋へ移籍した。

 <一軍未出場>


 ★《2代》1954(S29)年~1955(S30)年・2年 飯山 平一(いいやま へいいち) 内野手(在籍2年)

  1935(S10)年2月3日生(入団時19歳)、右投右打
  埼玉・春日部高‐毎日(54~55)‐高橋(56)‐大映(57)

 【飯山 平一 背番号変遷】40(2)
 1954(S29)年に埼玉・春日部高校から入団した飯山平一が、背番号40を引き継いだ。
 1年目から一軍入りを果たす。6月に1試合出場するも力の差が大きく1打席で一軍を外れる。9月に再登録されると、9月8日の第1試合の東映18回戦(後楽園)に7番二塁にスタメン抜擢。この試合で初安打を含め2安打を放つ。第2試合では初打点も記録する。そのままシーズン最後まで一軍に帯同し、1年目は15試合に出場し打率.242を記録した。
 しかし、2年目の55(S30)年は7試合に出場したものの無安打に終わり、オフには自由契約となり、高橋に移籍した。

 ◆在籍時打撃成績<22試合、打率..250、37打数8安打、0本塁打、1打点、0盗塁>
 ◇初出場、初打席<1954(S29)年6月8日・近鉄6回戦/H(桐生新川)/途中二塁/1打0安>
 ◇初スタメン、初安打<1954(S29)年9月8日第1・東映18回戦/R(後楽園)/7番二塁/3打2安>
 ◇初打点<1954(S29)年9月8日第2・東映19回戦/R(後楽園)/2番三塁/適時打/5打1安>


 ★《3代》1956(S31)年~1957(S32)年・2年 向井 嘉久蔵(むかい かくぞう) 投手(在籍2年)

  1937(S12)年12月15日生(入団時)、右投右打
  和歌山・橋本高‐毎日(56~57)

 【向井 嘉久蔵 背番号変遷】40(2)
 1956(S31)年に和歌山・橋本高校から入団した向井嘉久蔵が、背番号40を引き継いだ。
 1年目は一軍マウンドに上がる機会はなかったが、2年目の57(S32)年は5月に一軍登録され、26日の西鉄5回戦(平和台)に4番手として初登板。4回を投げて1自責点に抑える。その後、3試合に登板したものの、最終的に4試合に登板し、防御率は2.25だったが、このシーズン限りで引退した。

 ◆投手成績<4試合、0勝0敗、防2.25、0先発、0完封、2奪三振>
 ◇初登板<1957(S32)年5月26日・西鉄5回戦/R(平和台)/4番手/4回2失(1自)>
 ◆打撃成績<4試合、打率.000、1打数0安打、0本塁打、0打点、0盗塁>


 ★《4代》1958(S33)年・1年 高野 价司(たかの かいし) 外野手(在籍1年)

  1935(S10)年1月1日生(移籍時23歳)、左投左打
  群馬・桐生工高‐立教大学(中退)‐大映(55~57)‐大毎(58)

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