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《1/20まで無料公開》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜69】 「67」意外な出世番号67
(写真 中央・移籍して花開いた12代茶谷健太、左上から・川崎時代に10年ぶりに67を背負った2代松井一弥、現役6年BC9年池野昌之、左上から・27から67に変更して一軍定着した戸部浩、育成から1年67その後29に変更した9代西野勇士)
※名前横の【殿堂】は野球殿堂入りしている選手、【サイン】はサインが掲出されています(クリックで拡大)
(69)「67」意外な出世番号67
背番号67の系譜は面白い。選手が継ぐようになったのは川崎時代から。67が一軍で活躍したのはマリーンズとなってから。「逆出世番号」にした戸部浩。3年間27を背負ったがケガもあり苦しみ67に変更して一軍に定着した。その後、新里賢、的場直樹と移籍した捕手が背負い、育成から支配下契約した西野勇士が飛躍。1年だけ背負い29に変更した。ソフトバンクから移籍して67を飛躍させている茶谷健太は12代目になる。
----- 現在の背番号「67」 -----
★《12代》2020(R2)年〜2025(R7)年は6年目 茶谷 健太(ちゃたに けんた) 投手(25年は在籍7年目)
1998(H10)年1月16日(移籍時21歳)、右投右打
(出身・神奈川)東京・帝京第三高–ソフトバンク(16~18)–千葉ロッテ(19〜)
【茶谷 健太 背番号変遷】124(1) ⇒ 67(6)
前年育成選手契約だった茶谷健太が2020(R2)年に支配下契約となり、背番号を124から67に変更して引き継いだ。
20(R2)年は新型コロナ禍で6月開幕となったが、開幕直後に登録され移籍後初出場。以降、代走、守備固めで起用される。しかし打撃は状態が上がらずロッテ初ヒットは放ったものの1本に終わり抹消。シーズン終盤に再登録され初スタメンも最終的に31試合に出場したが1安打に終わる。
21(R3)年はキャンプで肉離れを発症して出遅れ。7月に二軍で復帰したものの、一軍出場はならなかった。
22(R4)年も二軍スタートとなったが、好調な打撃を買われ6月下旬に一軍登録される。好調は一軍でも持続し初打点、コロナ感染で一時離脱も復帰後には初本塁打も記録。47試合でスタメンにも名前を連ね、最終的に57試合に出場し打率.248、1本塁打9打点を記録した。
23(R5)年は自身初の開幕一軍入り。5月にはスタメンで一塁に入り、打率も3割をキープする。しかし6月以降状態を落としてスタメンを外れる試合も増える。後半には再び状態を取り戻し、最終的に79試合に出場、本塁打はなかったものの打率.284で終えた。
24(R6)年も開幕一軍入りし2戦目でスタメン出場。しかしヒットが続かない。スタメン出場も減らしベンチで控える試合が続く。打率も1割台と低迷し、最終的に88試合と自己最多出場したが、打席数は大きく減らし、打率も.167で終えた。
(2024(R6)年 シーズン終了時)
◆在籍時通算打撃成績<255試合、打率.241、394打数95安打、1本塁打、22打点、4盗塁>
◇ロッテ初出場<2020(R2)年6月25日・オリックス3回戦/H(ZOZOマリン)/途中一塁/打席なし>
◇ロッテ初安打<2020(R2)年8月7日・オリックス10回戦/R(京セラD)/途中二塁/2打1安>
◇初スタメン<2020(R2)年7月26日・西武11回戦/R(メットライフD)/9番遊撃/3打0安>
◇初打点<2022(R4)年7月23日・日本ハム13回戦/R(札幌D)/9番三塁/3打3安/適時打>
