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担当さんと私が作った幻の傑作 暗黒編

前回までのあらすじ:担当さんが命を絶った。

それ以外に書くことなどない。願うことなどない。何も。
あなたが私と関わったことを、恨んでいなければと思う以外は。

🔙前回の記事はこちら🔙

※このお話は内容のほとんどをノンフィクションで綴ったものです。
関係者の方々への詮索、特定、その他ご迷惑となる行為はおやめ下さい。
また、ここに書き綴ったものの本質は、私とご縁のあったとある男性の名誉と沽券を守るためのものであることを明記しておきます。
記載事項以外で、内容に関する詳細な質問等にはお答えしかねます。
万が一、ご用件がある場合には、私ひよこ師範への連絡をお願い致します。
Twitter:@piyopiyo_sihan

👇この記事のお品書き👇


何から話したもんかなぁ…

担当さんが亡くなってから1週間ほど経過したある日、私は自室で悩んでいた。

デザイン会社と連絡を取り合い、私には新しい担当の方がつくことになった。

それ自体はいい。というか、ありがたいことだ。新しく担当になる人も、元から受け持っていた仕事もあっただろうに、こんなに早く対応してもらえるとは。

何より前任が亡くなった案件であれば、何かと気を使うものである。
そんな「曰くつき案件」を積極的に引き受けたがる人間などいないだろう。

今日はこの企画を引き継いでくれた新しい担当さんと、オンライン上で初めて顔合わせをする日だ。

とはいえ、残っている作業といえば印刷会社への発注、そして取り扱い書店さんとの軽い打ち合わせくらいなので、この企画の山は過ぎた状態と言えなくもないが。

本来であれば、印刷の発注などの雑務は作家の仕事ではない場合が多い。
(個人で出版作業をする場合を除く)
出版社と契約している場合は、出版社(編集さん)が間に入ることも多い。

だが、今回の本は共同とはいえ商業出版に復帰する1作目の本(※)になる。
※ここでは同人以外で一般に流通する書籍の意味

あれこれ口出しするつもりはないなれど、自分の作家人生の節目を飾るものならば、細部までしっかり見届けておきたい気持ちがあった。

ちなみに、先ほど「雑務」と言ったが、この雑務が空前絶後に重要である。
これをやらねば、本は世に出ることもなければ、宣伝されることもない。
編集者様、出版社様、広告代理店様などなどなど、関係各所には頭が上がらないのが作家という生き物なのである。その節はお世話になりました。

さて、以前はそれらを出版社にほとんど任せて(丸投げして)いた節があった私ではあるが、このご時世では何がどう転ぶか分かったものではない。
よって、私は「今後の勉強のため」と称して、担当さんの打ち合わせに可能な限り同席させてもらっていた。
というか、こちらの方が理由としては本命に近い。

置物(オンラインの場合はミュート)になってる私を横に据えて、段取り良く打ち合わせを進めていく担当さんは本当に優秀な人だったと今でも思う。

だが、その担当さんは、今はもういない。
これまで一緒に作り上げてくれたあの人の荷物は、今は私に預けられた。

「見やすさ」や「伝わりやすさ」を重視した、それはそれは素敵なページデザインをいくつも考えてくれた担当さんのためにも、この本は何としてでも完成させねばなるまい。

出版に関する作業は、新しい担当の人に協力してもらいながら、しっかりと進めていかなければ。

今日はそのための第一歩。新しい担当の人との顔合わせの日だ。

先方の都合でオンラインになったとはいえ、日取りを早めに設定してくれたのはありがたい限りである。
出版に関する作業はほとんど終わっているが、短い期間とはいえ一緒に仕事をさせて頂くことに変わりはない。
なるべく良好な関係を築いておきたいものである。

この時の私は、「最初の一言は何を言うべきだろうか」などと呑気に考えていた。

呑気に考えられるくらいには、気持ちの整理をつけ始めていた。
つけようとしなければいけないような、そんな気がしていた。

そして、指定の時間ぴったりに、コール音が鳴った。

お疲れ様です。ご足労頂いて…じゃなくて、ご連絡ありがとうございます

居住まいを正してから通話開始のボタンを押したものの、口から出た内容はまるで締まらないものだった。

「あ、どうも~。聞こえてますかね?新しい担当の××と言います~」
「はい、バッチリ聞こえてます。よろしくお願いします」

気さくな人なのだろうか。伸ばし気味な語尾が今どきの若者を連想させた。
アイスブレイクがてら、雑談に興じること数分。

担当さんほどではないが、私よりも年上だということが判明した新しい担当(以下:新担)の人。

私も話好きなのでこうして世間話をするのは嫌いではないが、せっかく時間を頂いたのにいつまでも明後日の方向に花を咲かせるのも良くないだろう。
そう思っていたら、相手の方から本題に切り込んできた。

