大人になれない22歳
「ねえ、ママ。20歳は大人?」
「大人だよ。」
「ふーん。じゃあ、16歳は?18歳は?」
「うーん。そのあたりは大人と子どもの間かな~?」
なんて会話を無邪気だった頃、母親としたことを覚えている。
こんな質問をしていた当時のわたしからすると20歳は当たり前に大人で友達のお姉ちゃん、お兄ちゃんが18歳なんて聞くとそれもまた”凄い!大人だ!”と感じていた。
しかし、自分がいざ18歳、20歳…とあまりにも呆気なく年齢を重ねていくといよいよ”大人”という概念がわからなくなってくる。
選挙権を持ったら大人?免許を持ったら大人?成人したら大人?学生じゃなくなったら大人?就職したら大人?それなら、わたしはまだ大人じゃない…?
成人して2年経った22歳、つまり、日本という国の中で定められた子どもと大人の明確な境界線を明らかに超えてから2年という十分な月日が経過したにも関わらず、こんなバカげた考えが頭を過ってしまう。
大人の自覚がないまま大人になってしまった大人。改めて文字にするとすごく情けない。
ただ、ひとつ明らかなのはわたしは大人になりたくないということだ。
20歳という線引きが見え始めたころのあるきっかけからわたしは”大人”という概念がネガティブであり、できる限り遠くへ追いやってしまいたい存在であると認識するようになった。
そのきっかけについて少し綴ってみようと思う。
18歳の冬、わたしにしては珍しく人生を大きく変えようと決意したことがあった。
そうだ!2020年、オーストラリアにワーキングホリデーに行こう!
本当に思いつきだった。大学にも一人暮らしにも慣れ、ある種のマンネリ化した生活のなか漠然と抱えていた(このまま、大学生活を終わらせていいのか…)なんて焦りから誕生した発想だったと思う。
思いつきで出てきたオーストラリア移住計画だが、思いつきにしては資金を貯めても(親からの援助は受けたくなかったため、アルバイトで100万円を貯める計画を立て、満を持して2020年3月貯まった)就活に影響を与えにくい大学3年に休学してオーストラリアに行くことが不可能ではなかったり、なかなか都合が良かった。
このような計画が進むなかで、周囲に「2020年にオーストラリアに行くんだ」ということを伝えることは避けて通れない。
しかし、如何せん思いつきのこの計画、海外に行きたい大それた理由などなかったのである。
英語が話せるようになったらいいなというわずかな期待がなかったわけではないが、それなら圧倒的に語学留学という選択肢をとるべきだと思うし、海外でしか学べないこの勉強をするために行きたい!なんて分野ももちろんない。
本当に、海外で暮らしてみたいなと心から思っていただけでそれが学生という自由な身分の間なら気軽にできるじゃん~という程度だったのだ。
だから周りには頑張ってねというより「休暇楽しんで!」ぐらいの態度でわたしの決意を受け取ってほしかったのが本心だ。
でも、現実は違う。決意を伝えると「えー!凄いね!」、「いいね!」の枕詞のあとに
「何しに行くの?」「何のために?」
と口を揃えて”行動の理由”を聞かれた。海外経験の先になにを求めているのかを探られていると感じた。これがわたしにはいちいち苦しかった。
海外で生活してみたくて(笑)なんて答えはだれにも求められていないように思った。
”大人”の対義語としての”子ども”がピアノを始めたときに何のために?なんて聞く人はいるのだろうか。いないと思う。百歩譲って聞いたとして、かえってくる返答が「楽しそうだから!」でも満足だろう。
そう。わたしはこの時期に(やっとかよという感じかもしれないが)周りから”大人”になることを求められていると痛感したのだ。
確かにわたしは安易だと思うし、大学生だから将来のなりたいビジョンを考えて行動するべきなのかもしれない。しかし、理由がない行動をすることは果たして悪なのか?楽しそうが人生を寄り道する理由であることは白い目でみられるべきことなのか?…
…大人になれないと思った。
どこまでも「楽しそう!」でなにかを始められる存在でありたいし、「嫌だ!」でなにかを辞められる存在でありたいのだ。
未来を考えて現在の行動を制限することが果たして明日のわたしにはできるのだろうか。卒業して学生という立場が終わればなにかが変わるのだろうか。”大人”ではないという言い訳が日に日に苦しくなっていく今とこの先が怖いのだ。
こんな風なことを考えながら日々生きている、22歳女子大生のわたし。どう考えても生きづらそうだし、2記事目から暗い…(笑)
正直、考えすぎる性格だと思うし、真正根暗人間で間違いないです。でもそんな自分も嫌いではなく、こういう性格だからこそ人のいいところとかはたまた人間らしいところとかにだれよりも敏感に触れられているんじゃないかなと思っています。
余談として、2020年計画(前述)の顛末ですが、無事新型コロナウイルスの影響で頓挫しました(TT)
長々と書いて結局計画倒れかよという感じですが、自分なりに一生懸命生きていたなあ(笑)と今思い返しても思います。大切な経験でした。
新型コロナウイルスが収まったら計画再開?なんてことも考えましたが、2020年を生きる中であまりにも不透明な先行きに不安が走り、多くの同じ学年の友人が就職活動を始めたのと同時期に就職活動にシフトしました。
このような結末に悔しさもありますが、神様が「オーストラリアに行くよりも、こっちの道の方がいいよ!」って言ってるんだと思って何とか受け入れています。
果たしてこの選択がどんな結末になるのか…ドキドキですね。
読んでくださった皆様、ありがとうございました。