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「貨幣の信用」と「貨幣の価値」1 ―まず信用―
巷では「日本円の価値」が下がると「日本円の信用が下がった」と表現します。信用ではなく「信認」と表現する場合もありますが、私は「信用」と言います。
これは実は間違いです。
何故ならその状況は実は
「日本円の価値が下がった」
ということを
「信用している」
からです。
日本円・貨幣への信用が成立していないと、その価値が下がったことを認めることはできないのです。
「価値が下がったことを=信用が下がった」、と表現しているのは「信用」と「価値」を同じ意味として捉えることによって成立しているもので、現実には完全に間違えた表現です。
なぜこんな混同・間違いが起こったのか?というと、
「信用」は「物質的に存在している」場合、人間の頭脳での認識では「そこにその物質があるのだから存在に疑いはない=考慮する必要はない」と考えるからです。
つまり「当然すぎて・当たり前すぎて考慮する範囲外になる」からです。
同時に貨幣にとって重要な変化の発生する「価値」という機能だけが目立ってしまい「価値」こそが「貨幣の要件」である、となってしまうわけです。
しかし現実には「貨幣の信用」は「貨幣の価値」より絶対的に必要なものなのです。
人は「貨幣の信用」を無意識に優先的に信じており、だからこそ「貨幣の価値」も結果的に信じているのです。