「いや~、それにしても、今回はあれですよね。なんていうか、災難でしたね。あの人も何も残さないでいっちゃったから、資料とかそういうのも何も手元に来てないんですよね~。仕事できる雰囲気出しといて、こういうのはなぁ~。いや、ほんとに困っちゃうよな~」

ズシリ、と心の奥に何かが落ちた感覚があった。

切り込み過ぎた、という意識は当人にはないのだろう。
新担は何かを気にする様子もなく、私の地雷を的確に踏みぬいた。

(あ、まずいな。この人は、…ダメなタイプだ)

心に刺さっていたトゲを、上から無遠慮に押された気分だった。
確かに彼自身は迷惑を被った部分があるのかもしれないが、それを聞いた相手が何を思うか、考えはしないのだろうか。
遠慮の欠片もなく、付き合いのあった私の前で担当さんを悪く言ったのを見ると、本質的にその辺りのことをはなから考えていない様子だった。

しかし、ここで当たりの強い態度を取るのは得策ではない。
語尾が伸び気味な話し癖も、私が苦手というだけであって、感性の違いを押し付けて露骨に対応を返るのは、身体と態度だけがデカくなった大きな子どものやることだ。

「まあ、確かに色々と大変な部分はあるかと思います。ただ、私が把握している限りでは、実務的な作業の大部分は終わっているはずですので、残り数か月ですがどうかよろしくお願いします」

本来であれば願い下げと言いたかったが、ここは頭を下げておくべきだろう。
ここまで来て、あれこれ我が儘を言うほど私も子どもではない。
もう少しの辛抱だから、と内心で自分へ言い聞かせる私に、新担は相変わらず伸ばし気味の語尾で薄く笑いながら言った。

「あ、そうそう。それでなんですけどね。引き継ぎとかそういうのもなかったし、ちょっとねぇ~、なにせ急に部署内の人間が自殺したってんで、社内がバタバタしてるのもありますしね~」

彼は、一旦ここで言葉を切って…。

「そんな感じなので、今回のお話は一旦、白紙に戻す感じにしときませんか?

何でもないことであるかのように、とんでもないことを言い始めた。

本当に口を開けてぽかん、と呆けてしまった。

白紙に、戻す?確かにそう言われたのか?
言われたことの意味が分からなかった。

「え、あの、なん、………はぁ???」

今年になってから1番間抜けな声を出した自信がある。
もちろん、頭が急速に冷えていったのは言うまでもない。

…お前は、何を言っているんだ?

そんな馬鹿な話があってたまるもんですか。

思わず口走っていた。いや、半ば叫んだと言っても過言ではない。
残っていた理性で、どうにか半笑いを混ぜ込むことに成功した。

出版の日を先延ばしにしたい、というのなら、200歩譲ってまだ分かる。
今回はほとんどGOサインを出すだけなので、それで納得できるかと言われるとまた別の話になってくるが。

しかし、前任の急逝という不測の事態が発生したために、会社側としては引き継ぎや現状の確認に充てる時間がほしいので、それらを捻出するための交渉したいというのなら、少なくとも筋は通っている。
納得するか否かは別の話ではあるが。

だが、この新担は、いや、「コイツ」は今なんと言った???

「今回のお話は一旦、白紙に戻しときません?」

白紙に戻す?………一体全体、何を馬鹿げたことを言ってるんだ?

しかも、コイツはこっちに「提案」の形を取ってやがる。
つまり、「了承」がほしいわけだ。
それによってお前たちの都合を、こちらに押し付けようとしていやがるな?

動かない表情とは裏腹に、思考の高速化は止まらない。

「えっと、今、企画を白紙に戻すと仰いましたか?」

念のための確認…、そう、確認は非常に重要だ。
私の聞き間違いという説も否定はできな…

「そうですそうです!実際、この企画の状態って宙ぶらりんなんですよ。それだとうちの会社も、そちらも落ち着かない感じになるじゃないですか。ケジメっていうとちょっとヤ〇ザっぽくなっちゃいますけど、中途半端なままにしておくのは良くないんでね」

話が早いとばかりに、まくし立ててくる新担。
本当にコイツは、一体何を言っている?
…待てよ、もしかして企画の進行状況を知らないのか?
企画が執筆作業に移行する前の段階だと思っているのだろうか?

