《1/20まで無料公開》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜70】「68」山内監督、猪久保、早坂と多彩な系譜
(写真 中央・ケガからの復活期す3年目の10代金田優太、左上から・練習生4年から正選手へ初代新井彰、17年ぶり監督としてオリオンズに復帰3代山内一弘、右上から・8年背負った6代猪久保吾一、68を飛躍させた7代早坂圭介)
※名前横の【殿堂】は野球殿堂入りしている選手、【サイン】はサインが掲出されています(クリックで拡大)
(70)「68」山内監督、猪久保、早坂と多彩な系譜
現在では現役選手の背番号として定着している背番号68だが、始まりは東京オリオンズ時代と比較的新しい系譜だ。当初は打撃投手や練習生が着用し、選手契約となると若い番号に変更するという番号だった。
一躍、68が注目されたのが、カネやんの後を継いで監督となった山内一弘監督が背負った時だった。「年間の勝利数の目標」として68を選んだ。かつてのミサイル打線の4番として活躍した山内の復帰に、当時は健在だった毎日時代からのオールドファンも注目した。ただ、当時は前後期制の時代。就任2年目には「前後期の勝利数」として33に変更した。
マリーンズとなってから68を印象付けたのは早坂圭介だった。68を13年間背負った。10代となる金田優太は2025年が3年目。ケガをしっかりケアし、大きく成長して欲しい。
----- 現在の背番号「68」 -----
★《10代》2023(R5)年〜・25年は3年目 金田 優太(かねだ ゆうた) 内野手(25年は在籍3年目)
2005(H17)年2月12日生(入団時18歳)、右投左打
埼玉・浦和学院高–千葉ロッテ(23〜)
【金田 優太 背番号変遷】68(3)
2022(R4)年のドラフト5位で埼玉・浦和学院高校から入団した金田優太が、背番号68を引き継いだ。
1年目の23(R5)年はシーズン序盤は基礎力強化に時間を割き、後半は二軍の試合で実績を積む。
24(R6)年も二軍で試合に出場し、徐々に対応。6月は少ない打席ながら打率は4割を超え、一軍の練習にも参加する。しかし、7月下旬に左手関節尺側手根伸筋脱臼を発症し左手関節鏡視下TFCC縫合術を受け、残りシーズンはリハビリに専念した。
(2025(R7)年 シーズン終了時)
<一軍未出場>
----- オリオンズ&マリーンズ「68」の系譜 -----
※1950(S25)年〜1963(S38)年 空番
★《初代》1964(S39)年・1年 新井 彰(あらい あきら) 内野手(在籍2年/練習生4年)
1939(S14)年9月19日生(入団時22歳)、右投左打
千葉・銚子商業高−昭和鉄管−大毎/東京(練習補助/59〜62、63〜64)
【新井 彰 背番号変遷】練習補助生(4) ⇒ 56(1) ⇒ 68(1)
→ 新井彰 背番号 56 へ(有料エリア)
練習補助生として4年在籍し、前年に正式契約を結んだ新井彰が、1964(S39)年に背番号を56から変更し初代68を背負った。
64(S39)年は練習補助的な役割で一軍に帯同。7月11日の西鉄17回戦(平和台)では唯一のスタメンとなる偵察要員として名前を連ねたが試合に出場することなく、このシーズン限りで退団した。
◆在籍時打撃成績<1試合、打率.ー、0打数0安打、0本塁打、0打点、0盗塁>
◇初出場、初スタメン<偵察要員・1964(S39)7月11日西鉄17回戦/R(平和台)/8番二塁>
※1965(S40)年〜1971(S46)年 空番
★《2代》1972(S47)年・1年 薗部 潔史(そのべ きよし) 投手(在籍7年)
