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信じない、信じるはどちらも盲信に繋がる

必ず人には各々が信じることがある。

反対も同じく、信じない信じれない事があると思う。


色んな思想や考え、
学校で教えられた事や親子から教わった事に至るまで色々あると思う。

ただ、信じる力が強まるほどに
他の意見は見えなくなりがちで、
ましてや反対意見などは信じれなくなってくる。

科学を信じてる人は目に見えないものを信じなくなりがちだし、
宗教は他の宗教の神や信仰など尊重しづらくなるだろう。


逆も同じで

何かを信じないというのは
今まで培って来た知識や信念、
教えや価値観をベースに物事を判断して
「信じない」と判断している。


無垢で純粋、
何の教育や観念も植え付けられていない幼児に
「信じない」という判断はできない。


人はいつも何か信じるものはないか?
否定するものはないか?と無意識で判断している。

どちらにせよ
信じる信じないの行く先には盲信しかないと思う。

信じ過ぎれば周りが見えなくなり、
他の可能性も見えなくなってしまう。

信じれないと色んな事をジャッジしてると
盲信の字の如く、盲目になり、
やはり他を見ることはできない。


僕なりの答えは


「どんな事も可能性を疑わない」


何でも受け入れるのは盲信と変わらない。
ただ、どんな情報があったとしても

「そういう事もありえるかもしれない」

という
どちらにも偏らないニュートラルな捉え方をすると、
どちらにもぶれず、
視界が1番広がりクリアなのではないかと思う。

考えてみると

人間はまだ深海のことも全然わかっていないし、
病気だって大昔の人たちよりも増えて、
人間が作り出した社会の仕組みすらうまく回ってない。


そんな不完全な人類の思想や教えをベースに
信じ込みすぎる、
信じない事をしている方が不自然に感じる。


より良い発展や進化、成長を目指す上でも
可能性を疑わないからこそ発展があるのだと思う。



僕自身、
凄くし難いことではあるけど
培って来た知識や信念をいつでも
ちゃぶ台返しする覚悟は持っている。

僕にとっては
自分の培ってきた事が覆されるよりも
真理を追求できない方が
ずっとずっと嫌なことだから。



息子がよく
「この動画で言ってたよ!」
「先生が言ってた!バーバが言ってた!」
と言ってくることに対して、

今書いた事を話すめんどくさい親でもある僕。


いつかは本質的に伝わってくれたら良いなと思いながら書いてみた。


いつも哲学的な事を考えながら物作りしている
沖縄の職人からでした🌱
https://www.instagram.com/origin.regression/profilecard/?igsh=a2d4azZwOTZyN3pq


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