「ちょっと待って下さい。この企画は最低でも半年以上前に、そちらの企画会議を既に通っています。正式に予算まで組まれているし、他の会社さんとの打ち合わせもほとんどが終わっている状態なんですよ。ですから、私やあなたの一存で取りやめたり、白紙に戻すなんて段階はとっくに過ぎてるんですよ」

それであれば、引き継ぎがされていないと言っていたのも…

「ああ、それならこちらでも把握してますよ。ですけどね~。やっぱり今の状態って良くないと思うんですよ。まだ印刷の発注ってかけてないですよね?それなら、まだ間に合いますって。その辺の面倒な手続きとかはこっちがやりますんで」

何をどういうつもりで言っているのか分からないが、こいつは本の出版をどうしても中止にさせたいらしい。
だが、既に人の手が入っており、仮に私が中止にしたいと言ったとしても、ストップをかけるのは難しい段階まで来ている。
それを承知の上で企画のちゃぶ台を返したいと言う辺り、全く訳が分からない。

それにしても、まるで私の本に過激な内容が書いているような口ぶりである。
なぁにが、「まだ間に合う」だ。
発禁になるような内容にした覚えはない。

内心で高まる憤怒をどうにか抑えて、私は努めて冷静に口を開いた。

一旦、現状の説明と確認をさせて下さい。

これを言えたことは、私の中で人間的に大きな成長だったと思う。
認識のすり合わせをすることで、言い分の食い違いを無くすことは、人と会話する上でとても大事なことだ。

読者諸兄姉には、これがいかに異常事態だったのかを知ってほしいので、1つずつ分かりやすく説明していこう。というか、説明させてほしい。

改めて、現状はこうだ。

・原稿(約360ページ)は既に完納済み
・出版の日も決まっている→電子書籍に至ってはサイトに掲載するだけ
・印刷会社も決まっている→あとは印刷依頼をかけるだけ
・取り扱い書店も決まっている→あとは置いてもらう店舗の最終確認だけ

色々と細かい部分は端折っているが、ざっくりと並べればこんな感じだ。

・原稿(約360ページ)は既に完納済み

ここでいう「完納」とは、校正や修正などが必要ない状態のことだ。

校正とは、作家が提出した原稿に誤字脱字、かな間違い(送りがなのミス)、句読点の打ち間違い、表現の方針などを修正すること。
もしくは原稿と書籍上での違いを確認(要はプレビュー)をして、必要があれば変更する作業のことである。
こういった場合は、主に文章の手直しのことを指す。

それらを元にページのデザインなどを検討して、本として仕上げていく。
イラストや表、図などを配置する作業などがこれに当たる。
書き上げた原稿とデザインを合体させる作業といえば分かりやすいだろうか。

ここでの修正とは、主にイラストやページデザインに関することを指す。
また、文字の位置や大きさなどを調整して、全体的に見やすく、読みやすくするための作業も含まれる。

これが全て終わっている状態。
つまり、これらが終わっているということは、私の仕事は全て終わっていると言っても、全く過言ではないだろう。
打ち合わせや確認作業にも可能な限り同席したい、と担当さんに話していたので、今後もやらねばならないことは残っている。

だが、「私の作家としての仕事」は、完納の時点でやり切ったと言える。

・出版の日も決まっている→電子書籍に至ってはサイトに掲載するだけ

ありがたいことに、これはかなり早い時期に決まっていた。
担当さんがそれはそれは熱意ある魅力的な売り込みをかけてくれたおかげで、書店の担当者がえらく気に入ってくれたのだ。

こちらは最後に取り扱い店舗を確認して、売り出す際の私の意向を伝えるだけだ。
※優しいor熱意ある担当者の人によっては、店舗に置く際のポップ内容の希望などを聞いてくれる場合がある。必ずではないので、そこは注意。