1953(S28)年10月1日生(入団時18歳)、右投右打
茨城・常北高−ロッテ(72〜78)
【薗部 潔史 背番号変遷】68(1) ⇒ 58(6)
1971(S46)年のドラフト11位で茨城・常北高校から入団した薗部潔史が、背番号68を引き継いだ。
打撃投手としての契約だったが、正選手への昇格を含めた契約での入団だった。打撃投手が主な役割だったが投手登録され、二軍のマウンドにも2試合上がった。オフには背番号を68から58に変更した。
→ 薗部潔史 背番号 58 へ(有料エリア)
<一軍未出場>
※1973(S48)年〜1978(S53)年 空番
★《3代》1979(S54)年・1年 【サイン】山内 一弘(やまうち かずひろ) 監督(在籍12年、監督3年)
※1962(S37)年から 山内和弘 ⇒ 一弘 に登録名変更
【野球殿堂入り】野球殿堂競技者表彰(2002年)
1932(S7)年5月1日(入団時)、右投右打
愛知・起工業高‐川島紡績‐毎日(52~63)‐阪神(64~67)‐広島(68~70)
監督歴/ロッテ(79~81)、中日(84~86)
【山内 一弘 背番号変遷】8(11)、監督/68(1) ⇒ 33(2)
→ 山内一弘 背番号 8 へ(有料エリア)
大毎時代にミサイル打線の4番だった山内一弘が、63(S38)年オフの「世紀のトレード」で移籍して以来、17年ぶりにオリオンズに監督として戻って来た。背番号は「年間の勝利数」として掲げた68を引き継いだ。
1年目の79(S54)年は「新ミサイル打線」を看板に掲げ、戦力を探りながらの指揮となった。前期は負け越して4位に沈んだが、後期は阪急の独走を許したものの一時2位に浮上するなど手応えをつかんだシーズンとなった。オフには「前期か後期の勝利数」として背番号を68から33に変更した。
→ 山内一弘 背番号 33 へ(有料エリア)
◆監督成績(79(S54)年~81(S56)年)
<390試合、182勝171敗4分、勝率.516、3位3回(前期優勝2回)>
◆在籍時打撃成績<1402試合、打率.310、4895打数1516安打、262本塁打、876打点、87盗塁>
◇初出場、初スタメン、初打席<1952(S27)年6月28日第2・近鉄10回戦/H(川崎)/5番中堅/2打0安>
◇初安打<1952(S27)年6月29日第1・大映5回戦/H(川崎)/5番左翼/4打2安>
◇初打点<1952(S27)年7月12日第1・近鉄11回戦/R(藤井寺)/途中左翼/適時打/2打2安>
◇初本塁打<1952(S27)年8月2日第1・阪急15回戦/H(高崎)/宮沢基一郎から>
◇オールスター出場/10回(54,55,56,57,58,59,60,61,62,63、自身通算16回>
※在籍時に獲得したタイトル
◆首位打者(1957年)
◆本塁打王/2度(1959年、60年)
◆打点王/4度(1954年、55年、60年、61年)
◆最多出塁数4度(1954年~57年)当時連盟表彰なし
※在籍時に選出された表彰
◆最高殊勲選手(MVP)(1960年)
◆ベストナイン/9度(1954年~57年、59年~63年/すべて外野手)自身通算選出10度、54年は外野手部門での昭和生まれ初の受賞、10度受賞は外野手部門歴代2位タイ
※在籍時に達成した主な記録
◆1試合9打点(1959年7月5日)パ・リーグ記録
◆最多6連続試合二塁打(1959年6月18日~25日)当時の日本記録
◆シーズン最多二塁打4度 歴代最多
◇100本塁打(1957年6月2日・南海11回戦(後楽園)木村保から、史上16人目)
◇150本塁打(1959年8月16日・東映19回戦(川崎)土橋正幸から、史上12人目)
