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《全文無料》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜10/「0」新しい系譜は快足とリリーフエースの系譜に】
(写真 中央・現在は6代・荻野貴司、左上から・入団当時の2代初芝清、吉田篤史も2年間0を背負った、右上から・0の知名度を上げた「モロさん」こと4代諸積兼司、0番投手として吉田以来マウンドに上がった5代荻野忠寛)
(10)「0」新しい系譜は快足とリリーフエースの系譜に
本来ならば、背番号の系譜は0から始めたいところだった。しかし、背番号0の系譜は1988(S63)年から始まり、現在の荻野貴司で6代という系譜のため、一桁背番号の最後に回した。しかし、初芝清、吉田篤史、諸積兼司、荻野忠寛、荻野貴司と中心選手が担ってきた背番号でもある。
※背番号0は1988(S63)年の坂巻明から。
----- 現在の背番号「0」 -----
★《6代》2017(H29)年~2025(R7)年は9年目 荻野 貴司(おぎの たかし) 外野手(25年は在籍16年目)
1985(S60)年10月21日生(入団時24歳)、右投右打
奈良・郡山高‐関西学院大‐トヨタ自動車‐千葉ロッテ(10~)
【荻野 貴司 背番号変遷】4(7) ⇒ 0(8)
→ 荻野貴司 背番号 4 へ(有料エリア)
2009(H21)年のドラフト1位でトヨタ自動車から入団し、ルーキーイヤーから活躍していた荻野貴司が8年目の17(H29)年から背番号を4から0に変更した。
ケガに泣かされ続けていたが、背番号を0に変更した17(H29)年は、前半は不調で抹消されたものの8月復帰後はスタメン起用され、最終的に103試合で打率.269、盗塁も自己最多タイの26個を記録、プロ入り後初めて1シーズンケガなく終えた。翌18年は、開幕戦からスタメンに定着。5月31日から6月7日にかけて7試合連続マルチ安打を記録するなど、開幕からの好調をキープし、監督推薦で初のオールスターにも選出された。しかし、7月9日に右手第二指を骨折し離脱。オールスターも辞退し、シーズン終了まで復帰は出来なかった。
19(H22)年は開幕スタメンから外れ、開幕直後は不振に陥る。しかし徐々に調子を上げ、5月25日に10個目の盗塁を決め、新人から10年連続二桁盗塁を記録した。球団では弘田澄男が達成して以来2人目の記録だった。初のオールスターにも出場。最終的に125試合に出場、初の規定打席に到達し打率.315(リーグ3位)、35二塁打と7三塁打はリーグ1位だった。オフには自身初のゴールデングラブ賞、ベストナインに選出された。
20年は球団記録(1970年のアルトマン)に並ぶ、開幕から26試合連続出塁を記録するなど好調を維持するも7月に右太ももを痛めて離脱。他所も痛めて復帰は9月となった。復帰後には新型コロナに感染して再び離脱。最終的に16試合の出場に終わった。
21年はケガもなく好調なシーズンを送る。最終的に12年目36歳にして自身初の143試合フル出場、1983年の福本豊(阪急)の最年長記録に並ぶ36歳にしてシーズンの全試合を1番打者としての出場を記録した。その他、24盗塁で和田康士朗(ロッテ)、西川遥輝(日本ハム)、源田壮亮(西武)とともに自身初の盗塁王、安打数は自己最高の169安打を記録し最多安打のタイトルも獲得した。また、オフには2度目となるゴールデングラブ賞に選出される。翌22年はキャンプ中の新型コロナ感染や脇腹痛により登録は5月末となった。徐々に調子を上げ、最終的には規定打席未到達ながら.310、15盗塁で入団から13年連続の二桁盗塁となった。23(R5)年は、開幕スタメンも足のケガで2度離脱。50試合で打率.240に終わった。盗塁も1盗塁でプロ入りから継続していた入団からの連続二桁盗塁は13年で途切れた。それでも、ポストシーズンでは第1S第1戦で先頭打者本塁打を放ち、1999年の日本シリーズの秋山幸二(ダイエー)の37歳6カ月の記録を上回り、ポストシーズン最年長の先頭打者本塁打を記録した。
