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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜66】「64」短命が続いた背番号も二木康太が出世番号に
(写真 中央・育成から支配下に復帰も24年限りで自由契約となった16代菅野剛士、左上から・オリオンズ時代の二軍監督(上)2代田中義雄、下一軍監督も務めた(下)3代田丸仁、右上から・最長7年背負った5代金沢幸彦、出世番号にした12代二木康太)
(66)「64」短命が続いた背番号も二木康太が出世番号に
背番号64は、東京オリオンズ時代に田中義雄、後の一軍監督田丸仁と二人の二軍監督が背負った。川崎時代には金沢幸彦7年、西嶋賢司が6年と背負ったが、7年が系譜上最長となるように短命の選手が続いた。
一躍64を印象付けたのが二木康太。18に変更して初めて出世番号にした。菅野剛士が24年限りで自由契約となり、17代として新人が新しい系譜を刻むことになる。
----- 現在の背番号「64」 -----
★《17代》2025(R7)〜・25年は1年目 廣池 康志郎(ひろいけ こうしろう) 投手(25年は在籍1年目)
2002(H14)年9月16日(入団時22歳)
宮崎・都城農業高–東海大九州キャンパス–千葉ロッテ(25〜)
【廣池 康志郎 背番号変遷】64(1)
2024(R6)年のドラフト5位で東海大学九州キャンパスから入団した廣池康志郎が、背番号64を引き継いだ。
高校2年で内野手から投手に転向。大学時代は右肩を痛めた時期もあったが、復調後は最速153km/hを記録。荒削りながら将来性に期待されている。
----- 現在の背番号「64」 -----
※1950(S25)年〜1961(S36)年 空番
★《初代》1962(S37)・1年 中野 正彦(なかの まさひこ) 外野手(在籍3年)
1944(S19)年9月19日生(入団時18歳)、右投右打
静岡・静岡商業高‐大毎(62~64)
【中野 正彦 背番号変遷】64(1) ⇒ 46(2)
1962(S37)年に静岡・静岡商業高校から入団した中野正彦が、背番号46を引き継いだ。
強打の外野手として期待されての入団だった。1年目は一軍出場なく二軍で過ごした。オフには背番号を64から46に変更した。
<一軍未出場>
★《2代》1963(S38)年~1964(S39)年・2年 田中 義雄(たなか よしお) 二軍監督(在籍コーチ4年)
1909(M42)年7月20日生(入団時52歳)、右投右打
米ハワイ・マッキンリー・ハイスクール−ハワイ大学−エンドルーコックス・ハイスクール−大阪(37〜44)
他球団監督/大阪(58〜59)、大毎/東京コーチ、二軍監督(61〜64)
【田中 義雄 背番号変遷】50(2) ⇒ 64(2)
→ 田中義雄 背番号 50 へ(有料エリア)
大毎で2シーズンコーチを務めた田中義雄が1963(S38)年に二軍監督に就任。背番号を50から63に変更して引き継いだ。
若手に成長株が多く、63(S38)年は勝率.571、64(S39)年は.634と2年連続してイースタン優勝を果たしたが、64年限りで退団した。
★《3代》1965(S40)年・1年 田丸 仁(たまる ひとし) 二軍監督(在籍監督、コーチ6年)
1926(S1)年10月14日生(入団時53歳)、
神奈川・旧制立正中−法政大
東京/ロッテ二軍監督(65、74)、一軍監督(66)、コーチ(67、73、75)
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