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【全史】第14章 山内体制で前期連覇/1781(昭和56)年

(1)「愛甲フィーバー」で幕開け

 1月15日から川崎球場で始まった若手トレーニングが始まったが、様相が一変していた。前年のドラフト1位で指名した前年甲子園優勝投手の愛甲猛が入団し、スタンドには多くのファンが詰めかけた。アイドル並みの大フィーバーの幕開けだった。走っても、投げてもスタンドからは黄色い声援。川崎球場に移転して初めての光景だった。20日から主力も加わり、さらに熱くなった。

 2月1日、恒例の「川崎大師」への参拝を済ませ、主力バッテリーは鹿児島県指宿市へ移動し、2日からキャンプイン。本体はそのまま川崎球場でキャンプインした。9日に鹿児島へ移動し、10日から指宿組も合流し、二次キャンプが鹿児島鴨池球場でスタートした。鹿児島でも愛甲フィーバーが続き、スタンドには例年以上の観客が連日詰めかけた。休日にはイベントにも参加し、イベント会場もパニックになった。この状況に愛甲自身が神経性胃炎でダウン。数日離脱するハプニングが発生した。

 そのキャンプで注目されたのはエース村田だった。前年、右太腿の肉離れと右足親指付け根の痛みで終盤に戦線離脱し、プレーオフはベンチ入りさえ出来ず自身は9勝9敗に終わった。8月に組み立てを変え、ストレートで押すピッチングから変化球を組み入れたピッチングに手応えをつかんだ直後の離脱だった。今シーズンは、改めて新しいスタイルを構築していく。「いかに速い球を投げるか」ではなく「いかに速い球に見せるか」が今シーズンの課題だと語った。キャンプでは順調に投げ込みを行った。
 前年、投手陣はプレーオフで力尽きたものの、エース不在の中で、仁科が17勝8敗、防御率3.19でリーグ3位、水谷が11勝9敗、防御率3.49で4位と先発陣の柱として成長。奥江も防御率5.19(20位)ながら13勝8敗、倉持は18セーブでリーグ最多セーブを記録した(最優秀救援投手は救援勝利数が多かった金城基泰(南海)となった)。ここに村田が復帰することで、投手陣の厚みは増す。

 打撃陣は順調だった。前年はリーが打率.358/33本塁打で初の首位打者を獲得。レオンは打率.340(2位)/41本塁打/116打点、有藤は打率.309/22本塁打、2年目の落合は後期だけ57試合の出場ながら打率.283/15本塁打/32打点と主軸が数字を残した。
 開幕から新たな打線の柱として期待されるのは3年目となる落合だ。シーズンを通して結果を残せれば、リーきょうだい、有藤中心の打線の幅が広がる。落合は「130試合フル出場と25本塁打」を目標に掲げる。「月5本をノルマ」と話したが、これが達成出来れば、新ミサイル打線はさらなる進歩を遂げる。
 その他、弘田が打率.262ながら、自己最高となる41盗塁をマーク、巨人から移籍した庄司が終盤失速したものの、打率.259/18盗塁、水上は打率.248ながら初の規定打席に到達、15本塁打と成長の跡を見せた。キャンプでは、若手で伸びしろが期待される落合、庄司、水上に山内監督も連日特打を課して期待を寄せた。

 今シーズンの日程を見て、山内監督は「前期のヤマは17連戦になりそうだ」と話していた。これは5月23日から6月7日(7日はダブルヘッダー)の休みのない17連戦のことだった。梅雨の時期のため、雨天中止もあると予想されるが、ここまでに貯金をためて17連戦を乗り切る算段だった。

(2)首位の座、50日間守る戦い

1981年開幕戦を迎えた川崎球場

 4月4日、開幕は川崎球場の西武3連戦で迎えた。開幕戦は村田が7年連続開幕マウンドに上がった。打線では3年目の落合が1号を放ち、6回裏には勝ち越しタイムリーを放つなど猛打賞でエースを援護。村田は6回以降を無失点で踏ん張り6-3で完投勝利た。開幕戦の勝利は村田が初めて開幕投手を務めた1975(昭和50)年以来、7年ぶりの幸先良いスタートとなった。

 しかし、リー、レオンに思わぬアクシデントが発生する。開幕から絶好調だったレオンが8日の阪急2回戦(川崎)で足を痛め、翌9日からDHとして途中出場する状態に。19日の近鉄3回戦(川崎)から一塁でスタメン復帰したものの、ヒヤッとするハプニングだった。一方、リーは開幕直後から不振を極めた、来日以来コンスタントに打ち続けてきたが、ヒットは出るものの単発が続いた。4月は打率.238、2本塁打と来日以来最低のスタートとなった。

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