【火曜日】人生において失敗はなく、そこにあるのはニュートラルな経験だけだとしたら
前回のつづき
リカちゃん人形の髪をミシンでぬいつける映像を見たことがあれば、あの日のアートメイクは体感的に同じだと思って間違いないと思う。
開始0.2秒でギブアップしたくなったけれど、途中でやめるわけにもいかない。その上0.1ミリだってズレだら落書きのような顔になってしまうのだから、叫び出しそうな痛みの中動く事もできない。
針地獄がこの世にリアルに存在するとしたら、それはあの日のタイのマッサージ店のアートメイクだと思う。
施術後、痛みと刺激と黒い色素で大きく腫れ上がった瞼をアイスノンで冷やしながら、段々と自分の状況を理解した。これはアートメイクなんて可愛いもんじゃない。タトゥーだ。刺青だ。
それからというもの、私は顔面にタトゥーを入れてしまった。マイケルと同じ施術をしてしまったかもしれない女という密かな十字架を背負い、いかなる時もすっぴんとタトゥーの話題を封印した。
身軽になりたくてアートメイクを入れたはずなのに、これまで以上にすっぴんは見せられないし、絶対に触れてほしくない秘密を抱えてしまうなんて、本当に失敗だった。
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10年後。
アイラインの囲みメイクもすっかり廃れた。
それに伴ってか10年前は不可能だったアートメイク除去が医療機関でできるようになった。
この10年、日々のメイク時間は少し短縮できたものの、人と目を合わせる事が益々できなくなり、赤面症は悪化し、アイライナーに囚われる日々が続いた。
世間との間に嘘の皮が一枚挟まっているようでいつも苦しかった。
消そう。
インターネットで見つけた都内の美容皮膚科に行った。
ブラックジャックの先生の部屋みたいな薄暗く怖かった。そこは麻酔なしのレーザー治療だったから、目のフチにありえないレベルの激痛が走って驚愕した。
猪木のビンタ20発分に相当すると思う。3回通うのが限界だった。
次に行ったところはレーザー治療の前に麻酔を打つという美容皮膚科だった。猪木20発の痛み、避けられるものなら全力で避けたい。
そこの女性医師の説明によれば、細い麻酔針を使って瞼付近に満遍なく打ってから通常のレーザー治療をするという。麻酔なしで目のキワにレーザー打つのは痛すぎるよねと共感してくれたのは嬉しかった。
ところが麻酔針を刺した瞬間、震えるほどの痛みに襲われて頭が混乱した。ミシンで縫いこむ系の痛みや、猪木引っ叩き系の痛みとはまた違って、ゆっくりと神経の真ん中に針を差し入んでいくような、まるで爪の間に針を刺す拷問のような痛みだと思った。痛みと恐怖のあまり、麻酔が効くまでの間、っつー、っつーと、小さな信号のような声を発して涙を垂らし続けながらどうにか耐えた。
これほどまでに執拗に、瞼のキワだけを多種多様にいたぶり続ける人、地球上にそんなにいないと思うわ。人生一寸先はまるでわからない。
こうして1年半ほど都内の病院に通い、サングラスをかけては帰宅し、ようやく私は以前の目力の無いすっぴんに戻った。2000円で入れたアイラインは20万円ほどかけて元に戻す事ができた。
改めて、ぼんやりとしたすっぴんだったんだなとしみじみ懐かしく思った。それでもすっぴんでいられる事が嬉しく、まつ毛とまつ毛の間の肌色の皮膚が愛おしかった。
当時の私は優柔不断と決別したいという思いからなぜかメイクを楽にする斜め下の方向性で取り返しのつかない失敗をしてしまった。
結果として10年間もの間、悩み、鏡を見るたびに落ち込んだ。いつまで経っても諦めのつかない失敗からいっときは頭がおかしくなりそうになった。けれども結果として今は当時切望していたメイクに煩わされない人生を手に入れる事ができた。
何が幸いするかは本当に分からないものだなと本当思う。