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「貨幣の信用」と「貨幣の価値」7 ―一方的な押し付けは信用できない―
前章では「租税貨幣論」では「貨幣の価値」が確立するまでの「①~④までの時系列」が「貨幣の信用」であると述べました。
これは次のように言い換えることができると思います。
『A.政府が発行した貨幣』と『B.国民の納税の義務』との交換で『貨幣の信用』が発生する。
しかし私は、これでは「貨幣の信用を確立するためには、少し足りない」と考えております。
何が問題なのでしょう?
私にはこれが『一方的な押し付け』によって成立しているように見えるからです。
「貨幣の価値の交換から生まれる『貨幣の信用』は脆弱である」というのは、これまで説明してきたとおりです。
ある日突然、「A.日本円と B.ビットコインとの交換を停止する!」と言えばビットコインの「貨幣の信用」はほぼ消失します。
脆弱さの原因は「より強い方(日本政府)が一方的に交換を停止することができるから」です。
AとBの交換・取引関係が相互対等な関係ではないのです。
これは「『A.政府が発行した貨幣』と『B.国民の納税の義務』との交換で『貨幣の信用』が発生する」、と述べている「租税貨幣論」でも同じことが言えるのではないでしょうか?
私の懸念はそこです。
勿論、政府が「『A.政府が発行した貨幣』と『B.国民の納税の義務』との交換を停止する!」とは現実には言わないでしょう。
そういう意味では「(疑似的な)金本位制の貨幣」よりは「必ず税として奪われるという信用」は堅固かもしれません。
完全に信用がない、というわけではないでしょう。
しかし、皆さんも普段実感している通り、「税」というのは、「時の権力者・為政者・徴税人の『匙加減一つ』で変わるもの」なのです。
ある時は10%の税率のものだったものが、ある日突然20%になったり、場合によっては0%になったりする。
果たしてそんなに変容するものに信用はあるでしょうか?
そして私たちは、それを我々に強制する「権力者・為政者・徴税人」、現代で言う民主制の代議士と呼ばれる人たちをそこまで信じているのでしょうか?
また、「租税貨幣論」から発生する「貨幣の信用」に私が疑問がある理由はこれだけではありません。