◇1000安打(1960年7月16日・南海15回戦(後楽園)森中千香良から、史上33人目)
◇1000試合出場(1961年4月23日・東映5回戦(駒沢)、史上57人目)
◇200本塁打(1961年8月8日・南海15回戦(大阪)後藤修から、史上8人目)
◇300二塁打(1963年6月27日・近鉄14回戦(日生)久保征弘から、史上3人目)
◇250本塁打(1963年8月19日・阪急19回戦(西宮)米田哲也から、史上2人目)
◇1500安打(1963年9月21日・阪急25回戦(東京)梶本隆夫から、史上12人目)
※1980(S55)年〜1982(S57)年 空番
★《4代》1983(S58)年〜1984(S59)年・2年 佐藤 薫(さとう かおる) 内野手(在籍2年)
1964(S39)年4月5日生(入団時18歳)、右投右打
秋田・能代商業高–ロッテオリオンズ(83~84)
【佐藤 薫 背番号変遷】68(2)
1982(S57)年のドラフト外で秋田・能代商業高校から入団した佐藤薫が、背番号68を引き継いだ。
好守の内野手として期待されたが、二軍でも打撃力の力の差は埋めきれず、2年目の84(S59)年限りで自由契約となり引退した。
<一軍未出場>
※1985(S60)年 空番
★《5代》1986(S61)年・1年 渡辺 恒佳(わたなべ つねよし) 投手(BP練習生在籍2年)
1964(S39)年8月8日生(入団時21歳)、右投右打
東京都・足立高–いすゞ自動車–ロッテ(86〜87)
【渡辺 恒佳 背番号変遷】BP/68(1) ⇒ 96(1)
入団テストを受け合格。1986(S61)年に打撃投手として社会人・いすゞ自動車から入団した渡辺恒佳が、背番号68を引き継いだ。
選手登録はされず、二軍でも試合出場はなく、オフには背番号を68から96に変更した。
<一軍未出場>
※1987(S62)年〜1988(S63)年 空番
★《6代》1988(H1)年〜1995(H7)年・8年 猪久保 吾一(いのくぼ ごいち) 捕手(在籍8年、練習生1年)
1967(S42)年12月26日生(入団時21歳)、右投右打
岩手・盛岡商業高–本田技研鈴鹿–ロッテ(88~96)
【猪久保 吾一 背番号変遷】68(練習生1、7) ⇒ 51(1)
1988(S63)年に社会人・本田技研鈴鹿から練習生として合流していた猪久保吾一が、背番号68を引き継いだ。オフのドラフト外で指名されて2年目から選手登録された。
練習生時代から2シーズンは二軍で出場していたが、3年目の90(H2)年は開幕一軍に抜擢される。開幕2戦目で初出場すると、4月26日のダイエー3回戦(川崎)で初スタメン、初安打、5月には初本塁打も記録する。しかし、打撃力の課題は克服出来ずシーズン中盤には抹消。最終的に42試合に出場しマスクを被ったものの、打率.190、1本塁打4打点に終わる。
翌91(H3)年は5月に一軍登録されるも26試合の出場に留まり、打率.211に終わる。以降は出場を減らし、マリーンズ初年の92(H4)年は3試合、93(H5)年は一軍未出場に終わる。
94(H6)年は一軍正捕手に座っていた定詰雅彦が打撃不振で8月に一軍合流する。シーズン終盤はスタメンにも起用され38試合に出場、打率.240を記録した。
95(H7)年は定詰に加え日本ハムから移籍した山中潔も加わり、再び二軍でマスクを被る。7月に一軍合流したものの3試合の出場に留まる。オフには背番号を自分の名前にちなんだ51に変更した。
→ 猪久保吾一 背番号 51 へ(全文無料)
◆在籍時通算打撃成績<118試合、打率.202、119打数24安打、1本塁打、5打点、1盗塁>
◇初出場<1990(H2)年4月10日・日本ハム1回戦/R(東京D)/途中捕手/打席なし>
