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正しさは立ち位置で変わる

ニュースやSNS、
色んな問題と呼ばれる事を見ていて
最近よく思うこと。

戦争や政治、
陰謀的な話に至るまで必ず対立構造がある。


全ての事柄で
対立という形をとり、意見の食い違い
争いが起こっている。

右翼や左翼、
どこの国が正義なのか悪なのか。

世の中を騒がした芸能人は
正しいのか悪いのか?

個人が信じている「正しさ」は
本当で真実なのか?

ましてや正しさなんて存在するのか?

ある国は独裁国家がよくないと他国を攻めるが
その独裁国家と言われている国は
自国の経済を守るために
防衛してるだけかもしれない。

もしかしたら
メディアに自国にとって
都合の良い情報だけを流し、
他国が敵と見えるように
情報を流して民主を騙しているのかも知れない。



陰謀論で政治、食、医療、戦争を
支配者が牛耳っていて
人口削減を行っている
悪だと言われている事もある。


しかし
支配者と呼ばれる人たちが居たとして、
このままでは人口が増え過ぎて地球がもたない事を
知っているのかもしれない。

その上で
「人口を減らします」
と表立って発表すると混乱や暴動が生まれる為、
食や医療、
はたまた戦争までも
支配、コントロールして

ゆっくりと争いを最小限に
人類存続の為
人口を調節している正義なのかもしれない。


恐らくほとんどの人は
調和のとれた戦争や争いのない世界を
望んでいると思う。


だけど
正しさや正義を主張して
誰かを批判している限りは調和は不可能だと感じる。

仏教のことばで 諸行無常 とある。

簡単に言えば

万物はいつも流転(るてん)し、
変化・消滅がたえないこと。


数百年前までは
人を殺め、
手柄を立てる事が評価される時代だってあった。


「正しさ」が時代や人の価値観によって
移り変わり
不確かであり
もしくはないのだとすれば
大切なのは認め合う事なのではないかと思う。


どんなに聞こえのいいこと、
どんなに聞き難いことであったとしても

批判やジャッジ、
正しさを求めた話し合いでは
調和は生まれないと思う。


違う価値観を理解しようと努め、
相手を尊重したいという
ベースを持って接することで
より良い改善案や
進化した発展が望めるのではないのか?


問題とされる事を改善する時、
1番初めに「認める」という行為がなければ
問題に気付けず、改善する事はできない。

音痴の人が
自分が音がズレている事に気づけないと
音痴を改善できないだろう。

どんな依存症も
治療の為にまずやる事は
自分が依存症である事を認めることも同じ。

事柄に対して
批判やジャッジしていては
いつまでもなくならないのだと思う。

どんな理由にせよ
必ずその人なりの価値観や思想があるのだから。

そこでも大切なのは
なぜそうなるのか
対象の環境や価値観を理解する事で
改善していく道が見えてくるのだろう。

事はもっと複雑で
甘い考えなのかもしれないが。


ガンジーやマザーテレサが
戦争反対運動はしないが、平和活動はする
と言ったことも根本は近いのかなと感じる。


もしも、もしも
人類に仕掛けられた罠があるとするなら
1番の罠は

白黒や
正義や悪と言った対立構造を生み出す
思考なんだと思う今日この頃。




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