◇初本塁打<2022(R4)年8月12日・日本ハム15回戦(ZOZOマリン)/8番遊撃/ポンセから>
----- オリオンズ&マリーンズ「67」の系譜 -----
★《初代》1972(S47)年・1年 藤井 秀通(ふじい ひでみち) 捕手(在籍2年)
1950(S25)年9月23日(移籍時21歳)、右投右打
(出身・熊本)福岡・鞍手高–近鉄(70~71)–ロッテ(72~73)
【藤井 秀通 背番号変遷】67(1) ⇒ 57(1)
1971(S46)年オフに行われた第2回トレード会議でロッテが近鉄の藤井秀通を指名して移籍。初めて背番号67を背負った。
二軍でマスクを被りつつ、ブルペン捕手役も務める。しかし、打撃力は打率2割台前半とアピール出来ず一軍未出場に終わる。オフには背番号を67から57に変更した。
→ 藤井秀通 背番号 57 へ(有料エリア)
<在籍時一軍未出場>
※1973(S48)年〜1981(S56)年 空番
★《2代》1982(S57)年〜1983(S58)年・2年 松井 一弥(まつい かずや) 外野手(在籍2年)
1963(S38)年7月6日(入団時18歳)、右投右打
和歌山・吉備高(現有田中央高)–ロッテ(82〜83)
【松井 一弥 背番号変遷】67(2)
1981(S56)年のドラフト外で和歌山・吉備高校から入団した松井一弥が、背番号67を引き継いだ。
1年目の82(S57)年は、二軍で基礎力強化に努めるもケガもあり出番も少なく終わる。83(S58)年は二軍で試合に出場するも打率は2割台前半に終わり一軍未出場。オフには自由契約となった。
<一軍未出場>
★《3代》1984(S59)年〜1990(H2)年・7年 市川 達也(いちかわ たつや) 投手(在籍4年、BP4年)
1965(S40)年7月11日生(18歳)、右投右打
栃木・宇都宮学園高–ロッテ(84~87)
【市川 達也 背番号変遷】67(4、BP/3) ⇒ 82(1)
1983(S58)年のドラフト外で栃木・宇都宮学園高校から入団した市川達也が、背番号67を引き継いだ。
右腕アンダースロー。高校時代は無名だったが、高校生離れした制球力を買われての入団だった。二軍でマウンドに上がり、2年目の85(S60)年以降は徐々に安定感を増し防御率も上昇させたが、4年間一軍未登板に終わり、87(S62)年限りで現役を引退。打撃投手に転身した。
88(S63)年から背番号67のまま打撃投手を務めた。89(H1)年は打撃投手登録も外れたが、90(H2)年に打撃投手として再登録。91(H3)年に背番号を67から82に変更した。
<一軍未出場>
※1989(H1)年は、市川が打撃投手登録を外れ登録上空番となったが、市川が引き続き打撃投手を務めていたため継続扱いとした。
★《4代》1991(H3)年〜1994(H6)・4年 池田 宇隆(いけだ いえたか) 捕手(在籍4年)
1973(S48)年3月29日生(入団時18歳)、右投右打
福岡・柳川高–ロッテ/千葉ロッテ(91〜94)
【池田 宇隆 背番号変遷】67(4)
1990(H2)年のドラフト5位で福岡・柳川高校から入団した池田宇隆が、背番号67を引き継いだ。
強肩とパンチ力ある打撃が評価されての入団。1年目の91(H3)年から二軍でマスクを被る。しかし、ケガもあり二軍でも出場試合数を増やせない。一軍未出場のまま4年目の94(H6)年も二軍で22試合の出場に留まり、オフには自由契約となり引退した。
<一軍未出場>
★《5代》1995(H7)年〜2000(H12)年・6年 池野 昌之(いけの まさゆき) 捕手(在籍6年)
1976(S51)年5月8日生(入団時18歳)、右投右打
