《無料公開》【マリーンズ略史 92~05/-28- 「七夕の歓喜」狂騒曲】
(写真 6回表、一発を放った福浦を迎える山本監督(フジテレビ「プロ野球ニュース」から)
(28)18年ぶり首位「七夕の歓喜」狂騒曲
思い出に残っている試合というのは何試合もある。その中に24年が経過してもスタンドの様子も鮮烈に覚えている試合がある。1999年の「七夕首位」に立った試合だ。前年「七夕の悲劇」を目の当たりにしたマリーンズファンにとっては、前年の七夕の夜と対比して「七夕の歓喜」とも呼ばれた試合。七夕の悲劇があったからこそ尚更記憶に残っているのだと思う。結局、このシーズンは「ここまで」だったが、あの歓喜は今でも忘れる事が出来ない。
【居ても立っても居られない…】
1999年シーズンは6月にダイエーが飛び出したものの、独走態勢から引きずりおろしたのはロッテだった。6月は勝ち越し、7月6日時点で首位はダイエー、2位がロッテ。その差は1ゲーム。この日、ロッテが勝ち、ダイエーが負けるとロッテが首位に立つ。ロッテが60試合以上経過して首位に立てば、1981(昭和56)年に前期優勝(65試合制)した時以来、18年ぶりのことになる。新聞にも「18年ぶり」の文字が踊り、私も居ても立っても居られなくなり、急遽、東京ドームに駆けつけた。
その日は東京ドームでの日本ハム13回戦だった。スタンドに足を踏み入れた瞬間に目を疑った。ガラガラの一塁側スタンドに比べ、三塁側からレフトスタンドが賑わっているのだ。発表された観客数は15,000人だったが、10,000人程はマリーンズファンだったと思う。まだ、ユニホームを着ているファンは外野席以外は少ない時代だった。
そして、スタンドに足を踏み入れるとさらに驚いた。私自身も球場での観戦は久しぶりだったのだが、川崎球場時代にスタンドで顔見知りだった何人ものを知人を見かけたのだ。聞けば「今シーズン初めて」「何年ぶりに球場へ来た」という人ばかり。やはり、球場から遠ざかっていても、昨シーズンのこの日の屈辱と勝って首位に立つ姿を見たいんだなと感じた。
自然とスタンドに輪が出来た。こうなると、昔の気の置けない仲間との交流に川崎球場のスタンドかと思うほどのお祭り騒ぎが始まった。
改めてスコアをめくるとスタメンは
1番・中堅 諸積兼司
2番・遊撃 小坂 誠
3番・左翼 大村 巌
4番・DH 初芝 清
5番・一塁 福浦和也
6番・二塁 堀 幸一
7番・右翼 平井光親
8番・捕手 清水将海
9番・三塁・酒井忠晴
先発マウンドに上がったのはエースの小宮山悟だった。
【初回からお祭り騒ぎの三塁側】
いきなりスタンドが盛り上がる。1回表、諸積がヒットで出塁すると、2番の小坂が右中間を破る。快足の諸積が一塁から生還。1点を先行する。
そして2回表、先頭の福浦が死球で歩く。続く堀の当たりは三塁手の頭上を越えレフト前へ。スタンドの声援もイケイケだ。無死一、二塁から平井の打球は右中間を破るタイムリーツーベース。福浦が還って1点を追加。さらに無死二、三塁から清水将は詰まりながらもセンター前へポテンヒット。堀と平井が還り2点を追加して4-0。もうスタンドは序盤からお祭り騒ぎとなった。古いファンからは東京音頭も飛び出した。
ところが先発小宮山が初回は抑えたものの、リードした直後に捕まる。2回裏に2ランで2失点、3回裏には長打で1失点し4-3と1点差に迫られる。「18年ぶりに良い思いをしてるんだから、もう少し長く夢見させてくれよ!」のヤジが飛ぶ。このヤジが小宮山に届いたとは思えないが小宮山が踏ん張る。1点差のまま中盤へ。
ここでダイエーがリードされるの報が入る。ダイエーは大阪ドームで近鉄と戦っているが、2回に2失点、5回には4点を失い、0-6でリードされているとの情報が三塁側スタンドに伝わる。日本ハムの攻撃中だったが三塁側から歓声が上がる。
再び盛り上がるスタンド。その声に後押しされるように6回表、前年から一塁のレギュラーに定着し、このシーズンから背番号が9に変わった若手の福浦がライトスタンドへ一発を叩き込み5-3と2点差に。再びスタンドのボルテージが上がる。万歳三唱があちらこちらから聞こえた。
