《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/「11」主軸左腕の系譜もマリーンズではリリーフの系譜へ】
(写真 左から。2004年から背番号11を背負う12代・澤村拓一、初代・2冠タイトル新人王の荒巻淳、5代・9年間背番号11左腕エース水谷則博、6代・左腕エースを継いだ前田幸長)
(13)「11」主軸左腕の系譜もマリーンズではリリーフの系譜へ
背番号11の系譜は、球団創設とともに誕生した大エース左腕から始まった。初代は創設年に新人ながら26勝で最多勝利、防御率2.06で最優秀防御率の2冠初代パ・リーグタイトルホルダーとなった荒巻淳から始まった。その後最優秀防御率の妻島芳郎、川崎球場時代は水谷則博、前田幸長と左腕の主軸につながる。マリーンズとなってからは、リリーフ投手に引き継がれ、今シーズンからは澤村 拓一が引き継ぐ。
----- 現在の背番号「11」 -----
★《12代》現在・24年は1年目 澤村 拓一(さわむら ひろかず) 投手(在籍3年)
1988(S63)4月3日生(移籍時32歳)、右投右打
栃木・佐野日大高−中央大−巨人(11〜20途中)−千葉ロッテ(20途中)−米・
ボストン・レッドソックス(21−22)−千葉ロッテ(23〜)
【澤村 拓一 背番号変遷】57(途中) ⇒ 54(1) ⇒ 11(1)
2020(R2)年の9月に巨人からトレード移籍し、その後米メジャーに渡っていた澤村拓一が23(R5)年に3年ぶりに復帰。復帰1年目の前年、背番号は54を着けていたが、今シーズンから11に変更した。
前年は中継ぎとして期待され、開幕一軍も6月に抹消され再調整。復帰後も8月に可逆性脳血管攣縮症候群と診断され再び抹消され治療に専念するなど、30試合の登板、4勝3敗3セーブだった。それでも14ホールドを記録した。
35歳となる今シーズン、背番号11を継いで再起を図る。
(23年シーズン終了時)
◆<56試合、4勝5敗、防2.23、4S、27H、1先発、0完封、35奪三振>
◇ロッテ初登板、初ホールド<2020(H2)9月8日・日本ハム13回戦/H(ZOZOマリン)/3番手/1回0失H>
◇ロッテ初セーブ<2020(H2)9月20日・日本ハム18回戦/R(札幌D)/3番手完了/1回0失>
◇ロッテ初勝利<2023(H5)4月8日・楽天1回戦/H(ZOZOマリン)/3番手/1回3失○>
◇オールスター出場/在籍時なし(自身通算2回)
※在籍時に達成した主な記録
◇日米通算1000投球回<2023年7月30日・ソフトバンク16回戦(PayPayD)>
----- オリオンズ&マリーンズ「11」の系譜 -----
★《初代》1950(S25)年~1961(S36)年・12年 荒巻 淳(あらまき あつし) 投手(在籍12年)
【野球殿堂入り】野球殿堂競技者表彰(1985年)
1926(S1)年11月6日生(入団時23歳)、左投左打
大分・旧制大分商業高−旧制大分経済専門学校−星野組−毎日/大毎(50〜61)−阪急(62)
【荒巻 淳 背番号変遷】11(12)
社会人・星野組のエースだった荒巻淳が、西本幸雄らとともに毎日に入団。初代・背番号11を背負った。
エース左腕の初登板はリリーフだった。球団創設3戦目に4回途中から2番手として登板。最後まで投げ切りチームは逆転。初勝利を挙げた。以降、先発ローテーションに加わりながらリリーフとしても登板。最終的に48試合に登板して19試合に先発。26勝8敗で最多勝利、防御率2.06で最優秀防御率と初代タイトルを獲得。新人王にも選ばれ、パ・リーグ初代優勝と日本シリーズ制覇に貢献した。
しかし、翌61(S26)年は前年の登板過多とキャンプを兼ねたリーグ選抜チームのハワイでの調整が上手くいかず、31試合に登板、防御率2.42でリーグ6位に入ったものの10勝8敗に終わる。62(S27)年はさらに登板を減らし26試合、防御率は1.86だったものの7勝6敗に終わった。
「火の玉投手」と呼ばれた速球が大きな武器だったが、肩とヒジの負担と速球に限界を感じてカーブの技術向上に努める。53(S28)には新しい投球スタイルで完全復活。50試合に登板。16試合に先発したが、主にリリーフとしてマウンドに上がり、防御率2.14(リーグ4位)17勝14敗。54(S29)年はさらにフル回転、49試合に登板し24試合に先発、2.32(リーグ8位)で22勝12敗。55(S30)年は49試合(先発19試合)2.35(リーグ8位)で18勝12敗。56(S31)年は自己最多となる56試合に登板(20試合に先発)し2.12(リーグ8位)で24勝16敗とコンスタントに成績を積み重ねていった。
その後も58(S33)年、リリーフを主にした59(S34)年と防御率2点台、ともに17勝を挙げたものの、チームが10年ぶりのリーグ制覇を果たした60(S35)年は21試合のリリーフ登板に留まり0勝2敗、防御率はプロ入り以来10年間維持してきた2点台前半から4.15と大きく落とした。61(S36)年は23試合に登板したものの0勝0敗に終わり、オフに阪急へ移籍した。阪急では1年限りで引退した。
荒巻がオリオンズ在籍時に投げた投球回は2200.2回だった。1シーズン平均183回、フル稼働した10年間だと2134回、1シーズン平均213回というフル稼働だった。また、球団最初の200勝投手と期待されたが、敗戦が107敗と多く、200勝に到達出来なかった要因となった。
◆在籍時投手成績<506試合、173勝107敗、防2.23、169先発、16完封、1067奪三振>
◇初登板、初勝利<1950(S25)年3月15日・南海1回戦/H(大須)、2番手完了、5.1回4失>
◇初先発、初完投<1950(S25)年3月20日・西鉄2回戦(後(後楽園)/先発/9回3失>
◇初完封<1950(S25)年4月14日・西鉄3回戦(後楽園)/先発/9回0失>
◆在籍時打撃成績<522試合、打率.195、717打数140安打、1本塁打、46打点、4盗塁>
◇オールスター出場/5回(53、54、55、56、57)
※在籍時に獲得したタイトル
◆最多勝利(1950年)
◆最優秀防御率(1950年)
※在籍時に選出された主な表彰
◆新人王 (1950年)
◆ベストナイン(1950年/投手)
※在籍時に達成した主な記録
◆リーグ最多無四球試合無しで通算25無四球試合 ※NPB最多
◇100勝(1955年10月8日・トンボ20回戦(川崎)、史上22人目)
◇150勝(1958年8月10日・南海21回戦(後楽園)、史上12人目)
◇500試合登板(1961年7月1日・西鉄9回戦(平和台)、史上10人目)
★《2代》1962(S37)年~1970(S45)年・9年 妻島 芳郎(つましま よしろう) 投手(在籍9年)
1938(S13)年10月9日生(入団時23歳)、右投右打
東京・日大二高−日本通運浦和−大毎/東京/ロッテ(62〜70)
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