静岡・富士宮北高–千葉ロッテ(95〜00、BC/01〜09)
【池野 昌之 背番号変遷】67(6)、BC/101(9)
1994(H6)年のドラフト7位で静岡・富士宮北高校から入団した池野昌之が、背番号67を引き継いだ。
安定したインサイドワークに期待されてが、4年目の99(H11)年からはブルペン捕手役が多くなる。6年目の00(H12)年も二軍で49試合に出場したが、このシーズン限りで一軍未出場のまま引退。ブルペン捕手に転身し、背番号を67から101に変更した。
<一軍未出場>
※2001(H13)年〜2002(H14)年 空番
★《6代》2003(H15)年〜2006(H18)・4年 戸部 浩(とべ ひろし) 投手(在籍7年)
1974(S49)年7月15日生(入団時25歳)、右投右打
群馬・樹徳高–日本大–東芝–千葉ロッテ(00〜06)–楽天(07〜08)
【戸部 浩 背番号変遷】27(3) ⇒ 67(4)
→ 戸部浩 背番号 27 へ(有料エリア)
3年間背番号27でマウンドに上がっていた戸部浩が、4年目の03(H15)年に背番号を27から67に変更して引き継いだ。
前年までの3年間は15試合、最多でシーズン7試合の登板数だった。しかし、背番号を67に変更した03(H15)年は5月下旬に一軍登録されると、当初は敗戦処理的な登板だったが、徐々に安定したマウンドを見せ一軍に定着。中継ぎとして登板を重ね、初勝利、初セーブも記録。最終的に35試合に登板し防御率4.37、2勝1敗1セーブで終えた。
中継ぎとしてブルペン入りが期待された04(H16)年は、自身初の開幕ベンチ入り。しかし、防御率は5点台と安定感を欠く内容が続き4月中旬には抹消される。加えて若手がリリーフを固め一軍での出番が無くなる。シーズン終盤に再登録されるも、最終的に12試合に登板し防御率3.12に終わる。
05(H17)年、06(H18)年は二軍で登板も一軍未登録に終わる。オフには金銭トレードで楽天に移籍した。
◆在籍時通算投手成績<62試合、2勝2敗、防5.18、1S、-H、先発、0完封、55奪三振>
◇初登板<2000(H12)年4月14日・日本ハム1回戦/H(千葉マリン)/3番手完了/2.2回3失(2自)>
◇初勝利<2003(H15)年6月7日・オリックス13回戦/R(yahoo!BB)/4番手/1回0失>
◇初セーブ<2003(H15)年9月3日・オリックス23回戦/R(Yahoo!BB)/3番手完了/3.1回3失>
★《7代》2007(H19)年〜2009(H21)・3年 新里 賢(しんざと けん) 捕手⇒内野手(在籍4年)
1981(S56)年4月12日生(移籍時25歳)、右投右打
大阪・浪速高–法政大–近鉄(04)–楽天(05~06途中)–ロッテ(06途中~09)
【新里 賢 背番号変遷】95(途中) ⇒ 67(3)
前年2006(H18)年シーズン中の5月25日に川井貴志とのトレードで移籍した新里賢が、07(H19)年に背番号を95から67に変更して引き継いだ。
移籍1年目と2年目の07(H19)年は二軍でマスクを被ったものの、一軍未出場に終わる。
3年目の08(H20)年に打撃力を買われ、バレンタイン監督から内野手へ転向。二軍で二塁の定位置を開幕直後の4月中旬に移籍後初の一軍登録を果たす。初安打も記録したが、捕手と二塁に入るも1安打に終わる。
09(H21)年は4月に登録されスタメンに抜擢。初打点を記録するも2試合の出場で抹消される。オフには自由契約となり引退した。
◆在籍時通算打撃成績<7試合、打率.200、10打数2安打、0本塁打、2打点、0盗塁>
◇ロッテ初出場、初安打<2008(H20)年5月16日・オリックス9回戦/H(千葉マリン)/途中捕手/2打1安>