(2024(R6)年 シーズン終了時)
◆打撃成績<1146試合、打率.283、4039打数1143安打、49本塁打、320打点、260盗塁>
◇初出場、初スタメン、初打席、初安打<2010(H22)年3月20日開幕戦・西武1回戦/R(西武D)/2番中堅/>
◇初打点、初盗塁<2010(H22)年3月22日・西武3回戦/R(西武D)/適時打>
◇初本塁打<2010(H22)年3月26日・日本ハム1回戦/R(千葉マリン)/八木智哉から>
※所属時に獲得したタイトル
◆盗塁王(2021年)史上最年長の盗塁王
◆最多安打(2021年)パ・リーグ史上最年長、右打者史上最年長
※所属時に選出された表彰
◆ベストナイン(2019年/外野手)
◆ゴールデングラブ賞/2度(2019年、21年/ともに外野手)
※所属時に達成した主な記録
◇初回先頭打者ランニング本塁打(2014年5月6日・オリックス7回戦(京セラD)西勇輝から、史上8人目、初球はNPB初)
◇200盗塁(2019年8月22日・楽天21回戦(東京D)、史上77人目)
◇250盗塁(2022年7月17日・ソフトバンク13回戦(ZOZOマリン)、史上48人目)
◇1000安打(2022年8月10日・ソフトバンク16回戦(ZOZOマリン)東浜巨から、史上313人目)
◇1000試合出場(2022年9月7日・西武24回戦(ベルーナD)、史上516人目)
----- オリオンズ&マリーンズ「0」の系譜 -----
★《初代》1988(S63)年・1年 坂巻 明(さかまき あきら) 投手(在籍1年)
1955(S30)年5月12日生(移籍時32歳)、右投右打
(出身・埼玉)東京・二松學舍大附属高‐青山学院大(中退)‐日本ハム(77~87)‐ロッテ(88)
【坂巻 明 背番号変遷】0(1)
日本ハムに11年所属していた坂巻明が、1988(S63)年にテスト入団し、球団史上初めて背番号0を背負った。しかし、出場機会なく、1年限りで引退した。
<一軍未出場>
★《2代》1989(H1)年~1993(H5)年・5年 【サイン】初芝 清(はつしば きよし) (在籍17年)
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1967(S42)年2月26日生(入団時、右投右打
東京・二松學舍大附属高‐東芝府中‐ロッテ(89~05)
【初芝 清 背番号変遷】0(5) ⇒ 6(12)
1988(S63)年のドラフト4位で社会人・東芝から入団した初芝清が0を着けた。
1年目の89(H1)年、キャンプでは有藤道世監督から厳しい打撃指導を受け、シーズン終盤には水上善雄に代わり三塁を守り、70試合に出場して.243、7本塁打24打点をマークした。翌90(H2)年には金田正一監督の信頼を得てレギュラーに定着。120試合に出場して初の規定打席に到達。.265(リーグ23位)18本塁打、67打点と期待に応える。なお、この年開場した千葉マリンスタジアムのこけら落としのオープン戦で球場初本塁打を放った。翌91(H3)年はケガもあり、87試合の出場に留まる。
チームが千葉移転した92(H4)年は三塁の定位置を守り規定打席に到達。しかし、.249(リーグ30位)とバットは低調だった。ただ、広い千葉マリンに移転したものの本塁打は二桁の10本をキープした。翌93(H5)年も.251(リーグ23位)12本塁打43打点を記録。オフに東芝からロッテに入団した先輩・落合博満の着けていた6に背番号を変更した。
→ 初芝清 背番号 6 へ(有料エリア)
◆打撃成績<1732試合、打率.265、5762打数1525安打、232本塁打、879打点、11盗塁>
◇初出場、初打席<1989(H1)年5月30日・日本ハム9回戦/H(川崎)/途中三塁/2打2安>
◇初安打<1989(H1)年6月4日・オリックス10回戦/R(西京極)/途中三塁/1打1安>