小宮山が7回2死まで8安打を許しながらも3失点で踏ん張ると、7回途中から左腕河本がピンチを防ぐ。その河本が8回もしのぐと9回裏は前年18連敗の直後から守護神を務めるウォーレンが登場ヒット2本で1点を失い1点差に迫られたものの、5-4で逃げ切った。三塁側スタンドがどの様な状況だったのかはお分かり頂けると思う。
この試合に勝利してロッテは37勝29敗1分で勝率.6066、ダイエーは41勝33敗2分で勝率.5541。ゲーム差は0.0ながら、60試合以上で18年ぶりの首位に立った。
【今夜はゆったり余韻に浸ろう】
試合後、山本監督はベンチで「今夜はゆったり余韻に浸ろう。そして明日からまた頑張っていこう!」と選手たちに伝えた。小宮山は「途中でダイエーが負けていたのが分かったので、いつもよりも緊張して丁寧に投げた」とコメントした。
数年後、この試合に出場した選手たちに、この日のことを聞いたことがある。選手たちも思い出として残っている様だった。
マスクを被りタイムリーも放った清水将は「一瞬の1位だったけど、スタンドのファンの人がものすごく喜んでくれたことを昨日のことのように覚えてますよ。1位っていいものだなあと初めて実感として思った」。
ダメ押しの一発を放った福浦は「ベンチに帰って来たらスタンドの歓声がいつもと違ってたことが印象的だった。ファンの人が喜んで総立ち。初めての経験だったので覚えてますよ」。
途中からレフトの守備に入った大塚は「覚えてますよ。スタンドがいつもと違う盛り上がり方だった(笑)。やっぱり前年のことがファンに皆さんにもあるんだなあ、と思ってました」。
残念ながら翌日から8連敗を喫し、ダイエーは6連勝して一気にダイエーとの差が広がり、このシーズンは最終的に4位に終わった。しかし、この夜の東京ドームのスタンドの熱気だけは今でも鮮烈に記憶に残っている。
【マリーンズ略史 92~05 INDEX】
◆~1991(平成3)年
(1)《無料》『千葉移転前夜』
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(2)《無料》『千葉移転元年 4月ダッシュも最下位に沈む』
◆1993(平成5)年
(3)《有料・冒頭試読》『最下位脱出も大差の5位に低迷』
◆1994(平成6)年
(4)《有料・冒頭試読》『八木沢監督休養、2年連続5位に終わる』
◆1995(平成7)年
(5)《有料・冒頭試読》『球団改革断行、千葉移転後初のAクラス』
(21)《有料・冒頭試読》風しん蔓延で主力が消えた14日間(1995年)
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(7)《有料・冒頭試読》『中盤反攻も迫力不足否めず最下位に沈む』
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(8)《有料・冒頭試読》『18連敗「七夕の悪夢」もチーム力は向上気配』
(20)《有料・冒頭試読》なぜ18連敗を喫したのか? (1998年)
(22)《有料・冒頭試読》ユニホーム応援が広がったのはロッテから (1998年~)
◆1999(平成11)年
(9)《有料・冒頭試読》『18年ぶり「七夕首位」も、連敗喫して4位低迷』
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(28)《有料・冒頭試読》18年ぶり首位「七夕の歓喜」狂騒曲
◆2000(平成12)年
(10)《有料・冒頭試読》『4月出遅れ5割届かず5位低迷』
◆2001(平成13)年
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(15)《有料・冒頭試読》『プレーオフで逆転優勝、阪神破り31年ぶり日本一』
(16)《無料》(付録)『ポストシーズン詳細、二軍合わせて6冠王者成』
-------------選 手 編------------
(23)《有料・冒頭試読》チーム支えたエースの苦悶・黒木知宏(1995~2007年在籍)
(24)《有料・冒頭試読》二軍成長記・福浦和也(1994~2019在籍)
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