◇初スタメン<2009(H21)年4月19日・ソフトバンク3回戦(千葉マリン)/7番三塁/3打0安>
◇初打点<2009(H21)年4月25日・西武5回戦/R(西武D)/代打/適時三塁打>
<一軍未出場>
★《8代》2010(H22)年〜2012(H24)・3年 的場 直樹(まとば なおき) 捕手(在籍3年)
1977(S52)年5月9日生(移籍時32歳)、右投右打
大阪府・上宮高–明治大ダイエー(00~09)–千葉ロッテ(10~12)
【的場 直樹 背番号変遷】67(3)
前年限りでソフトバンクを自由契約となった的場直樹が、トライアウトを経て2010(H22)年にテストを受け入団。背番号67を引き継いだ。
移籍1年目の10(H22)年は開幕ベンチ入り。開幕直後に里崎智也が離脱しスタメンマスクを被る。しかし4月中旬に自らもケガで離脱する。5月中旬に復帰すると、以降もシーズン終盤までスタメンマスクを被った。最終的に70試合に出場したが、打率は.160と低迷したが、ベテランらしいリードでチームを3位に導いた。ポストシーズンでは里崎と併用起用され、チームの下剋上日本一に貢献した。
11(H23)年は里崎が復帰し二軍スタートとなる。6月に一軍登録されると里崎と併用起用されるも打撃の状態が上がらず7月下旬にニ軍落ち。8月中旬に再登録され再び併用起用されたものの、最終的に27試合の出場に留まり、打率も.186に終わる。
翌12(H24)年は一軍未出場に終わり、オフには自由契約となり引退した。
◆在籍時通算打撃成績<101試合、打率.167、258打数43安打、1本塁打、22打点、0盗塁>
◇ロッテ初出場<2010(H22)年3月31日・楽天2回戦/H(千葉マリン)/途中捕手/打席なし>
◇ロッテ初スタメン、初打席<2010(H22)年4月8日・ソフトバンク3回戦/R(Yahoo!D)/8番捕手/3打0安>
◇ロッテ初安打<2010(H22)年4月9日・西武4回戦/H(千葉マリン)/8番捕手/3打1安>
◇ロッテ初打点<2010(H22)年4月11日・西武6回戦/H(千葉マリン)/8番捕手/適時二塁打>
◇ロッテ初本塁打<2010(H22)年8月5日・楽天13回戦/R(Kスタ)/9番捕手/永井怜から>
★《9代》2013(H25)年・1年 西野 勇士(にしの ゆうじ) 投手(在籍17年目)
1991(H3)年3月6日生(入団時22歳)、右投右打
富山・新湊高–千葉ロッテ(09〜)
【西野 勇士 背番号変遷】131(4) ⇒ 67(1) ⇒ 29(11)
育成選手として4年間所属していた西野勇士が2012(H24)年オフに支配下契約を結び、5年目の13(H25)年から背番号を131から67に変更して引き継いだ。
その13年はオープン戦で好投し開幕一軍入り。開幕2戦目に中継ぎとして初登板を果たす。4月8日の楽天3回戦(Kスタ)に初先発(前日も先発したが2回降雨コールド)。7回無失点と好投して初勝利をマークする。育成出身として先発初勝利は初の記録だった。以降、先発ローテーションに加わったが、8月に右肩を痛めて一時離脱。復帰後もローテーションを守り、最終的に22試合に先発(24登板)、9勝6敗、防御率3.80と実績を作ったシーズンとなった。オフには背番号を67から村田兆治、小野晋吾が背負った29に変更した。
→ 西野勇士 背番号 29 へ(有料エリア)
(2025(R7)年 シーズン終了時)
◆在籍時通算投手成績<308試合、38勝37敗88S38H、防3.06、71先発、1完封、580奪三振>
◇初登板<2013(H25)年3月30日・オリックス2回戦/H(QVCマリン)/2番手/2.2回1失>
