HSS型HSP気質の私について
最近「HSS型HSP」という言葉を知りました。
自分はその特性を持っているのではないかと思い心が楽になりました。
これまで自分を否定しつづけて
自分が不出来な人間だと落ち込みました。
「継続は力なり」それが難しく、続けられる人がまともで、続けられない自分は我慢のできない人間なんだと落ち込みました。
空気を読んで読んで読みすぎて疲れ
先を読みすぎて「考えすぎ」と笑われ
自由に興味溢れることに突進したいのに
考えすぎて躊躇する。
矛盾の中でモヤモヤモヤモヤ。
「自分が悪いからなんだ」と自己肯定感が低すぎて辛かった。
でも「そういう特性を持った人間」という風に理解することで楽になれた。
生きづらいことに変わりはないけど、自分を肯定できるヒントを貰えて嬉しい。
そしてこの特性を持ってる人も多くいる。
勝手に仲間が沢山いるように感じて嬉しくなった。
自己紹介
改めまして
関西在住、海外旅行好きのおばちゃんです。
HSS型HSP気質の私が歩んできた道をご紹介します。
-20代のわたし
高校卒業後、大学進学することなくフリーターに。
21歳。人生初の海外旅行で英語への憧れを持つ(英語話せる=カッコいい!)
帰国後すぐに英会話教室に入会。自分の憧れにむけて猛進。
22歳。持病悪化のため入院、療養生活。
英会話も通えなくなり、普通の事ができない自分は普通じゃないと落ち込む。その後25歳まで療養生活をしつつ徐々に回復。
26歳。オフィスデビュー
コールセンター(架電)で働き始めたものの、お客さま対応とノルマで疲労し、1年で営業事務へ異動。
異動先での人間関係に恵まれ目標にむけて貯金開始
29歳。念願のワーホリへ
異国の地に行ってはじめの1週間は、毎日泣いて過ごす。「1ヶ月ももたない、無理だ!」と泣きまくる。2ヶ月過ぎた頃には一転「海外ライフはパラダイスだ〜」と感じる。帰国したくなかったが、お米を買うことができなくなり帰国する。
-30代のわたし
30歳。海外から帰国後、世の中はリーマンショック。仕事探しに苦戦するもなんとか仕事をみつけて働き始める。2年が経過した頃、業務に飽き始めるが、運良く異動となり救われる。
33歳。たまたま受けた占いで、「勉強する事」を勧められて、通信制大学に入学。以後4年間「卒業」だけを目指して邁進。
37歳。大学卒業と同時に勤務先を退職。
東南アジアの国にて日本語教師のインターンに参加するも、教師が向いてないと痛感し、涙を流して帰国。
その後、事務職で複数の職場を転々。
-40代のわたし
40歳。ブラック職場を経験し落ち込む。その後派遣社員として勤務を開始するも1年くらいで飽きる。職場を変えようと思い始めた頃、コロナが流行。なんやかんやで満了まで勤める。
42歳。新たな職場で働く。1年経過したころ持病が悪化する。20年ぶりの悪化にショックを受ける。それでもお金を稼ぐために退職せず頑張る!(←これけっこう無理していた)
なんとかお金のために頑張るものの、業務は慣れてしまい、仕事はつまらなくなる。特段大きな理由がないけれど、同じ仕事は続けられないと思う。派遣の3年でも同じ仕事を続けるのは拷問。万が一無期雇用で同じ職場で何年も働くなんてのは無理としか思えない。なんで続けることがこんなに辛いのか悩んで落ち込む。
45歳。自分がHSS型HSP気質だと気づく。
おばちゃん45歳にして、気持ちストンとしたわ。
おばちゃんやけど、人生はまだ長い(だろう)から
自分を肯定できて始められるのは大きい事やと思います。
と言う事で、簡単に私の歩んだ道の紹介でした!
次回からは渡航した旅先などについてご紹介できればいいなと思います。
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