◇初打点<1989(H1)年6月6日・西武6回戦(西武)/途中三塁/適時打/2打1安>
◇初本塁打<1989(H1)年6月26日・ダイエー11回戦(鹿児島鴨池)/途中三塁/松本卓也から>
◇初スタメン<1989(H1)年7月6日・近鉄16回戦(日生)/7番三塁/3打1安>
◇オールスターゲーム出場/4回(94,95,96,98)
※在籍時に獲得したタイトル
◆打点王(1995年)イチロー、田中幸雄と同点受賞
※在籍時に選出された表彰
※在籍時に達成した記録
◆代打7打席連続安打(2003年)日本タイ記録、四球等を挟まない「連続打席」では日本記録
◇100本塁打(1996年5月19日・日本ハム9回戦(千葉マリン)川邉忠義から、史上186人目)
◇1000試合出場(1998年6月12日・オリックス11回戦(千葉マリン)、史上344人目)
◇1000安打(1998年9月20日・西武24回戦(千葉マリン)横田久則から、史上190人目)
◇150本塁打(1999年5月23日・西武9回戦(千葉マリン)松坂大輔から、史上108人目)
◇200本塁打(2001年8月21日・ダイエー24回戦(宮城)若田部健一から、史上74人目)
◇1500試合出場(2002年6月16日・西武12回戦(秋田八橋)、史上136人目)
◇300二塁打(2002年7月28日・西武17回戦(西武D)西口文也から、史上39人目)
◇1000三振(2002年8月30日・ダイエー23回戦(千葉マリン)ペドラザから、史上29人目)
◇1500安打(2004年6月9日・オリックス13回戦(Yahoo! BB)フィリップスから、史上85人目)
※1994(H6)年 空番
★《3代》1995(H7)年~1996(H8)年・2年 吉田 篤史 投手(在籍11年)
1970(S45)年9月29日生(入団時21歳)、右投右打
新潟・日本文理高–ヤマハ–千葉ロッテ(92〜03)–阪神(03〜04)
【吉田 篤史 背番号変遷】21(3) ⇒ 0(2) ⇒ 13(6)
→ 吉田篤史 背番号 21 へ(有料エリア)
1995(H7)年は、丹波健二が背番号を12から0に変更した。しかし、キャンプに合流した新外国人のフランコが背番号21を希望したため、開幕前に21だった吉田篤史が0を希望し0に、丹波健二が0から4に再変更されシーズンに入った。
1991(H3)年のドラフト1位で入団した4年目の吉田篤史は、2年間肩とヒジの故障に悩まされ、7試合、2試合の登板に留まっていた。そんな状況も0を希望した理由だった。そして、95(H7)年は中継ぎとして25試合に登板し1勝1セーブ、防御率は1.00と復活した。翌96(H8)年は27試合で2勝3敗、防御率5.52と今一つだったものの、シーズン通してマウンドに上がった。オフに背番号を0から13に変更した。
→ 吉田篤史 背番号 13 へ(有料エリア)
◆在籍時通算投手成績<292試合、26勝37敗、防3.69、6S、-H、39先発、2完封、336奪三振>
◇初登板<1992(H4)年5月1日・近鉄3回戦/H(千葉マリン)/4番手完了/2回1失>
◇初先発、初勝利<1992(H4)年5月5日・ダイエー5回戦/R(平和台)/先発/5.2回4失(3自)>
◇初完投<1992(H4)年5月21日・ダイエー9回戦/H(千葉マリン)/先発/9回2失>
◇初完封<1992(H4)年6月25日・日本ハム13回戦/H(東京D)/先発/9回0失>
◇初セーブ<1995(H7)年8月10日・ダイエー21回戦/R(福岡D)/2番手完了/2.1回0失>
★《4代》1997(H9)年~2006(H18)年・10年 【サイン】諸積 兼司(もろづみ けんじ)(在籍13年、コーチ25年は12年目)
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1969(S44)年5月29日生(入団時24歳)、右投左打
福島・学法石川高–法政大–日立製作所–千葉ロッテ(94〜06)
