【全史】第22章 初の2年連続最下位に沈む/1989(平成元)年
(1)平成元年、パ・リーグとオリオンズも新時代
元号が平成に変わった。前年中心選手としてオリオンズを支えていた5選手が退団し。ドラフトで10選手が入団。浦和に二軍の新球場が完成し、二軍の主戦場が出来た。パ・リーグもオリックス、福岡ダイエーと新生チームが誕生。まさしく、新しい時代を迎えようとしていた。
キャンプは投手陣15名が沖縄県那覇市の奥武山球場で、野手陣は川崎球場でキャンプイン。10日から鹿児島県鴨池球場で二次キャンプが始まった。
投手陣で注目を集めたのは村田だった。今シーズンは現役22年目の40歳。オリオンズ史上初の200勝に「あと2勝」と迫っていた。しかし、村田は淡々とこれまでと変わらず投げ込んだ。「区切りとして意識しないと言えば嘘になるけど、いつもと変わらずやれば届くでしょ」と話した。
そして、抑えとしてマウンドに上がっていた牛島が、今シーズンは先発に回ることになった。有藤から「精神的にもうしんどいだろう? 先発をやってみるか?」と声をかけられ即答した。やはり、投手は先発して完投することが理想だという思いがあったという牛島。28歳で「ラストチャンス」と思ったことに加え「短いイニングしか通用しない」と言われていたことを見返したかった思いもあった。
ドラ1の前田にも注目が集まった。前年甲子園の準優勝投手として注目が高く、女性の観客も増えていた。バレンタインデーにはチョコレートが1500個も届き、以降「チョコ」という愛称がついたほど、このキャンプでは注目が高かった。
先発には村田、荘、牛島、小川、園川。抑えには平沼、堀井、今野、関らを競わせる。中継ぎには吉岡、井辺、故障が癒えた伊藤優、2年目の伊良部らに期待を寄せる。
打撃陣では、マドロックに代わる外国人選手としてマイク・ディアス外野手が加入した。メジャーでは度々乱闘を引き起こしていたことや、その筋肉質の体格から「ランボー」の愛称がついていた。キャンプではパワフルなバッティングに加え、コツンと当てる技術も披露。性格も明るく、ナインと気軽に話す場面も多かった。前年マドロックはナインとの意思疎通に苦労した面もあっただけに一安心だ。有藤も「一発はもちろん、率も狙えるんじゃないか。愛甲、高沢、古川と絡ませたら面白くなる」と笑顔を見せた。打率が今一つだった西村、横田、上川は連日の振り込み。2年目の堀、ルーキーの初芝も加わり、一軍争いのレベルも上がった。
ところが、オープン戦でアクシデントが起きる。今シーズンから選手会長に就任し、まとめ役を任された西村がオープン戦でバッティングした際に右手有鈎骨を骨折した。続いて水上も死球を受けて頬を骨折とレギュラー2人が開幕には間に合わない緊急事態となった。
開幕戦は4月9日の西武戦(西武)となった。8日が中止となり、村田がスライドし、4年連続12回目の開幕マウンドに上がった。その村田が気迫のピッチングを見せると、打線もつながり7-0で勝利。村田は149球5安打で現役投手最高となる32度目の完封。村田は200勝に「あと1勝」と王手をかけた。打線は4番高沢が3安打2打点を記録すると2番佐藤健、3番愛甲、5番ディアズ、西村の代わりに9番に入った森田と4選手がマルチ安打と打線がつながり、白星発進となった。
(2)村田、3度目の正直で200勝
村田が開幕戦で勝利し、200勝に王手をかけ、打線もつながり前年優勝の西武に勝利し、明るいスタートとなった。ところが、翌11日からの本拠地開幕戦となったオリックス3連戦に3連敗。14日の近鉄1回戦(川崎)には勝利したものの、2回戦には敗れ、もたつくスタートとなった。
ここから先は
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?