商品貨幣論9 ―フランス革命後に重農主義から生まれた2つの潮流―
経済学が
世を治め民を済(救)うという学問であるならば、
どういう方法・形であれ「貧困者に富が供給される体制」を目指すのが、
その学問的な目的です。
重農主義も間違いなく、そこから思想は出発しています。
これまで何度も語ってきた、当時のフランス・アンシャンレジームの社会、そしてフランソワ・ケネーという人物の生い立ちからも分かります。
では「どこから歪んだのか?」。
皆さんはそこが気になるはずです。
「富」を「貧困層」にも供給するための経世済民の重農主義思想は、
小麦という「本当の富」の貧困層への供給を理由に
貨幣という「本当の富の代替物」である「仮初の富」の富裕層への偏在を許容し
貧困者へ「小麦」を供給するため、富裕層の管理供給する「小麦」の偏在を市場を活性化して富を均一化してゆくという名目で、市場を自由化(レッセフェール化)し
実際には市場を活性化することで貨幣の富裕層への偏在をさらに促進してしまい、小麦の供給能力を更に増やし
貧困者には小麦を購入する貨幣を与えずに供給能力のみを提供させられ、更に貧困にするという結果を生みました。
以上から分かる通り
「貨幣」を「仮初の富」とし、
小麦という「実用物」を「本物の価値」と
「分離して考える」
ことで生まれる
「貨幣的貧富の格差を容認する姿勢」と
「物質的貧富の差を均一化しようとする市場活動を促進する姿勢」
がケネーの理想、重農主義の理念を歪めているわけなのです。
因みに、以前にも言いましたが、
この貨幣の仮初の富を「名目値」、
小麦などの実用物を本物の価値と見做す「実質値」の
2つに分離して経済を観測する手法を「古典派の二分法」と言います。
さて、ここから、歪みの是正方法の探求が始まるわけですが・・・。
フランスでは啓蒙思想からレッセフェールが進み、その結果、貧富の格差がルサンチマンを生み出しブルボン王朝が滅亡。フランス革命が起きました。
王家の滅亡は、重商主義で私が「良い政策」と言っていた「産業保護振興政策」と「保護貿易」も否定します。
結果、フランスからは大量の富が流出しました。
貧困層は、せっかく王家を滅ぼしたのにレッセフェールを進める重農主義政策のため、ますます貧しくなる、という恐るべき事態に陥ります。
農家は刈り取った小麦を二束三文で貿易の原資として革命政府に取り上げられ、革命政府の指導層の富裕層たちはその経済的失政を覆い隠すために、
ギロチンに次ぐギロチンで多くの市民、国民、貧困層を処刑しました。
さて、その富の流出と一緒に経済学の知識も流れ出たのでしょうか?
ドイツにおいて2つの経済的思想が発生します。
一つは
ドイツ歴史学派経済学
もう一つは専門家でなくてもみんなが名前だけでも知っている
マルクス経済学
です。
18世紀の啓蒙思想の果て、
神の似姿の人類が、
その精神も神に近づくために磨きに磨きをかけた理性的精神の最たる発露としての残虐無道な
フランス革命!
「破壊の歓喜!」
「王の権威への復讐の成就!」
「生命の軽佻と荒廃の美!」という
ヨーロッパ的社会秩序の崩壊
のカタルシスを背景に、ドイツにて経済学は更に発展してゆきます。
そしてここに、資本家が貧困者を虐げることで成立する、産業革命をもたらしたイギリスの古典派経済学も加わってくることになります。