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《無料公開》【マリーンズ略史 92~05/-21- 風しん蔓延で主力が消えた】


(20)風しん蔓延で主力が消えた14日間(1995年)

 1995年、広岡GM‐バレンタイン監督体制がスタートした。現場のバレンタイン監督は各選手の力を図りながら、探り探りのスタートとなった。4月は8勝14敗1分と負け越し、首位と6.5ゲーム差の最下位となった。しかし、バレンタイン監督は「開幕から2カ月は待ってほしい。6月には必ず上昇する。選手の能力、他チームの戦力を把握するのにそのくらいはかかる」と4月の成績は意に介していない様子だった。

 そして5月に突入したが、早々トラブルに見舞われた。風しんがチーム内に蔓延したのだ。風しんは感染力が非常に強いウィルス性の疾病。40歳以上の方には「三日はしか」と言うとピンとくる方も多いのではないだろうか。子どもの頃に予防接種を受けているが、大人になっても発症する事があり、ほとんどが合併症なく自然に治癒するが、一時的に高熱や発疹が出ることもあり、蔓延した場合には隔離が必要になる。

【打線低調の4月、ボビーは様子見】

 4月29日がベストメンバーを組んだ最後の試合となった。スタメンは下記のとおり。( )内の数字は4月29日試合後の打率/本塁打
《4月29日 西武5回戦(千葉マリン)》
1)中・西村(.277/0)
2)二・南渕(.167/0)
3)遊・堀(.358/1)
4)一・フランコ(.299/0)
5)指・インカビリア(165/0)
6)三・初芝(.280/4)
7)左・西岡(.100/0)
8)右・平井(.273/0)
9)捕・定詰(.125/0)

 4月の負け越しは、開幕から打線の低調がチーム不調の要因だった。4月末時点でチーム打率はリーグ4位だったものの、好調なのは堀(.358)、フランコ(.299)、初芝(.280)の3人。この3人がクリーンアップを形成していた。他に西村(.277)と平井(.273)の両ベテランが好調。しかし、他は全体的に低調で2割台はこの試合はスタメンから外れたが、愛甲(.222)と山下(.238)の二人だけ。後は1割台だった。特に長打不足は深刻で初芝が4本塁打、山下が3本塁打と奮闘したが、他は堀が1本塁打。23試合を消化してチーム全体で8本塁打とリーグで唯一1ケタだった。

《4月末時点のパ・リーグ打率/本塁打数、勝敗と勝率》
ダイエー .267/27本 14勝9敗
オリクス .255/13本 9用9敗 .500
西 武  .257/24本 13勝6敗
ロッテ  .232/8本 8勝14敗
近 鉄  .216/24本 9勝14敗
日本ハム .209/13本 11勝12敗

 そんな状況下で風しん禍に見舞われた。5月に入ってから蔓延していったが、4月末からすでにチーム内に蔓延していた様だった。

《5月2日 日本ハム3回戦(東京D)》
1)二・樋口
2)右・平野
3)遊・堀
4)指・フランコ
5)三・初芝
6)中・平井
7)左・インカビリア
8)右・愛甲
9)捕・山中

【好調クリーンアップが離脱へ】

 そして4日からスタメンのメンバーに風しんが広がる。まず、初芝に症状が出て離脱した。
《5月4日 日本ハム5回戦(東京D)》
1)中・西村
2)二・五十嵐
3)遊・堀
4)指・フランコ
5)左・インカビリア
6)右・平井
7)三・佐藤
8)一・愛甲
9)捕・山中

 5日からは千葉マリンでオリックス3連戦が予定されていたが、さらに広がりを見せ、堀も発症して離脱することになった。加えて、5日にはちょっとしたトラブルが発生した。5日の4回戦は朝の段階で雨が降り中止を決めた。しかし、午後1時の試合開始時点で雨が上がっており、オリックス側から「風しんのために中止にしたのではないか」と抗議を受け、三ッ野代表がリーグから事情を受ける事態が発生した(問題なしとの裁定)。

