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1000日後に独学で服が作れるようになる 1日目 超基礎を知る

「継続は力なり!」
小学5年の時の大好きだった担任に漢字練習ノートに書かれた言葉。

新卒で当時24歳だった男の先生だけど、いい意味でちゃらんぽらんな、先生っぽさのない「面白い大人」だった。
少なからず私はその先生に影響を受けた。

教育学部出身なのに絵がめちゃくちゃ上手くて、お笑いのセンスもあって、理科の授業は全然授業せず、ひたすら面白い話をしてくれた。
学習発表会では先生自作の台本でクラスの皆でお笑いのような演劇したっけ。多彩で話も面白い先生だった記憶がある。
そのおかげで六年生で2年分の理科を皆で必死に勉強することになった。
それはそれで中学生のお姉さんに、少し大人になった気分のスピード感で楽しく授業を受けていた。

先生にいじられて「こけしちゃん」なんて言われても全然嫌じゃなかった。

あんな先生は、前にも後にもいない。

高校受験も、高校での吹奏楽の練習でもしんどいとき、「継続は力なり」と呪文のようにこの言葉がよく頭に浮かんだ。

それなのに私は、本当にしたいことに対して怖じけづいて、勇気がなくて全然取り組めなかった。

高校の時からずっと心にあったこと。
それは「服作り」。

カルチャーとファッションの最先端の文化都市、東京にある文化服装学院に一番進学したかったけれど、金銭的にも難しいのと、親だけでなく自分にとっても服飾で食べていけるのか不明で自信がなく文化服装学院は諦めた。
服飾の短大に進もうか悩んだのに、結局安全だと思った大学に進んで、やりたいことに向かわなかった後悔。

社会人になり、仕事も程々にしていた時に出会った学生だった彼と結婚まで話は出ていた。しかしいざ同棲を始めてみると彼が自分の両親の味方をする人だと分かり、やはり恋愛と結婚は違うのだと思った。

別れたことでもう一度自分のしたいことに向き合おうと思った。
彼が別れようと切り出した理由の一つとして、君は僕といるより、君のしたいことを優先した方が幸せになれるということもあった。
だから、別れる時に私は彼と約束した。
自分の人生に責任を持って。やりたいことをやれる人生にするねと。
正直今も大好きだから、その約束を叶えることで彼との時間を意義あるものであったと証明したい部分もある。

大学は人間生活学科に進学したが、大学に入っても授業にあまり興味が持てず、初めは燃え尽きたようになっていた。
家政学系統だから、衣食住、福祉、人間関係を幅広く学べる分野だった。

大学生の私は親と本音が話せない、親が干渉してくる、まだ子供扱いしてくる点など親との関係性で悩んでいた時期でもあった。
実家から出て一人暮らしもしたかったけれどそれも許しが出ない、ある意味温室育ちで世間知らずな自分がとても嫌いで、それを両親に投影していた部分も少なからずあったと思う。

だから心理学や人間関係学といった分野に関心を持ったし、生きることの基盤の部分についての幅広い学びは視野を広げてくれ、自分の人生を豊かにしてくれたと思う。

被服実習もあったから迷わず取った。
パジャマとスカート、それにベストを作った。
本当に簡単なことしかやっていない。それでもその時は楽しかった。

それが確か大学生2年生の時で、専門学校とのダブルスクールも頭を過ったが、まだ授業が忙しかったのと、就活、4年生になって始まる卒論のこともあったので、ダブルスクールは断念した。
だいたい県内でダブルスクールが出来るような専門学校はなかった。夜間もないし、土日とかそういう風に学べるところもなかった。
だからダブルスクールするには大阪まで電車で往復4時間かけて行かなければならなかった。
とても現実的ではなかったから、とりあえずファッション業界に就職することを目標にし、ファッションビジネス能力検定と色彩検定を、検定代を無駄にしたくないから二級から受けて一発で取ることに注力してみたりした。

大学生活は決して無駄ではなく、とても貴重でこの先中々出来ないことばかり出来たと思う。

もう27歳。デザイナーとして会社員になって仕事にするには遅い。
デザイナーとして企業に入って働けるのは若い頃から積み上げた才能と運で決まる。そんな不確定要素の多い分野に今から身を投じるのは怖い。本当に。