千葉ロッテコーチ(07〜10、18〜)
【諸積 兼司 背番号変遷】00(3) ⇒ 0(10)、73(4)、83(8)
→ 諸積兼司 背番号 00 へ(無料公開)
1993(H5)年ドラフト5位で入団し、背番号00を着けていた諸積兼司が、97(H9)年から背番号を0に変更した。
2年目の95(H7)年に.290でリーグ6位に顔を出し、盗塁も24個を決めブレイク。前年96(H8)は規定打席未到達ながら112試合に出場して.253だった。
0となった97(H9)年はレギュラー定着を目指したが打率.261と今一つ。98(H10)年は好調を維持して.279を記録するも、前年同様レギュラー定着にはあと一歩だった。それでも、山本功児監督が就任した99(H11)年は開幕スタメンに名前を連ねる。当初は調子が上がらず代打、守備固めにも回ったが、徐々に調子を上げ.280前後をキープし、小坂誠と1、2番コンビが固定されチーム前半の快進撃を支える。最終的に打率は.280を残し、4年ぶりに規定打席に到達しリーグ9位に名前を連ねた。
2000(H12)年は外野手争いが熾烈になる。石井浩郎が加わり、福浦が外野に回り、オリックスでイチロー、田口とともに「鉄壁の外野陣」と言われた本西厚博も加わる。それでも、開幕戦は1番中堅でスタメン出場し2安打を放つ。しかし、4月下旬に顔面に死球を受け離脱。10日後に特注ヘルメットを着用して復活するも、この間欠場した12試合が響き、最終的に規定打席に7打席不足した。打率は.271だった。翌8年目01(H13)年は最低のシーズンとなる。ケガもあり、67試合の出場に留まり打率も.177と2割を切った。
2002年は先発と代打、守備固めとしてチームを支える。そして、5月25日から出場した試合で安打を重ねていく。その記録は7月17日のダイエー(千葉マリン)にスタメン出場し4打数1安打を記録した試合まで続き、連続試合安打記録を球団記録にあと2試合に迫る24試合とした・しかし、翌日無安打に終わり、25試合目でストップした。結局、記録はロペス(1968年)の26試合連続安打に次ぐ球団史上2番目の24試合連続試合安打となった。特に、諸積の場合は24試合のうち、5試合は守備固めで登場して回った1打席での安打だった。少ない打席での価値ある記録となった。このシーズンは124試合に出場し.252だった。
翌03(H15)年は再び不調に陥り.214、05(H17)年は87試合に出場し打率.250、プレーオフ、日本シリーズでも守備固めとして出場し、日本一に貢献した。そして、翌06(H18)年は20試合の出場に留まり、そのシーズン限りで引退した。
◆在籍時通算打撃成績<1110試合、打率.263、2628打数691安打、7本塁打、153打点、103盗塁>
◇初出場、初スタメン、初打席、初安打<1994(H6)年4月13日・近鉄1回戦/R(藤井寺)/1番中堅/3打1安>
◇初打点<1995(H7)年5月30日・近鉄9回戦/H(千葉マリン)/9番中堅/3打1安/適時打>
◇初本塁打<1995(H7)年7月7日・ダイエー14回戦/H(千葉マリン)/1番中堅/下柳剛から>
※在籍時に達成した主な記録
◆24連続試合安打(2002年5月25日~7月17日)球団史上2番目、NPB23位タイ
◇1000試合出場(2004年9月14日、史上399人目)
★《5代》2007(H19)年~2014(H26)年・8年 荻野 忠寛 投手(おぎの ただひろ)(在籍8年)
1982(S57)年4月26日生(入団時24歳)、右投右打
東京・桜美林高–神奈川大–日立製作所–千葉ロッテ(07〜14)
【荻野 忠寛 背番号変遷】0(8)
2006(H18)年ドラフト大学社会人4巡目、社会人・日立製作所から入団した荻野忠寛が背番号0を継いだ。
1年目から即戦力として期待され、07(H19)年は開幕直後に初登板、以降中継ぎとしてマウンドに上がり、6月のプロ初勝利は2球での勝利だった。最終的に58試合に登板、1勝3敗1セーブ、防御率2.21と好投。中継ぎでは薮田安彦に次ぐ21ホールドポイントも記録した。