 翌6日のオリックス4回戦のスタメンから好調だった初芝に加え、堀の名前も消えた。
1)左・西村
2)右・平野
3)指・インカビリア
4)一・フランコ
5)中・平井
6)遊・南渕
7)二・五十嵐
8)三・佐藤
9)捕・山中

 そして、翌7日のオリックス5回戦でハプニングが発生した。1週間程度で復帰出来るため、発症した選手は登録を抹消しなかった。その中で捕手の一軍登録は山中、定詰、猪久保の3人だったが、猪久保が発症して離脱したためベンチ入りは山中と定詰の2人だった。スタメンマスクは山中だったが、途中で定詰に交代した。ところが8回表に球審に抗議し詰め寄った定詰が退場処分を受けた。ここでバレンタイン監督は器用さを持つ二塁を守っていた五十嵐を捕手に起用した。五十嵐は「中学校に練習でやった程度」だったが小野の8球をしっかりと捕球した。バレンタイン監督は「良い捕手だった」と讃えた。

 オリックス3連戦の後は8日から宮城での日本ハム2連戦の予定だったが、オリックス3連戦終了後にフランコと西村、投手陣から小宮山が発症し離脱する事態となった。仙台での2連戦はベンチ入りは21人で戦うことになった。
《5月9日 日本ハム6回戦(宮城)》
1)左・諸積(―)
2)右・平野(.213/0)
3)一・愛甲(.241/1)
4)指・インカビリア(.154/0)
5)中・平井(.253/0)
6)遊・南渕(.219/0)
7)三・五十嵐(.216/0)
8)捕・山中(.211/0)
9)二・樋口(.190/0)
 数字は試合前のもの。スタメン9選手合わせて本塁打は愛甲の1本、打率も.250を超えているのは平井の.253、1人というスタメンになった。

【風しん禍騒動も終息へ】

 移動日を挟み12日からは西武での西武3連戦だったが、12日は雨で中止となり、13日の試合には初芝と堀が復帰した。
《5月13日 西武7回戦(西武)》
1)二・南渕
2)右・平野
3)遊・堀
4)三・初芝
5)指・インカビリア
6)中・平井
7)一・佐藤
8)捕・定詰
9)左・諸積

 そして、翌14日にはフランコも復帰。小宮山も戦列に復帰し、16日の近鉄戦に先発。ようやく終息した。
《5月14日 西武8回戦(西武)》
1)左・諸積
2)二・五十嵐
3)遊。堀
4)一・フランコ
5)三・初芝
6)指・インカビリア
7)中・平井
8)右・平野
9)捕・山中

 この風しん禍は約2週間吹き荒れたが、試合は雨で2試合が流れ、仙台遠征は移動日が設定されていたため9試合を消化した。しかし、選手が奮起し、この9試合を4勝5敗と5割で切り抜けた。
 打線はクリーンアップ3人が欠ける事態となったが、平井とインカビリアが支えた。加えて、前年のルーキーイヤーは4試合の出場に留まり、今シーズン開幕から二軍だった2年目の諸積が結果を出した。9日の日本ハム6回戦から合流した諸積は、いきなり5打数4安打と爆発。この試合平井も猛打賞2打点、インカビリアも2安打3打点とつながりを見せた。諸積は以降、チームを支える存在となった。

(次回)⇒ (22)《有料・冒頭試読》ユニホーム応援が広がったのはロッテから (1998年~)