・印刷会社も決まっている→あとは印刷依頼をかけるだけ

読んで字のごとくである。
既に製本してもらう印刷会社さんには依頼を出して、了承を得ている。
簡単に言えば、「印刷しても大丈夫です!お願いします!」と言うだけだ。

そうすれば、最低でも1週間あれば、取り扱ってもらう予定の店舗に届くだろう。
あとは店舗に並べて売ってもらうだけである。

・取り扱い書店も決まっている→あとは置いてもらう店舗の最終確認だけ

これも読んで字のごとくだ。
製本してもらった本が店舗に届けば、あとは発売日に店頭に並べてもらうだけである。

ちなみに、本当なら書籍の流通と販売を担ってくれる書店さん(店舗ではなく会社的な意味)を探すのが大変なのだが、その辺りは交渉+契約も含めて全て終わっている。
私の古い伝手と、担当さんのプレゼン手腕のおかげだ。
大変にありがたいことである。

さて、盤面の把握はした。勝負はここからである。

これまでの経緯は、今ご説明した通りです。

さて、前段では長々と説明してきたが、新担には大部分を省略して説明した。

「これらの過程が終わっていることを認識しても尚、企画を白紙に戻すことを推奨するということですか?」

「そうっすね~。こちらとしては、前任の管理していた企画が中途半端になっているのを放置しとく訳にはいかないんでね~」

この理屈がそもそも理解不能なのだが、とりあえず横に置いておこう。
であれば、デザイン会社内での企画達成ノルマのカウント方式や、管理の名義が変わっていないことなどに問題があるということか。

「それは企画を担当している人間の名義が変わると、会社内において不都合が発生するということですか?それなら、言い方は悪いかもしれませんが、前任の方は事情はどうあれ途中で投げ出した形になっているのですから、それを引き継いでいるあなたの手柄になるのでは?」

本心でそんなことは欠片も思っていなかったが、確認のためには切り込むべきだと判断した。

「そんな手柄だなんて人聞き悪いですよ~。第一、出世とか考えてないですし、ノルマとか手柄とか気にしてないですって」

新担は調子を崩すことなく、笑いながら答えた。
とりあえず、この回答によってハッキリしたことがある。
これは新担個人の都合ではないだろう。
十中八九、デザイン会社側の都合と見るのが自然だ。

どうやってここから切り崩していったものか…。

「どちらにせよ、冗談にしてもタチが悪すぎます。今、真面目に話をされていますか?」

こちらの声色が変わったことを察したのか、ようやく向こうも身構えたようだ。

「いや~、まあ、普通に真面目に話をしてますかね」

ほう、冗談や酔狂の類ではないと。なるほど、いい度胸だ。
よろしい、ならば戦争…を始める前に、ハッキリさせておかねばならないことがある。

「これはあなた個人の判断ですか?それとも、会社の総意をあなたが伝えに来ているんですか?」

戦争をするにしても、攻撃目標を定めねばならないだろう。

「いや、まあ、その~、僕個人の判断っていうわけじゃないですけど~。でも一応新しい担当になってるんで、その辺の裁量とかそういうのは僕にあるみたいな感じですかね?」

全く答えになっていない。
それが罷り通るのであれば、契約書など意味を成さないことになってしまう。
第一、担当の気分1つ、会社の風向き1つで揺らぐほど、安い文章を書いたつもりはない。

「どちらか、はっきりお答えください。あなたの都合で企画を白紙にしたいのか。それとも、会社内部からの圧力で企画を白紙にしたいのか

「圧力って、そんな陰謀みたいな。小説とかドラマの見過ぎですよ」

下らん御託はいい!!真面目に答えろ!!!

比喩的に表現するなら、全身の血が沸騰し、心臓から脳天までを瞬時に駆け上った。

我慢の限界だった。

今日がオンラインの顔合わせで本当に良かった。マジで良かった。

もし、直接顔を合わせていたのなら、私はコイツの顔面を殴り飛ばしていたに違いない。もちろん、グーである。その後は膝蹴り派生or上段蹴り派生の選択だ。好きな方を選ばせてやる。