◇初先発、初勝利<2013(H25)年4月8日・楽天3回戦/R(Kスタ)/先発/7回0失>※育成出身初の初先発初勝利
◇初セーブ<2014(H6)年4月5日/日本ハム2回戦/H(QVCマリン)/4番手完了/1回0失>
◇初ホールド<2014(H6)年4月18日・ソフトバンク4回戦/H(QVCマリン)/4番手/1回0失>
◇初完投、初完封<2019(R1)年9月7日・ソフトバンク23回戦/R(ヤフオク!D)/先発/9回0失>
◇オールスターゲーム出場/2回(13、16)
※在籍時に達成した育成出身記録
◆初先発初勝利(2013(H25)年4月8日・楽天3回戦(Kスタ))
◆初の1試合2桁奪三振(2013年5月20日・広島2回戦(QVCマリン)8回1/3で12奪三振)
◆初のシーズン30セーブ(2014年)
★《10代》2014(H26)年途中〜2017(H29)・3年7ヶ月 金森 敬之(かなもり たかゆき) 投手(在籍4年)
1985(S60)年7月24日生、右投右打
(出身・大阪)東京・東海大菅生高–日本ハム(04〜12)–四国IL/愛媛–千葉ロッテ(14〜17)
【金森 敬之 背番号変遷】120(途中) ⇒ 67(途中+3)
前年独立リーグでプレーし、トライアウトを経てテスト入団し育成契約だった金森敬之が、2014(H26)年6月18日に支配下契約を結び、背番号を120から67に変更して引き継いだ。
14年は6月に一軍登録されると6月27日のオリックス9回戦(QVCマリン)にリリーフとして初登板。以降、リリーフとしてマウンドに上がる。しかし、9回を投げて9四球と制球難な面も見せ、このシーズンは10試合の登板に留まる。
15(H27)は開幕一軍入りし、リリーフとしてマウンドに上がる。当初は安定したマウンドを見せ移籍後初ホールドも記録するが、失点する試合も見せるようになり、6月初旬には抹消される。以降は二軍でマウンドに上がり、シーズン最終盤に再登録され移籍後初勝利も挙げたが、16試合に登板し防御率は5.66に終わった。
16(H28)年はシーズンの大半を二軍で過ごし抑え役を務める。そのイースタンでは最多セーブを挙げ最優秀救援に輝いたが、一軍では1試合の登板に終わった。
17(H29)年は一軍未登板に終わり、オフには自由契約となった。トライアウトに参加したが獲得球団なく引退した。
◆在籍時通算投手成績<27試合、1勝0敗0S1H、防7.84、0先発、0完封、21奪三振>
◇ロッテ初登板<2014(H26)年6月27日・オリックス9回戦/H(QVCマリン)/3番手完了/1回0失>
◇ロッテ初ホールド<2015(H27)年4月8日・オリックス2回戦/R(京セラD)/2番手/1.1回0失>
◇ロッテ初勝利<2015(H27)年10月5日・日本ハム25回戦/H(QVCマリン)/3回0失/1回0失>
★《11代》2018(H30)年〜2019(R1)年・2年 李 杜軒(リー ドゥーシェン) 内野手(在籍2年)
1988(S63)年4月21日生(入団時29歳)、右投右打
(出身・台湾)岡山・共生高–ソフトバンク(07〜16)~台湾・富邦(17)–千葉ロッテ(18〜19)
【李 杜軒 背番号変遷】67(2)
ソフトバンクに9年所属し、前年は台湾でプレーしていた李杜軒が2018(H30)年のキャンプでテストを受け合格。背番号67を引き継いだ。
18年は開幕ベンチ入り。開幕戦に代打でロッテ初登場、4月6日の日本ハム1回戦(東京D)では代打で適時二塁打を放ちロッテ初安打を記録する。しかし、その後はヒットも散発となり4月下旬に抹消。以降は一軍登録なく11試合の出場、打率.188でシーズンを終える。
翌19(R1)年は6月に登録も1試合代打で出場に留まり、オフには自由契約となり引退した。
