《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/50】「48」リリーフ左腕、代打、好守、チームを下支えした系譜
(写真 左から、22代・6年目を迎えたセットアッパー中村稔弥、13代・野手として最長7年背負った高橋忠一、18代・マリーンズで甦った最長8年の高木晃次、20代・イタリア球界から日本球界に復帰したG.G.佐藤)
(50)「48」リリーフ左腕、代打、好守、チームを下支えした系譜
背番号48はチームを下支えした職人選手の系譜だ。オリオンズ時代は長らく背負っている期間が短い選手が続いた。13代の高橋忠一が外野の準レギュラーとして7年背負う。以降も短い期間の選手が続いたが、ベテランの高木晃次が18代として41歳まで8年マウンドに上がる。現在は22代の中村稔弥が6年目。最長を目指して背番号48を育てて欲しい。
----- 現在の背番号「48」 -----
★《22代》2019(R1)年〜2024(R6)年・6年目 中村 稔弥(なかむら としや) 投手(在籍6年目)
1996(H8)7月8日生(入団時22歳)、左投左打
長崎・清峰高−亜細亜大−千葉ロッテ(19〜)
【中村 稔弥 背番号変遷】48(6)
2018(H30)年のドラフト5位で亜細亜大学から入団した中村稔弥が、背番号48を引き継いだ。
ルーキーイヤーは一軍キャンプに合流したものの、オープン戦で脱落し二軍スタートとなる。二軍で好投して6月に初の一軍登録。17日の中日3回戦(ZOZOマリン)に初登板を初先発で登板するも、6回途中まで5失点で黒星を喫する。その後二軍落ち。フレッシュオールスターで優秀選手賞を獲得するなど二軍で好投し、8月に再登録。5日の楽天18回戦(楽天生命)で初ホールド、24日のソフトバンク20回戦(ZOZOマリン)で初勝利を挙げるなど、ロングリリーフで一軍に定着する。ルーキーイヤーは10試合(1先発)に登板し1勝1敗3ホールド、防御率4.32で終えた。
20(R2)年は新型コロナウイルスの影響で6月19日の開幕となったが、自身初の開幕一軍入り。しかし、安定感を欠き1ヶ月で抹消。その後、二軍で先発として調整し、7月末に復帰。先発として初勝利を挙げるなど、ローテーションを守るり、9月11日のオリックス戦では8回途中まで無安打無得点の好投も見せる。最終的に16試合(11先発)に登板し2勝5敗、防御率4.78とまずまずの数字を残した。
21(R3)年は開幕一軍は外れたものの、4月に先発要員として一軍合流。しかし、2試合に先発して黒星を喫して抹消。以降、登録と抹消を繰り返す。後半はリリーフに回ったが、シーズン通して一軍に定着出来なかった。最終的に14試合(3先発)に登板し2敗、防御率3.08だった。
22(R4)年は開幕直後に一軍登録。安定したピッチングを見せていたが、7試合目に1回8失点と大崩れして抹消。以降、このシーズンも登録と抹消を繰り返す。このシーズンは10試合の登板に留まり1ホールド、防御率8.03に終わった。
23(R5)年は開幕は二軍で迎えたものの、4月に入り一軍登録。好投も登録と抹消を繰り返す。再登録された7月15日には、登板後に打線が勝ち越し、3年ぶりに白星を挙げる。その後も抹消と登録がありながらも安定感を見せ、最終的に17試合に登板し3勝1敗、防御率2.31を記録。ソフトバンクとのCS第1Sでもリリーフで登板し、2回無失点の好投で自身初の勝利投手となった。
(23年シーズン終了時)
◆投手成績<67試合、6勝9敗0S4H、防4.20、15先発、0完封、117奪三振>
◇初登板、初先発<2019(R1)年6月17日・中日3回戦/H(ZOZOマリン)/先発/5.0回5失●>
◇初ホールド<2019(R1)年8月5日・楽天18回戦/R(楽天生命)/2番手/3回0失>
◇初勝利<2019(R1)年8月24日・ソフトバンク20回戦/H(ZOZOマリン)/2番手/3.1回3失>
◇イースタンタイトル、記録<FA(19優秀選手賞)>
----- オリオンズ&マリーンズ「48」の系譜 -----
※1950(S25)~1951(S26)年 空番
★《初代》1952(H27)年・1年 亀谷 豊孝(かめや とよたか) 外野手(在籍1年)
生年月日不明(入団時18歳)、右投右打
京都・桂高−毎日(52)
【亀谷 豊孝 背番号変遷】48(1)
1952(H27)年に京都・桂高校から入団した亀谷豊孝が、2年間空番だった背番号48を初めて背負った。
若手軍強化の一環としての補強だったが、一軍に出場することなく、1年限りで退団した。
<一軍未出場>
★《2代》1953(S28)年・1年 橋本 力(はしもと ちから) 外野手(在籍7年)
1933年(S8)10月20日生(入団時19歳)、右投右打
北海道・函館西高‐毎日/大毎(53~59)
【橋本 力 背番号変遷】48(1) ⇒ 1(3) ⇒ 21(3)
→ 橋本力 背番号 1 へ(無料エリア)
→ 橋本力 背番号 21 へ(有料エリア)
1953(S28)年に北海道・函館西高校から入団した橋本力が、背番号48を引き継いだ。
入団1年目から一軍に抜擢される。開幕直後の4月18日の西鉄4回戦(後楽園)に初出場。29日の近鉄18回戦(藤井寺)では初安打も記録する。しかし、力の差は大きくヒットはこの1安打のみで二軍落ちする。1年目は12試合の出場に終わった。オフには背番号を48から1に変更した。
◆打撃成績<299試合、541打数121安打.224、12本塁打、125打点、45盗塁>
◇初出場<1953(S28)年4月18日・西鉄4回戦/H(後楽園)/途中左翼>
◇初安打<1953(S28)年4月29日第2・近鉄2回戦/R(藤井寺)/代打/1打1安>
◇初本塁打、初打点<1954(S29)年10月16日第1・近鉄18回戦/R(甲府緑が丘)/1番中堅/関根潤三から>
★《3代》1954(S29)年〜1955(S30)年・2年/《4代》1957(S32)年〜1961(S36)年・5年 中川 隆(なかがわ たかし) 投手(在籍8年)
1935(S10)年7月3日生(入団時18歳)、右投右打
滋賀・彦根東高–毎日(54〜61)
【中川 隆 背番号変遷】48(2) ⇒ 21(1) ⇒ 48(5) ⇒ 14(1)
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