「いい加減にして下さい。そちらの出方次第では、今後の仕事が増える可能性があるので、さっさと答えて下さい」

叫んでからすぐに冷静になったものの、反省は一旦後回しだ。
声のトーンをさらに1段、いや2段は落として、新担を詰めにかかる。

「いや、まずは急に叫んだことを謝るのが先でしょ。ったく、子どもじゃないんだから。めっちゃ耳痛いじゃないですか」

事ここに及んで、コイツはまだ分かっていないらしい。想像力がまるで足りていない。

「いいえ、それは承服しかねます。何故なら、あなたは私の収入源になるであろうものを一方的に私から奪う、とそう言ったんです。少なくとも、あなたの提案を了承した場合、この出版企画のために注いできた時間と労力が約1年分。それに対する対価はゼロになるんです。子供じゃないんだから、ではないです。大人だから、命懸けで、こっちは言葉を紡いでいるんです。それを分かった上でまだそれを言いますか?」

「………………………」

「仮にたった今、あなたに会社からの解雇通知が届いたとします。そして、先月と今月振り込まれるはずだった給料を支払うことが出来ないと言われたとき、あなたは納得できますか?もしそれを本気で納得できると仰るのであれば、先程怒鳴ったことについて謝罪しますが」

私も大概自己肯定感は低い人間ではあるが、積極的に死にたい訳ではない。
ましてや、自分で納得して金銭を受け取らないのと、誰かの都合で利益が簒奪(さんだつ)されるのでは本質がまるで違う。

事の本質をようやく理解したのか、それともたじろいだのか。
どこか図々しさを滲ませた声で新担は言った。

「…分かりましたよ。じゃあ、謝らなくていいです。んで、会社都合なのかどうか、でしたっけ?まあ、その通りだと思いますけど」

「…思います?もう一度だけ言います。次はないです。はっきり答えてください」

「いや、だから、多分会社都合ってことになると思いm「お前個人の裁量なのか、上司に言われて来てるのか、聞いてんだよ!!ハッキリ答えろ。多分なんて曖昧なこと言ってんじゃねえぞ。こっちは命懸けなんだよ!!もう忘れたのか?」

これが恫喝だと言われたら、恐らくそうなのかもしれない。
だが、もう気にしている余裕はなかった。
この時の私は、最早自分の収入のことなど考えていなかった。

自分のことなど、これからどうとでもなる。

上手くいくかは分からないが、変えられる可能性はきっとあるはずだ。

だが、現状ではどうにもならないものが、今の私には託されている。

そんな気がしてならなかった。


そう思いたかった。

私がやらねば、誰がやれる。

ここは絶対に引けない。引く訳にはいかない。
過去は変わらない。それは絶対不変。この世の道理というやつだ。

デザイン会社の中に、あとどれくらい新担のような人間がいるのかは分からない。
しかし、少なくともコイツは担当さんのことを口さがなく言って回るだろう。
さっき私に言っていたように。

自分が抱えていた案件を途中で投げ出して、自ら命を絶った人間。

担当さんは、それについて反論できない。
死人に口無し、とはよく言ったものだ。

一面的な事実だけを見ればそうなのかもしれない。
だが、あれだけ熱量があって、仕事も早くて、丁寧で誠実で、あんなに優しかった人が悪く言われるなど。

絶対に許されない。そんなことが許されていいはずがない。

この企画を通して、一番近くにいたのは私だ。
彼の仕事ぶりを一番見ていたのも私だ。

誰が何と言おうと、担当さんは誠実に仕事と向き合っていた。
その事実が捻じ曲げられるなど、あってはならないことだ。

ならば、そのためにやることは1つ。
担当さんが遺してくれたものを、絶対に世に出さなければ。

それに思い至った時、私の頭で唐突に思考が弾けた。

何故、今まで忘れていたんだろう。

そうだ。そうだった。
元より、「結果で語る以外に道はない」のだった。

確か、前にも同じようなことを思ったことがあった。

この分かりきっている前提を、よく分からん理屈でひっくり返そうとしてくるやり方には覚えがある。

作業に忙殺されて記憶に埋もれていたが、今ならはっきりと思い出せる。

新しい担当が別の部署から選ばれるとは考えにくい。
もしかしたら、この新担を意図して送り込んできた可能性もあり得る。

目の前でパチリと何かが弾けた気がした。こめかみの血管か、それとも瞋恚(しんい)の火種か。
いずれにしろ、やるべきことは手短に済ませなければならないだろう。
何が目的なのかは分からないが、ここで時間を掛けるのは下策だ。

「申し訳ないのですが、あなたでは話にならないので、上司の方の連絡先を教えて下さい。あ、分かっているとは思いますが、以前にお話しさせて頂いた部長さんのものです

担当さんと私が作った幻の傑作 歪曲編へ続く🛫

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ひよこ師範
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