◇初打席<1990(H2)年4月15日・近鉄1回戦/H(川崎)/途中捕手/1打0安>
◇初スタメン、初安打<1990(H2)年4月26日・ダイエー3回戦/H(川崎)/8番捕手/4打1安>
◇初本塁打、初打点<1990(H2)年5月11日・日本ハム4回戦/H(川崎)/途中捕手/島田直也から/2打2安>
※1996(H8)年〜2002(H14)年 空番
★《7代》2003(H15)年〜2015(H27)年・13年 早坂 圭介(はやさか けいすけ) 内野手(在籍13年)
1984年6月19日(入団時18歳)、右投両打
神奈川・横浜商工高(現横浜創学館高)–ロッテ(03~15)
【早坂 圭介 背番号変遷】68(13)
2002(H14)年のドラフト8巡目で神奈川・横浜商工(現横浜創学館)高校から入団した早坂圭介が、背番号68を引き継いだ。
1年目の03(H15)年は高卒ルーキーながら二軍で盗塁王を争う走力が認められ8月に一軍登録される。しかし、代走、守備固めを中心に14試合に出場し4打席に立つも無安打に終わる。ただ、二軍では22盗塁で盗塁王に輝く。以降、04(H16)年と05(H17)年は一軍登録なく終わるも33盗塁で2度目の盗塁王を獲得。05年のプレーオフでは一軍に合流し、好守でリーグ優勝に貢献した。
06(H18)年は自身初めて開幕一軍に登録される。しかし、4試合に出場しヒットが出ず抹消。二軍で3割を超える打率を記録8月に再登録され初盗塁を決めたもののヒットが出ず終わる。最終的に6試合に出場したが無安打に終わった。
07(H19)年は交流戦中に一軍登録され、スタメン出場した6月19日の巨人3回戦(東京D)バントヒットを決め初安打を記録。しかし、6試合に出場しヒットはこの1本に終わる。ただ、二軍では打率.322をマーク。22盗塁を決めて3度目の盗塁王になる。
08(H20)年は開幕直後に一軍合流するも、このシーズンは一、二軍を往復するシーズンとなる。ところが二軍でも打撃の状態が上がらない。最終的に自己最多となる17試合に出場したものの、打率.083に終わった。
09(H21)年はキャンプで外野守備にも挑戦し、3年ぶり自身2度目の開幕一軍入りを果たす。当初は代走、外野の守備固めが中心だったが、6月に西岡剛が離脱すると遊撃に入る。シーズン中盤からは二塁、8月下旬からは中堅に入り、シーズン最後まで一軍に帯同した。最終的に104試合に出場、守備では外野45、遊撃27試合、二塁11試合とマルチにカバー、打率.224、1本塁打17打点で終えた。
10(H22)年も2年連続開幕一軍入り。しかし、ルーキーの荻野貴司に中堅の座を奪われ4月下旬に抹消される。荻野が離脱すると5月中旬に再登録され代わって中堅に入る。しかし5月30日に塁上で相手野手と交錯して左膝前十字靱帯および内側側副靱帯を損傷の大ケガを負い離脱。このシーズンは復帰ならず16試合の出場に終わる。
翌11(H23)年はリハビリからスタート。7月19日のオリックス戦(京セラD)で一軍復帰を果たす。このシーズンは西岡のメジャー移籍で遊撃に入る。しかし、レギュラー奪取までは至らず、最終的に22試合の出場、打率.224で終える。
12(H24)年は開幕から一軍入り。このシーズンは代走から守備固めという役割でシーズン通して一軍に帯同する。しかし、打席に立つ機会は少なく、68試合に出場したものの13打席で無安打に終わる。
13(H25)年は打撃の状態が上がらず、一、二軍を往復する。最終的に21試合の出場に留まり、打率.136で終える。翌14(H26)年も13試合の出場、打率.167で終える。