◆在籍時通算打撃成績<12試合、打率.176、17打数3安打、0本塁打、1打点、0盗塁>
◇ロッテ初出場、ロッテ初打席<2018(H30)年3月30日・楽天1回戦/H(ZOZOマリン)/代打/1打0安>
◇ロッテ初スタメン<2018(H30)年4月4日・オリックス2回戦/R(京セラD)/7番一塁/1打0安>
◇ロッテ初安打、ロッテ初打点<2018(H30)年4月6日・日本ハム1回戦/R(東京D)/代打/適時二塁打>
★《12代》2020(R2)年〜2025(R7)年は6年目 茶谷 健太(ちゃたに けんた) 投手(25年は在籍7年目)
※背番号年数は、着用年数のみ。年数1年未満の場合は月数で表示しています。
※在籍年数は現役としての年数。シーズン途中移籍や入団も1年として算出。
※監督歴は他球団の監督歴も表記、コーチ歴はオリオンズ&マリーンズのみ表記。
※通算成績は背番号時に関係なく在籍時の通算成績です。
※記録内の◆はタイトル、表彰、主な記録。◇は節目の記録。
※初出場等の記録のHホーム、Rロードの略。
※タイトル、表彰、記録は在籍時に表彰を受けたものを対象としています。
※イースタン表彰のFA(JA)はフレッシュ(ジュニア)オールスタの略
(次回)⇒《有料・冒頭試読》(70)「68」山内監督、猪久保、早坂と多彩な系譜
---- オリオンズ&マリーンズ 背番号の系譜 INDEX ----
(1)《全文無料》「1」巧打好守の好選手の歴史
(2)《有料・冒頭試読》「2」3人の高卒新人開幕スタメン
(3)《有料・冒頭試読》「3」天才打者が歴史を作り、巧打者が続く系譜
(4)《有料・冒頭試読》「4」職人肌野手と助っ人の系譜
(5)《有料・冒頭試読》「5」歴代最少11人、打撃職人の系譜
(6)《有料・冒頭試読》「6」落合が生んだ打線主軸の系譜
(7)《有料・冒頭試読》「7」助っ人強打者と俊足強打の系譜
(8)《有料・冒頭試読》「8」看板打者の系譜
(9)《全文無料》「9」紡いだ歴史を大きく育てた福浦和也
(10)《全文無料》「0」新しい系譜は快足とリリーフエースの系譜に
(11)《全文無料》「00」最も新しい系譜は助っ人、俊足の系譜
(12)《有料・冒頭試読》「10」投手と野手混在の系譜、3000本安打張本勲も背負う
(13)《有料・冒頭試読》「11」左腕の系譜もマリーンズではリリーフの系譜へ
(14)《有料・冒頭試読》「12」球団初戦先発投手から続く投手 時々 打者の系譜
(15)《有料・冒頭試読》「13」準エースの系譜から主力野手の系譜へ
(16)《有料・冒頭試読》「14」球団創設から続く主力投手の系譜
(17)《有料・冒頭試読》「15」フル回転投手から野手の歴史も荘勝男、美馬学が投手伝統を引き継ぐ
(18)《有料・冒頭試読》「16」トレード移籍投手の系譜】
(19)《有料・冒頭試読》「17」佐々木朗希につながるエースの系譜
(20)《有料・冒頭試読》「18」植村義信で生まれたエースの称号
(21)《有料・冒頭試読》「19」投手系譜の背番号も名捕手から始まった
(22)《有料・冒頭試読》「20」野手の系譜から、杉下、堀本、木樽とタイトル投手の系譜へ
(23)《有料・冒頭試読》「21」投手と野手が混在の系譜は、監督の顔に
(24)《有料・冒頭試読》「22」捕手の系譜から助っ人の新しい歴史へ
(25)《有料・冒頭試読》「23」主軸野手が紡いだ背番号23
(26)《有料・冒頭試読》「24」息の長い野手の系譜から投手の系譜へ
(27)《有料・冒頭試読》「25」正統・打撃職人の系譜
(28)《有料・冒頭試読》「26」TEAM26、マリーンズファンの背番号を振り返る
(29)《有料・冒頭試読》「27」主力打者から主力投手、そして捕手エースナンバーへ