【マリーンズ略史 92~05 INDEX】

【~1991(平成3)年】
(1)《無料》『千葉移転前夜』
  (25)《無料》 オリオンズ~マリーンズ ファンクラブ略史
【1992(平成4)年】
(2)《無料》『千葉移転元年 4月ダッシュも最下位に沈む』
  (42)《無料》移転直後の快進撃 (1992年)
【1993(平成5)年】
(3)《有料・冒頭試読》『最下位脱出も大差の5位に低迷』
◆1994(平成6)年
(4)《有料・冒頭試読》『八木沢監督休養、2年連続5位に終わる』
◆1995(平成7)年
(5)《有料・冒頭試読》『球団改革断行、千葉移転後初のAクラス』
  (21)《無料》風しん蔓延で主力が消えた14日間(1995年)
◆1996(平成8)年
(6)《有料・冒頭試読》『投手充実も、得点力不足否めず5位低迷』
◆1997(平成9)年
(7)《有料・冒頭試読》『中盤反攻も迫力不足否めず最下位に沈む』
◆1998(平成10)年
(8)《有料・冒頭試読》『18連敗「七夕の悪夢」もチーム力は向上気配』
  (20)《有料・冒頭試読》なぜ18連敗を喫したのか? (1998年)
  (22)《無料》ユニホーム応援が広がったのはロッテから (1998年~)
  (33)《無料》黒木2冠と小坂の盗塁王騒動(1998年)
◆1999(平成11)年
(9)《有料・冒頭試読》『18年ぶり「七夕首位」も、連敗喫して4位低迷』
  (18)《有料・冒頭試読》熱く育てた山本監督の5シーズン (1999年~)
  (28)《無料》18年ぶり首位「七夕の歓喜」狂騒曲
  (38)《無料》前半快進撃支えた「ボーリック神話」(1999年)
◆2000(平成12)年
(10)《有料・冒頭試読》『4月出遅れ5割届かず5位低迷』
◆2001(平成13)年
(11)《有料・冒頭試読》『世代交代、福浦首位打者、小林雅パ記録もエース後半離脱』
◆2002(平成14)年
(12)《有料・冒頭試読》『開幕11連敗が響き借金5の4位に終わる』
  (39)《無料》あわや、開幕連敗記録に王手(2002年)
◆2003(平成15)年
(13)《有料・冒頭試読》『終盤に先発安定、9月快進撃も4位で山本監督辞任』
◆2004(平成16)年
(14)《有料・冒頭試読》『ボビー復帰、新制度プレーオフ進出に0.5ゲーム差』
  (17)《有料・冒頭試読》「ボビーマジック」とは何だったのか(2004年)
  (19)《有料・冒頭試読》巻き込まれた、球界再編騒動 (2004年)
◆2005(平成17)年
(15)《有料・冒頭試読》『プレーオフで逆転優勝、阪神破り31年ぶり日本一』
(16)《無料》(付録)『ポストシーズン詳細、二軍合わせて6冠王者成』
-------------選 手 編------------
(23)《有料・冒頭試読》チーム支えたエースの苦悶・黒木知宏(1995~2007年在籍)
(24)《有料・冒頭試読》二軍成長記・福浦和也(1994~2019在籍)
(26)《有料・冒頭試読》ルーキーからフル回転左腕・藤田宗一(1998年~2007年在籍)
(27)《有料・冒頭試読》低迷期支えたエース、復帰後はリリーフで日本一・小宮山悟(1990年~1999年、2004年~2009年在籍)
(29)《有料・冒頭試読》打線を支え愛された背番号6・初芝清 (1989年~2005年在籍)
(30)《有料・冒頭試読》抑えの切り札への道・小林雅英(1999年~2007年在籍)
(31)《有料・冒頭試読》オリオンズ最後の戦士・堀幸一(1989年~2009年在籍)
(32)《有料・冒頭試読》マリーンズ初タイトル剛腕エース・伊良部秀輝(1988年~1996年在籍)
(34)《有料・冒頭試読》マリーンズ初の新人王、盗塁王・小坂誠(1997年~2005年在籍)
(35)《有料・冒頭試読》強気なマウンド、マリーンズ初代クローザー・河本育之(1992年~1999年在籍)
(36)《有料・冒頭試読》「14打席連続出塁」の大記録樹立・南渕時高(1990年~1997年在籍)
(37)《有料・冒頭試読》マリーンズ初の最優秀救援投手から手術へ…・成本年秀(1993年~2000年在籍)
(40)《有料・冒頭試読》7年目のブレーク「サンデー晋吾」(1994年~2013年在籍)
(41)《有料・冒頭試読》裏から支えたバイプレーヤー・諸積兼司(1994年~2006年在籍)

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2023年シーズンは千葉ロッテマリーンズ74度目のシーズン。 73年間の歴史を振り返りつつ、今シーズ…

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