商品貨幣論13 ―マルクスが見逃した人間の悪癖―
1.「王侯貴族」が「民」に施行しても、富は行き渡りませんでした。
これをなんとかしよう、と革命後、
2.「革命政府」は「民」に施行しましたが、富は行き渡りませんでした。
それどころか「資本家」を誕生させてしまいました。
そして、
3.「資本家」が「民」に施行しても、富は行き渡りませんでした。
寧ろ、資本家は巨額の資本を抱え、かつての王侯貴族を上回るほどの資本を手にし、貧困者を虐げました。
そしてマルクス主義による共産主義政府が成立した後、
4.「共産主義政府」が「民」に施行しても、富は行き渡らなかったのです。
現実は、自分たちは贅沢な暮らしをし、自国民をより一層に貧困にし、多くの「無辜の民」を無実の罪で殺害しました。
4.を言うと一定数の人たちは共通して次の反論をしてきます。
「彼ら偽物の指導者は、マルクスの精神を理解せず、その精神を歪めたから失敗したのだ。」
というものです。
しかし、これは、逆説的に言えばマルクス経済学というものは経済学的知識よりも「その学問の精神を歪めない人間的理性こそが重要である」ということになります。
これでは経済学というよりは「倫理・道徳・哲学」の分野です。
そして、現実にはマルクス経済学に精通し、知識が優れていようと、そんな「マルクスの精神を歪めた人間が指導者になる余地がある」わけです。
さて、ではマルキシストたちが批判する、マルクスの思想を歪めた指導者たちというのは特別な人間なのでしょうか?
ソビエト連邦で強力な独裁体制を築いたヨシフ・スターリンは父親は靴職人の農奴出身です。
中国の毛沢東は農家です。それなりに裕福だった、とも言われていますが、子供のころから肉体労働をさせられていたのも分かっているため「生活に困らないレベルの自作農家」だったと分かります。
カンボジアのポル・ポトは裕福な農家、と言われていますが、村人が総出で収穫などを手伝うことのある「農村」の出身です。
ルーマニアのチャウシェスクも農家出身で、10歳の時に出稼ぎで工場で働いていることから、こちらはかなりの貧困層だということも分かります。
彼らは貧困層か、その時代に多少裕福な環境だった、というだけで一般的な我々と同じ人間である、ということです。
さて、みなさんに問いたいのですが。
彼らは特別な人間でしょうか?
政治的活躍後は特別な性質を持った人間だったかもしれませんが、少なくとも彼らの生い立ちは私たちと同じ普通の人間です。
では、
私たちは無条件に常に善良な人間でしょうか?
もちろん「いいえ」ですよね?
場合によっては犯罪によって裁かれるような犯罪を犯してしまう。
それが人間です。
それは上記にあげた独裁者たちも同じです。
彼らは常に善良であったわけではありません。
では、
貧困層の人間は無条件に常に善良な人間でしょうか?
貧困層の人間であれば、自分の衣食住を優先せず、他者に施しを与えることに熱心で、しかもそれを不必要なところに行わずに、本当に必要なところに与え誤ることがない。
そんな
「聖人」
のような人間でしょうか?
そんなことはありません。
独裁者も、私たちも、貧困層も「3大欲求」を前提とした「人間」という「動物」なのです。
しかも記憶力の良い人間は、過去、貧困で苦しい思いをした分、自分に甘くなり、他者に富が運ばれるのを憎悪せずにはいられないでしょう。
そんな時、権力を手にしたらどのようなことが起こるのか?
マルクスの欠点は「貧困者の無謬性(過ちを起こさないこと)を無条件に信用してしまっていた」ということだ
と私は考えます。
資本家を打倒すれば、それまで虐げられてきた善良で美しい心を持った貧困者が、理性的な判断をもって政治を行うようになり、「貧困者に富が行き渡らないという事態にはならないに違いない」
そんな保証はどこにもありません。
ですが、全ての共産主義は大前提として
「過ちを犯さない指導者=独裁者」
を設定しているのです。
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