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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜57/「55」初代殿堂入りコーチから、技巧派外野手の系譜】

割引あり

(写真 中央・今シーズンから55を引き継いだ19代柳沼友哉、左上から・コーチとして入団し初代55を背負った野口二郎は後に殿堂入り、引退後コーチとなった7代矢頭高雄は放棄試合で止めに入る、初めて10年超の系譜作った8代新谷嘉孝、右上から・16年背負った10代大村巌、技巧派外野手を引き継いだ12代神戸拓光)


※名前横の【殿堂】は野球殿堂入りしている選手、【サイン】はサインが掲出されています(クリックで拡大)

(57)「55」技巧派打者の系譜

 背番号の系譜を辿ると不思議な系譜に遭遇することがある。それは、同じようなポジションの同じ様な選手に引き継がれていることだ。
 背番号55は5年間空番の後、コーチとして就任し後年殿堂入りを果たす野口二郎が初めて背負う。その後、短命の選手、コーチと引き継がれた後、巨人、中日で活躍した与那嶺要もコーチとして入団し3年間背負った。退団後は中日の監督に就任し、日本シリーズでその与那嶺率いる中日と激突することとなる。その与那嶺も殿堂入りした。
 8代として継いだ新谷嘉孝はケガと戦いながら、それまで短命の選手が多かった55だったが11年と息の長い選手となった。10代で継いだ大村巌は55歴代最長となる16年背負う。外野の巧打の選手が息の長い現役生活を送る。その流れを継いだのが12代の神戸拓光だった。
 近年は助っ人が継いでいたが、今シーズン99だった柿沼友哉が引き継いだ。捕手として新しい歴史を作って欲しい。

----- 現在の背番号「55」 -----

 ★《19代》2024(R6)年〜・1年目 柿沼 友哉(かきぬま ともや) 捕手(在籍9年目)

  1993(H5)年5月12日生(入団時22歳)、右投右打
  茨城・誠恵高−日本大国際関係学部−千葉ロッテ(16〜)

 【柿沼 友哉 背番号変遷】122(途中)⇒ 99(途中+7) ⇒ 55(1)
 2015年のドラフト育成2位で入団し、1年目で支配下登録され、24(R6)年に9年目を迎えた柿沼友哉が、背番号を99から55に変更して引き継いだ。
 前年は18試合の出場に留まり、マスクを被った試合も17試合だった。打率も.103と低調だっただけに、2024シーズンは背番号の変更で心機一転巻き返しを図る。

 ◆在籍時打撃成績<195試合、打率.146、268打数39安打、2本塁打、17打点、0盗塁>
 ◇初出場、初打席<2017(H29)年6月17日・巨人2回戦/R(東京D)/途中捕手/1打0安>
 ◇初打点<2017(H29)年6月18日・巨人3回戦/R(東京D)/代打/犠打失策/0打0安>
 ◇初スタメン<2017(H29)年9月29日・オリックス24回戦/H(ZOZOマリン)/8番捕手/2打0打>
 ◇初安打<2019(R1)年6月8日・巨人2回戦/R(東京D)/8番捕手/3打1安>
 ◇初本塁打<2019(R1)年6月22日・ヤクルト2回戦/R(神宮)/8番捕手/4打1安/風張蓮から>

 ※在籍時に選出された表彰
  ◆月間最優秀バッテリー賞/1回(2020年9月・投手沢村拓一)

----- オリオンズ&マリーンズ「55」の系譜 -----

1950(S25)年〜1954(S29)年 空番


 ★《初代》1955(S30)年〜1956(S31)年・2年 【殿堂/サイン】野口 二郎(のぐち じろう) コーチ(在籍7年)

  【野球殿堂入り】競技者表彰(1989年)

左・出典元不明、右・当館所蔵サインボール

  1920(T9)年1月9日生、右投右打
  愛知・旧制中京商業学校−法政大(中退)−東京セネタース(39〜40)−大洋軍(41〜43)−阪急軍(46〜53)
  毎日/大毎コーチ(55〜61) 

 【野口 二郎 背番号変遷】55(2) ⇒ 52(5)
 阪急で現役を務め、前年は阪急でコーチだった野口二郎が、1955(S30)年に投手コーチとして入団し、初代となる背番号55を背負った。
 54(S29)年は監督別当薫初め、コーチは全員ベテラン選手が兼任で務めており、ただ1人の専任コーチとしての入団だった。56(S31j年オフに背番号を55から52に変更した。
 → 野口二郎 背番号 52 へ(有料エリア)


 ★《2代》1961(S36)年・1年 本堂 保弥(安次、安治)(ほんどう やすや) コーチ(現役8年、コーチ/5年、監督/3年)

 ※1950年〜1951年・安次、1952年〜1962年・保弥、1963年〜・安治(読みは全てやすや)

  1918(T7)年3月18日生(移籍時32歳)、右投右打
  大阪・旧制日新商業高−大阪(37〜47)−太陽(48)−大阪(49)−毎日/大毎(50〜57)
  毎日/大毎コーチ(52, 54〜62)、大毎/東京監督(63〜65)

 【本堂 安次 背番号変遷】24(6) ⇒ 30(1) ⇒ 54(1)、コーチ/54(1) ⇒ 60(2) ⇒ 55(1) ⇒ 60(1)、監督/60(1) ⇒50(2)
 → 本堂安次 背番号 24 へ (試読エリア)
 → 本堂安次 背番号 30 へ (有料エリア)
 → 本堂安次 背番号 54 へ (試読エリア)
 現役引退後、コーチとして指導にあたっていた本堂安弥が、1961(S36)年に背番号を55に変更して引き継いだ。
 前年は二軍監督を務めたが、このシーズンは宇野光雄監督が就任。本堂は一軍担当となり、背番号を変更した。翌62(S37)年は再び二軍担当になり、背番号を55から60に変更した。
 → 本堂安次 背番号 50 へ(有料エリア)

 ◆在籍時打撃成績<658試合、打率.255、2112打数538安打、31本塁打、253打点、46盗塁>
 ◇毎日初出場、初打席、初安打、初打点<1950(S25)年3月11日球団創設第1戦・西鉄1回戦/H(西宮)/2番二塁/5打1安/初打点適時打>
 ◇毎日初本塁打<1950(S25)年3月15日・南海1回戦/H(大須)/6番二塁/中谷信夫から/4打1安>
 ◇在籍時オールスター出場/2回(52、53、自身通算2回)

 ※在籍時に選出された表彰
  ◆ベストナイン/1回(1950年/二塁手)
 ※在籍時に達成した記録
  ◇1000試合出場(1952(S27)年7月20日・南海15回戦(大阪)、史上11人目)


 ★《3代》1962(S37)年途中・1年 里見 進(さとみ すすむ) 捕手(在籍10年)

  1943(S18)年8月21日生(入団時18歳)、右投右打
  群馬・富岡高‐大毎(62~70)‐南海(71)‐ロッテ(72)‐日拓(73)

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