08(H20)年は前年退団した小林雅英に代わる新守護神に定着。シーズン序盤は失敗する場面も見られたが、中盤以降は安定した投球を見せ、最終的にリーグ1位のオリックス・加藤大輔に3差と迫るリーグ3位の30セーブをマークした。しかし、翌09(H21)年は開幕から抑え役もシーズン中盤から打ち込まれる試合が目立ち中継ぎに回る。それでも、3年連続50試合登板、10ホールド9セーブを記録した。
10(H22)年は前年終盤に痛めた右肘が悪化し離脱。翌11(H23)年も影響が残り、2年続けて一軍登板無しに終わった。復帰は12(H24)年の年6月28日。2年8ヶ月ぶりの一軍マウンドに上り、このシーズンは5試合で1ホールドを記録した。
13(H25)年は10年以来の開幕一軍となったが、6月に右肩を手術。加えてランニング中に前十字靭帯を断裂のケガを負い4試合の登板に終わる。14(H26)年はリハビリを続け9月に二軍戦に復帰するも退団。社会人の古巣・日立製作所に復帰した。
◆在籍時通算打撃成績<178試合、9勝11敗、防2.87、40S、32H、0先発、0完封、120奪三振>
◇初登板<2007(H19)年4月17日・オリックス4回戦(千葉マリン)/3番手/1.1回0失>
◇初ホールド<2007(H19)年4月21日・楽天4回戦/R(フルキャスト)/4番手/1回0失>
◇初勝利<2007(H19)年6月24日・ヤクルト4回戦/R(神宮)/3番手/0.1回0失>
◇初セーブ<2007(H19)年9月19日・ソフトバンク20回戦/H(千葉マリン)/4番手完了/1.1回0失>
2015(H27)年~2016(H28)年 空番
★《6代》2017(H29)年~2025(R7)年は9年目 荻野 貴司(おぎの たかし) 外野手(25年は在籍16年目)
※背番号年数は、着用年数のみ。年数1年未満の場合は月数で表示しています。
※在籍年数は現役としての年数。シーズン途中移籍や入団も1年として算出。
※監督歴は他球団の監督歴も表記、コーチ歴はオリオンズ&マリーンズのみ表記。
※通算成績は背番号時に関係なく在籍時の通算成績です。
※記録内の◆はタイトル、表彰、主な記録。◇は節目の記録。
※初出場等の記録のHホーム、Rロードの略。
※タイトル、表彰、記録は在籍時に表彰を受けたものを対象としています。
※イースタン表彰のFA(JA)はフレッシュ(ジュニア)オールスタの略
(次回)⇒ 《全文無料》(11)「00」最も新しい系譜は助っ人、俊足の系譜』
--- オリオンズ&マリーンズ 背番号の系譜 INDEX ---
(1)《全文無料》「1」巧打好守の好選手の歴史
(2)《有料・冒頭試読》「2」3人の高卒新人開幕スタメン
(3)《有料・冒頭試読》「3」天才打者が歴史を作り、巧打者が続く系譜
(4)《有料・冒頭試読》「4」職人肌野手と助っ人の系譜
(5)《有料・冒頭試読》「5」歴代最少11人、打撃職人の系譜
(6)《有料・冒頭試読》「6」落合が生んだ打線主軸の系譜
(7)《有料・冒頭試読》「7」助っ人強打者と俊足強打の系譜
(8)《有料・冒頭試読》「8」看板打者の系譜
(9)《全文無料》「9」紡いだ歴史を大きく育てた福浦和也
(10)《全文無料》「0」新しい系譜は快足とリリーフエースの系譜に
(11)《全文無料》「00」最も新しい系譜は助っ人、俊足の系譜
(12)《有料・冒頭試読》「10」投手と野手混在の系譜、3000本安打張本勲も背負う
(13)《有料・冒頭試読》「11」左腕の系譜もマリーンズではリリーフの系譜へ
(14)1/25《有料・冒頭試読》「12」球団初戦先発投手から続く投手 時々 打者の系譜
(15)《有料・冒頭試読》「13」準エースの系譜から主力野手の系譜へ
(16)《有料・冒頭試読》「14」球団創設から続く主力投手の系譜
(17)《有料・冒頭試読》「15」フル回転投手から野手の歴史も荘勝男、美馬学が投手伝統を引き継ぐ