それからファストファッションを初めとする大量生産の服に対して疑問をもっているから、量産品を作るための服作りはしたくない。

企業に入るとどうしても、既存のシステムの中で服作りを行い、ファストファッションでなくても大量生産によって環境に負荷をかけることに繋がる。
だからといってメゾンブランドなんて縁が無さすぎて不可能だ。

実際にその分野に入ってもいないし手も動かしていないのに。そしてもしかしたら量産化することから何か学べることもあるかもしれないのに。
なんて自分はわがままなんだろう。

けれどやっぱり服を1から作る夢は諦めることが出来ない。

だから1000日後には思った服を作れるようになるんだ。
休みの日くらいしか本格的に取り組むことは出来ないだろうけど。
将来的に量産ではなく受注生産のような形で作った服が、着たいと思ってくれる人の元へ届けたい。
自分が美しい、素敵だとときめきを感じられるお洋服に共感してもらい、その輪を広げたい。
本当にただそれだけ。

その為に服飾の学校も行くかとても悩んだけど、地方の社会人になって一人暮らししていた時には殆ど貯金なんて出来なかったから、学校に行くには金銭的にも年齢的にも厳しい。

社会人一年目の時に、すでに私は服作りを仕事にしたいと思っていたのに、奨学金を借りて大学に進学していたから、両親に専門学校に新たに通い直したいなんて言い出せなかった。
自分でなんとかしなきゃと思っていた。
それを母親に話すと、「社会人一年目で仕事辞めて実家に帰って働きながらお金貯めてそれから学校に行くようにすれば良かったんじゃない?」と言われ、何ていうか、そういう道もあったかもだけど、全てそれで良かったとは思えないんだよなと思う。
3年ちょっと働いたから見えたEC業界のこと、ファッション業界のこと、そして遠距離恋愛だけどお付き合いできた彼のこと。
どれ一つとっても私の大切な経験だから。

やっぱりコツコツ継続して取組む事でしか目標は達成できないように思う。

本当に洋裁が楽しくて、自分で作って売る事が生き甲斐になるところまで行ったら、その時に専門的に学べる場所に行ったらいいとも思う。いまから学校に行けるだけの貯金をして行ったとしても30歳くらいか。もう遅いかもしれない。怖い。

今のファッション業界は技術的な面だけでなく、アート的な感性が強く求められていると思う。

通信講座は勘違いしたまま進めてしまいそうだし、聞きたいところがすぐに聞けない。やっぱりリアルに限る。

だから、社会人の平日の休日でも通える神戸文化服装学院のカルチャーコースに通い、それでもどうしてももっと専門的に勉強したくなったらその時に、文化に行こうか。人生で30歳なんてまだ若い方じゃない。
それまでに一生懸命やりたいことリストを消化していき、洋裁やデザインの基礎的なことをあらかじめ文化で使われているカリキュラムを調べて、教科書を買って勉強しておこう。

ところで私の祖母は昔洋裁学校を出た後に、友人と洋服の仕立て屋をしていたそうで、普段着からパーティードレス、ウエディングドレスまで作っていた。今も自分で作った服を身に着けている。

そうだ、身近なところに先生がいる!
決めた。しばらくは祖母と本を頼りながら服作りやってみよう。

今日の学び、それから覚えること。
以下。

・家にあるのはかなり古い家庭用ミシン。ゆえに慣れてきたら新品のコンピューターミシンを買う。
・新品のロックミシンもいつか買う。
・薄い布には細い糸と針、厚い布には太い糸と針。
・色数が多く、丈夫なポリエステル糸がおすすめ。
・番号が大きいほど薄地向け。
・薄地90番と9号、普通地60番と11号、厚地30番と14または16号の組み合わせ。
・裁ちばさみの扱い方
・目打ちは印付け、布送りの補助、布の角を整える時に使える。

〇文化服装学院のカリキュラムをダウンロードし、その内容や必要な教科書を確認済。

教科書を1ページしか読み進められない日があっても、自分の中で「進んでいる」という感覚を常に絶やさないように。



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