自身13年目となった15(H27)年は一軍未出場に終わり、オフには自由契約となり引退した。
◆在籍時通算打撃成績<286試合、打率.000、383打数75安打、3本塁打、26打点、26盗塁>
◇初出場<2003(H15)年7月11日・オリックス17回戦/R(yahoo!BB)/代走DH/打席なし>
◇初打席<2003(H15)年8月10日・西武20回戦/H(千葉マリン)/代打/1打0安>
◇初スタメン<2006(H18)年4月8日・楽天2回戦/H(千葉マリン)/9番二塁/2打0安>
◇初安打<2007(H19)年6月19日・巨人3回戦/R(東京D)/1番二塁/4打1安>
◇初打点<2009(H21)年4月15日2回戦/H(千葉マリン)/代打左翼/適時二塁打>
◇初本塁打<2009(H21)年8月28日・楽天18回戦/H(千葉マリン)/8番中堅/藤原紘通から>
◇イースタン記録、タイトル(盗塁王(03、05、07))
★《8代》2016(H28)年途中〜2019(R1)年・3年6ヶ月 大木 貴将(おおき たかまさ) 内野手(在籍4年)
1991(H3)年11月22日生(入団時24歳)、右投左打
千葉・拓大紅陵高–日大(中退)–四国IL/香川–ロッテ(16〜19)
【大木 貴将 背番号変遷】121(途中) ⇒ 68(途中+3)
2015(H27)年の育成選手ドラフト1位で入団した大木貴将が、1年目の2016(H28)年7月29日に支配下選手登録され、背番号を121から68に変更して引き継いだ。
16年は一軍未登録に終わったが、二軍では内野と外野を守りマルチぶりを発揮した。
17(H29)年は二軍での好調さが買われ、シーズン終盤の9月に登録される。21日の西武25回戦(メットライフD)に初出場、29日のオリックス24回戦(ZOZOマリン)では9番三塁で初スタメン出場し初安打、初盗塁を記録する。2年目は一軍で9試合に出場し打率.154を記録した。
18(H30)年は開幕直後の4月中旬に登録される。しかし、1試合の出場で抹消。以降、再登録はされなかった。
4年目の19(R1)年は登録なく終わる。オフには自由契約となり引退した。
◆在籍時通算打撃成績<10試合、打率.154、13打数2安打、0本塁打、0打点、1盗塁>
◇初出場、初打席<2017(H29)年9月21日・西武25回戦/R(メットライフD)/代走DH/1打0安>
◇初スタメン、初安打<2017(H29)年9月29日・オリックス24回戦/H(ZOZOマリン)/9番三塁/3打1安>
★《9代》2020(R2)年〜2022(R4)年・3年 西巻 賢二(にしまき けんじ) 内野手(在籍3年)
1999年4月22日右投右打
(出身・福島)宮城・仙台育英高–楽天(18~19)–千葉ロッテ(20~22)–DeNA(23〜)
【西巻 賢二 背番号変遷】68(3)
楽天に2年間所属していた西巻賢二が2019(R1)年オフに支配下契約解除となる。育成登録となる方向だったが、ロッテの秋季キャンプでテストを受け合格し、支配下契約を結び入団。背番号68を引き継いだ。
コロナ禍で開幕が6月となった20(R2)年は二軍スタートとなったが、レアードの離脱で8月に一軍登録され移籍後初出場する。その後抹消されるも10月にコロナウィルス陽性者が出て代替選手として再登録。移籍後初スタメン、初安打を記録する。しかし、主軸の復帰とともに抹消され、最終的に11試合に出場し、打率.250に終わる。
21(R3)年は二軍でレギュラーとして出場するも、一軍出場なく終わる。
22(R4)年も二軍でレギュラーとして出場し、8月に一軍登録される。2試合に代走として出場も打席に立つことなく抹消。オフには自由契約となったが、DeNAが育成選手として契約し移籍した。