(18)《有料・冒頭試読》「16」トレード移籍投手の系譜】
(19)《有料・冒頭試読》「17」佐々木朗希につながるエースの系譜
(20)《有料・冒頭試読》「18」植村義信で生まれたエースの称号
(21)《有料・冒頭試読》「19」投手系譜の背番号も名捕手から始まった
(22)《有料・冒頭試読》「20」野手の系譜から、杉下、堀本、木樽とタイトル投手の系譜へ
(23)《有料・冒頭試読》「21」投手と野手が混在の系譜は、監督の顔に
(24)《有料・冒頭試読》「22」捕手の系譜から助っ人の新しい歴史へ
(25)《有料・冒頭試読》「23」主軸野手が紡いだ背番号23
(26)《有料・冒頭試読》「24」息の長い野手の系譜から投手の系譜へ
(27)《有料・冒頭試読》「25」正統・打撃職人の系譜
(28)《有料・冒頭試読》「26」TEAM26、マリーンズファンの背番号を振り返る
(29)《有料・冒頭試読》「27」主力打者から主力投手、そして捕手エースナンバーへ
(30)《有料・冒頭試読》「28」助っ人、野手から投手の系譜へ
(31)《有料・冒頭試読》「29」サンデー兆治が育て、サンデー晋吾が継いだエースの称号
(32)《有料・冒頭試読》「30」監督・コーチ・野手の背番号から投手の背番号へ
(33)《有料・冒頭試読》「31」野手の出世番号から投手の背番号へ
(34)《有料・冒頭試読》「32」主力選手から職人野手の背番号、そして捕手の新しい歴史へ
(35)《有料・冒頭試読》「33」2人の殿堂入り胴上げ監督の背番号
(36)《有料・冒頭試読》「34」400勝投手監督から投手の背番号に
(37)《有料・冒頭試読》「35」初代監督から、外野手の出世番号へ
(38)《有料・冒頭試読》「36」36からの飛躍した三井、サブロー
(39)《有料・冒頭試読》「37」投手、野手、助っ人、25代の系譜
(40)《有料・冒頭試読》「38」強心臓投手と大砲候補の系譜
(41)《有料・冒頭試読》「39」投手・野手から捕手の系譜へ
(42)《有料・冒頭試読》「40」多士済々のメンバーが連なる系譜
(43)《有料・冒頭試読》「41」期待の星から主軸へ、チーム支えた成長の系譜
(44)《有料・冒頭試読》「42」多彩な系譜オリオンズ~マリーンズは助っ人の系譜
(45)《有料・冒頭試読》「43」土肥から捕手の系譜~ウォーレン、ミンチー助っ投の系譜
(46)《有料・冒頭試読》「44」顔に育てた山本功児、井上晴哉の背番号44
(47)《有料・冒頭試読》「45」得津、横田、堀、田村と並ぶ、出世番号の系譜
(48)《有料・冒頭試読》「46」成田文男から続く、主軸投手の系譜
(49)《有料・冒頭試読》「47」打者のチームから投手のチームへ変貌させた300勝投手の背番号47
(50)《有料・冒頭試読》「48」リリーフ左腕、代打、好守、チームを下支えした系譜
(51)《有料・冒頭試読》「49」職人選手の出世番号
(52)《有料・冒頭試読》「50」2人の殿堂入り監督が背負った背番号50
(53)《有料・冒頭試読》「51」東京球場で舞った51、航輝が育てる
(54)《有料・冒頭試読》「52」大沢親分から立川、塀内、そしてマウンドで躍動する52へ
(55)《有料・冒頭試読》「53」ベテラン、コーチの53から捕手の印象付けた2人の捕手
(56)《有料・冒頭試読》「54」2人の殿堂入りコーチから、マウンドで躍動する54へ
(57)《有料・冒頭試読》「55」初代殿堂入りコーチから、技巧派外野手の系譜
(58)《有料・冒頭試読》「56」短命続いた系譜も隠れた出世番号
(59)《有料・冒頭試読》「57」57のイメージ残した佐藤幸彦
(60)《有料・冒頭試読》「58」2人の「毅」が刻んだ58の系譜
(61)《有料・冒頭試読》「59」捕手の系譜から野手、そして投手の系譜へ
(62)《有料・冒頭試読》「60」首脳陣、裏方の背番号から出世番号へ
(63)《有料・冒頭試読》「61」角中勝也が躍動させた背番号61
※参考文献、参考WEBは『プロローグ』から