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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/56】「54」2人の殿堂入りコーチから、マウンドで躍動する54に

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(写真、左上から・後の監督本堂安次も現役最後は3代54を背負った、10代近藤貞雄ヘッド11代坪内道則二軍監督はともに後に殿堂入り、中央・マリーンズ54の代名詞ジョニーこと16代黒木知宏、右上から・現役15年コーチ23年の佐藤兼伊知もスタートは14代54、メジャー帰りの沢村拓一も1年21代54を背負った)


【オリオンズ&マリーンズ背番号の系譜(56)】「54」2人の殿堂入りコーチから、マウンドで躍動する54に

 背番号54は他の50番台同様、毎日、大毎時代は主力選手の晩年、コーチ、短命の選手の番号だった。ロッテとなりヘッドコーチとして近藤貞雄、二軍監督として坪内道則が背負ったが、奇しくも後に殿堂入りを果たした2人が継いだ。
 そして、マリーンズとなり54はチームの顔となる。ジョニーこと黒木知宏が背負いマウンドで雄叫びを上げる姿に心が震えた。ジョニーは背番号変更の打診を断り54にこだわった。その後、デスパイネ、レアードと助っ人が背負い、昨年は復帰した沢村拓一が背負ったが、今シーズンは空番となっている。

----- 現在の背番号「54」 -----

 ★2024(S28)年 空番

----- オリオンズ&マリーンズ「54」の系譜 -----

※1950(S25)~1953(S28)年 空番


 ★《初代》1953(S28)年・1年 山田 利昭(やまだ としあき) 外野手(在籍1年)

  1933(S8)年1月15日生(入団時20歳)、左投左打
  千葉・市川工業高−立教大(中退)−毎日(53)−高橋(54〜56)−東映(57〜−58)

 【山田 利昭 背番号変遷】54(1)
 1953(S28)年に立教大学を中退し入団した山田利昭が、初代背番号54を背負った。
 ルーキーながら4月に一軍合流。14日の大映3回戦(後楽園)に2番左翼でスタメン抜擢される。しかし、1打席で交代。以降、代打で登場し初安打も記録するが5試合で一軍を離れ、1年目はこの5試合に終わった。オフには新球団の高橋に移籍した。

 ◆打撃成績<5試合、打率.250、4打数1安打、0本塁打、0打点、0盗塁>
 ◇初出場、初スタメン、初打席<1953(S28)年4月14日・大映3回戦/H(後楽園)/2番左翼/1打0安>
 ◇初安打<1953(S28)年4月26日・大映6回戦/R(山形)/途中左翼/1打1安>


1954(S29)年〜1955(S30)年 空番


 ★《2代》1956(S31)年・1年 桶田 和男(おけだ かずお) 外野手(在籍1年)

  1936(S11)年8月13日生(入団時19歳)、右投右打
  静岡・浜松西高−毎日(56)

 【桶田 和男 背番号変遷】54(1)
 1956(S31)年に静岡・浜松西高校から入団した桶田和男が、2シーズン空番だった背番号54を引き継いだ。
 全国的な知名度はなかったものの、速球とキレのあるカーブが武器で静岡屈指の投手として期待されたが、一軍未登板に終わり1年限りで退団した。

 <一軍未出場>


 ★《3代》1957(S32)年〜1958(S33)・2年 本堂 保弥(安次)(ほんどう やすや) 内野手兼任⇒二軍コーチ(現役8年、コーチ/5年、監督/3年)

 ※1950年〜1951年・安次、1952年〜1962年・保弥、1963年〜・安治(読みは全てやすや)

  1918(T7)年3月18日生(移籍時32歳)、右投右打
  大阪・旧制日新商業高−大阪(37〜47)−太陽(48)−大阪(49)−毎日/大毎(50〜57)
  毎日/大毎コーチ(52, 54〜62)、大毎/東京監督(63〜65)

 【本堂 安次 背番号変遷】24(6) ⇒ 30(1) ⇒ 54(1)、コーチ/54(1) ⇒ 60(2) ⇒ 55(1) ⇒ 60(1)、監督/60(1) ⇒50(2)
 → 本堂安次 背番号 24 へ (無料エリア)
 → 本堂安次 背番号 30 へ (有料エリア)
 球団創設時から内野の要としてチームに貢献していた本堂安次が、在籍8年目の1957(S32)年に、背番号を30から54に変更した。
 すでに40歳とベテランの域に達しており、兼任コーチとして役割を果たしていたが、前年は選手に専任。このシーズンから再びコーチ兼任の肩書きとなった。出場機会は大幅に減ったが3試合に出場した。このシーズンを最後に現役を引退。翌58(S33)年は背番号54のまま、二軍のコーチとなった。
 → 本堂安次 背番号 60 へ
 → 本堂安次 背番号 55 へ
 → 本堂安次 背番号 50 へ(有料エリア)

 ◆在籍時打撃成績<658試合、打率.255、2112打数538安打、31本塁打、253打点、46盗塁>
 ◇毎日初出場、初打席、初安打、初打点<1950(S25)年3月11日球団創設第1戦・西鉄1回戦/H(西宮)/2番二塁/5打1安/初打点適時打>
 ◇毎日初本塁打<1950(S25)年3月15日・南海1回戦/H(大須)/6番二塁/中谷信夫から/4打1安>
 ◇在籍時オールスター出場/2回(52、53、自身通算2回)

 ※在籍時に選出された表彰
  ◆ベストナイン/1回(1950年/二塁手)
 ※在籍時に達成した記録
  ◇1000試合出場(1952(S27)年7月20日・南海15回戦(大阪)、史上11人目)


 ★《4代》1959(S34)年・1年 片岡 博国(かたおか ひろくに) 捕手(在籍5年/二軍監督・コーチ4年)

  1916(T5)年11月24日生(入団時35歳)、右投右打
  愛知・東邦商業学校−早稲田大−昭和製鋼−名古屋鉄道管理局−函館オーシャン−毎日(50〜54)
  毎日/大毎コーチ(55〜57、59)

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