◆在籍時通算打撃成績<13試合、打率.250、16打数4安打、0本塁打、0打点、0盗塁>
◇ロッテ初出場、初打席<2020(R2)年8月5日・オリックス8回戦/R(京セラD)/代打二塁/1打0安>
◇ロッテ初スタメン、初安打<2020(R2)年10月9日・ソフトバンク16回戦/R(paypayD)/9番遊撃/3打1安>
★《10代》2023(R5)年〜・25年は3年目 金田 優太(かねだ ゆうた) 内野手(25年は在籍3年目)
※背番号年数は、着用年数のみ。年数1年未満の場合は月数で表示しています。
※在籍年数は現役としての年数。シーズン途中移籍や入団も1年として算出。
※監督歴は他球団の監督歴も表記、コーチ歴はオリオンズ&マリーンズのみ表記。
※通算成績は背番号時に関係なく在籍時の通算成績です。
※記録内の◆はタイトル、表彰、主な記録。◇は節目の記録。
※初出場等の記録のHホーム、Rロードの略。
※タイトル、表彰、記録は在籍時に表彰を受けたものを対象としています。
※イースタン表彰のFA(JA)はフレッシュ(ジュニア)オールスタの略
(次回)⇒《有料・冒頭試読》(71)「69」裏からチーム支えた3捕手から現役の系譜へ
---- オリオンズ&マリーンズ 背番号の系譜 INDEX ----
(1)《全文無料》「1」巧打好守の好選手の歴史
(2)《有料・冒頭試読》「2」3人の高卒新人開幕スタメン
(3)《有料・冒頭試読》「3」天才打者が歴史を作り、巧打者が続く系譜
(4)《有料・冒頭試読》「4」職人肌野手と助っ人の系譜
(5)《有料・冒頭試読》「5」歴代最少11人、打撃職人の系譜
(6)《有料・冒頭試読》「6」落合が生んだ打線主軸の系譜
(7)《有料・冒頭試読》「7」助っ人強打者と俊足強打の系譜
(8)《有料・冒頭試読》「8」看板打者の系譜
(9)《全文無料》「9」紡いだ歴史を大きく育てた福浦和也
(10)《全文無料》「0」新しい系譜は快足とリリーフエースの系譜に
(11)《全文無料》「00」最も新しい系譜は助っ人、俊足の系譜
(12)《有料・冒頭試読》「10」投手と野手混在の系譜、3000本安打張本勲も背負う
(13)《有料・冒頭試読》「11」左腕の系譜もマリーンズではリリーフの系譜へ
(14)《有料・冒頭試読》「12」球団初戦先発投手から続く投手 時々 打者の系譜
(15)《有料・冒頭試読》「13」準エースの系譜から主力野手の系譜へ
(16)《有料・冒頭試読》「14」球団創設から続く主力投手の系譜
(17)《有料・冒頭試読》「15」フル回転投手から野手の歴史も荘勝男、美馬学が投手伝統を引き継ぐ
(18)《有料・冒頭試読》「16」トレード移籍投手の系譜】
(19)《有料・冒頭試読》「17」佐々木朗希につながるエースの系譜
(20)《有料・冒頭試読》「18」植村義信で生まれたエースの称号
(21)《有料・冒頭試読》「19」投手系譜の背番号も名捕手から始まった
(22)《有料・冒頭試読》「20」野手の系譜から、杉下、堀本、木樽とタイトル投手の系譜へ
(23)《有料・冒頭試読》「21」投手と野手が混在の系譜は、監督の顔に
(24)《有料・冒頭試読》「22」捕手の系譜から助っ人の新しい歴史へ
(25)《有料・冒頭試読》「23」主軸野手が紡いだ背番号23
(26)《有料・冒頭試読》「24」息の長い野手の系譜から投手の系譜へ
(27)《有料・冒頭試読》「25」正統・打撃職人の系譜
(28)《有料・冒頭試読》「26」TEAM26、マリーンズファンの背番号を振り返る
(29)《有料・冒頭試読》「27」主力打者から主力投手、そして捕手エースナンバーへ