(30)《有料・冒頭試読》「28」助っ人、野手から投手の系譜へ
(31)《有料・冒頭試読》「29」サンデー兆治が育て、サンデー晋吾が継いだエースの称号
(32)《有料・冒頭試読》「30」監督・コーチ・野手の背番号から投手の背番号へ
(33)《有料・冒頭試読》「31」野手の出世番号から投手の背番号へ
(34)《有料・冒頭試読》「32」主力選手から職人野手の背番号、そして捕手の新しい歴史へ
(35)《有料・冒頭試読》「33」2人の殿堂入り胴上げ監督の背番号
(36)《有料・冒頭試読》「34」400勝投手監督から投手の背番号に
(37)《有料・冒頭試読》「35」初代監督から、外野手の出世番号へ
(38)《有料・冒頭試読》「36」36からの飛躍した三井、サブロー
(39)《有料・冒頭試読》「37」投手、野手、助っ人、25代の系譜
(40)《有料・冒頭試読》「38」強心臓投手と大砲候補の系譜
(41)《有料・冒頭試読》「39」投手・野手から捕手の系譜へ
(42)《有料・冒頭試読》「40」多士済々のメンバーが連なる系譜
(43)《有料・冒頭試読》「41」期待の星から主軸へ、チーム支えた成長の系譜
(44)《有料・冒頭試読》「42」多彩な系譜オリオンズ~マリーンズは助っ人の系譜
(45)《有料・冒頭試読》「43」土肥から捕手の系譜~ウォーレン、ミンチー助っ投の系譜
(46)《有料・冒頭試読》「44」顔に育てた山本功児、井上晴哉の背番号44
(47)《有料・冒頭試読》「45」得津、横田、堀、田村と並ぶ、出世番号の系譜
(48)《有料・冒頭試読》「46」成田文男から続く、主軸投手の系譜
(49)《有料・冒頭試読》「47」打者のチームから投手のチームへ変貌させた300勝投手の背番号47
(50)《有料・冒頭試読》「48」リリーフ左腕、代打、好守、チームを下支えした系譜
(51)《有料・冒頭試読》「49」職人選手の出世番号
(52)《有料・冒頭試読》「50」2人の殿堂入り監督が背負った背番号50
(53)《有料・冒頭試読》「51」東京球場で舞った51、航輝が育てる
(54)《有料・冒頭試読》「52」大沢親分から立川、塀内、そしてマウンドで躍動する52へ
(55)《有料・冒頭試読》「53」ベテラン、コーチの53から捕手の印象付けた2人の捕手
(56)《有料・冒頭試読》「54」2人の殿堂入りコーチから、マウンドで躍動する54へ
(57)《有料・冒頭試読》「55」初代殿堂入りコーチから、技巧派外野手の系譜
(58)《有料・冒頭試読》「56」短命続いた系譜も隠れた出世番号
(59)《有料・冒頭試読》「57」57のイメージ残した佐藤幸彦
(60)《有料・冒頭試読》「58」2人の「毅」が刻んだ58の系譜
(61)《有料・冒頭試読》「59」捕手の系譜から野手、そして投手の系譜へ
(62)《有料・冒頭試読》「60」首脳陣、裏方の背番号から出世番号へ
(63)《有料・冒頭試読》「61」角中勝也が躍動させた背番号61
(64)《有料・冒頭試読》「62」息の長い野手が継いだ背番号
(65)《有料・冒頭試読》「63」小野晋吾、種市篤暉M投手の出世番号に
(66)《有料・冒頭試読》「64」短命が続いた背番号も二木康太が出世番号に
(67)《有料・冒頭試読》「65」コーチ番号も榊親一、大塚明と出世野手に
(68)《有料・冒頭試読》「66」ユウゴー、岡田幸文と息の長い背番号に
(69)《1/20まで無料公開》「67」意外な出世番号67
(70)《1/20まで無料公開》「68」山内監督、猪久保、早坂と多彩な系譜
※参考文献、参考WEBは『プロローグ』から
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