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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-31- オリオンズ最後の戦士・堀幸一】


(31)オリオンズ最後の戦士・堀幸一

 初芝とともにオリオンズ晩年からマリーンズ初期の打線を支えた堀幸一。派手さはないが、勝負強いバッティングはファンの歓声を浴びる場面も多かった。
 堀の勝負強さを物語るデータがある。オリオンズ~マリーンズ73年間の歴史の中で、球団史上最多となるサヨナラ本塁打を5本放った打者が3人いる。一人は大毎オリオンズ時代の4番打者山内一弘、一人は堀とともに打線の主軸を担った助っ人ボーリック、そしてもう一人が堀幸一だ。

 21年間の通算安打は1827本。ケガに泣かされたシーズンも多く、タイトルには届かなかった。目標だった2000本にもわずかに届かなかった。それでも「いぶし銀」「職人」と呼ばれたバッティングは多くのファンを魅了した。今回は堀の現役時代を思い出したい。

【「打撃の天才」と評されて】

 長崎県の海星高校から1987年のドラフト3位で指名されて入団した。1年目の1988年は二軍生活。ただ、そのバッティング技術の高さは首脳陣からも注目されていた。1989年は2年目ながら開幕から一軍に登録され、初安打、初打点、初本塁打を記録。そのバッティングセンスの高さに「天才バッター」と早くも称され、2年目は58試合に出場、77打数20安打ながら打率は.260と数字を残した。何よりも二塁、三塁、遊撃、外野と守り、器用さも見せた。3年目の1990年には当時の球団記録となる「8打席連続安打」も記録した。
 飛躍したのは背番号が45から5に変更された4年目の1991年、川崎球場最後のシーズンだった。二塁のレギュラーをつかみ110試合に出場し打率.284で規定打席に到達、リーグ8位に顔を出し、本塁打も20本を記録した。

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