(30)《有料・冒頭試読》「28」助っ人、野手から投手の系譜へ
(31)《有料・冒頭試読》「29」サンデー兆治が育て、サンデー晋吾が継いだエースの称号
(32)《有料・冒頭試読》「30」監督・コーチ・野手の背番号から投手の背番号へ
(33)《有料・冒頭試読》「31」野手の出世番号から投手の背番号へ
(34)《有料・冒頭試読》「32」主力選手から職人野手の背番号、そして捕手の新しい歴史へ
(35)《有料・冒頭試読》「33」2人の殿堂入り胴上げ監督の背番号
(36)《有料・冒頭試読》「34」400勝投手監督から投手の背番号に
(37)《有料・冒頭試読》「35」初代監督から、外野手の出世番号へ
(38)《有料・冒頭試読》「36」36からの飛躍した三井、サブロー
(39)《有料・冒頭試読》「37」投手、野手、助っ人、25代の系譜
(40)《有料・冒頭試読》「38」強心臓投手と大砲候補の系譜
(41)《有料・冒頭試読》「39」投手・野手から捕手の系譜へ
(42)《有料・冒頭試読》「40」多士済々のメンバーが連なる系譜
(43)《有料・冒頭試読》「41」期待の星から主軸へ、チーム支えた成長の系譜
(44)《有料・冒頭試読》「42」多彩な系譜オリオンズ~マリーンズは助っ人の系譜
(45)《有料・冒頭試読》「43」土肥から捕手の系譜~ウォーレン、ミンチー助っ投の系譜
(46)《有料・冒頭試読》「44」顔に育てた山本功児、井上晴哉の背番号44
(47)《有料・冒頭試読》「45」得津、横田、堀、田村と並ぶ、出世番号の系譜
(48)《有料・冒頭試読》「46」成田文男から続く、主軸投手の系譜
(49)《有料・冒頭試読》「47」打者のチームから投手のチームへ変貌させた300勝投手の背番号47
(50)《有料・冒頭試読》「48」リリーフ左腕、代打、好守、チームを下支えした系譜
(51)《有料・冒頭試読》「49」職人選手の出世番号
(52)《有料・冒頭試読》「50」2人の殿堂入り監督が背負った背番号50
(53)《有料・冒頭試読》「51」東京球場で舞った51、航輝が育てる
(54)《有料・冒頭試読》「52」大沢親分から立川、塀内、そしてマウンドで躍動する52へ
(55)《有料・冒頭試読》「53」ベテラン、コーチの53から捕手の印象付けた2人の捕手
(56)《有料・冒頭試読》「54」2人の殿堂入りコーチから、マウンドで躍動する54へ
(57)《有料・冒頭試読》「55」初代殿堂入りコーチから、技巧派外野手の系譜
(58)《有料・冒頭試読》「56」短命続いた系譜も隠れた出世番号
(59)《有料・冒頭試読》「57」57のイメージ残した佐藤幸彦
(60)《有料・冒頭試読》「58」2人の「毅」が刻んだ58の系譜
(61)《有料・冒頭試読》「59」捕手の系譜から野手、そして投手の系譜へ
(62)《有料・冒頭試読》「60」首脳陣、裏方の背番号から出世番号へ
(63)《有料・冒頭試読》「61」角中勝也が躍動させた背番号61
(64)《有料・冒頭試読》「62」息の長い野手が継いだ背番号
(65)《有料・冒頭試読》「63」小野晋吾、種市篤暉M投手の出世番号に
(66)《有料・冒頭試読》「64」短命が続いた背番号も二木康太が出世番号に
(67)《有料・冒頭試読》「65」コーチ番号も榊親一、大塚明と出世野手に
(68)《有料・冒頭試読》「66」ユウゴー、岡田幸文と息の長い背番号に
(69)《1/20まで無料公開》「67」意外な出世番号67
(70)《1/20まで無料公開》「68」山内監督、猪久保、早坂と多彩な系譜
※参考文献、参考WEBは『プロローグ』から
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