他力本願な男
先日、大学で講義を受け終わった後、時間が余っていたので、どんな本があるのかと大学の図書館をふらふらと徘徊することにした。昔から、本屋や図書館の本を眺めながら徘徊するのが好きな人種だったので、あんまり僕のことを変な目で見ないでほしい。そこのカップル。
そうしていると、星野源さんのエッセイ「働く男」がふと目に入った。読みたい。直感的に手に取って読み始めていた。
このnoteでは、本の一部分を引用している。しかし、本の一部分を切り取ると、前後の文脈を無視してしまうことになるので、著者の考えが上手く伝わらず、どうしても誤解が生じてしまう部分があると思う。エッセイ本ならなおさらだ。なので、機会があったらぜひ一度「働く男」を手に取って読んでみてほしい。
この本を読んでいく中で、自分の心にスッと入ってきた部分があった。
今でもたまに、「音楽で世界を変えたい」という人がいる。僕は「音楽で世界は変えられない」と思っている。無理だ。音楽にそんな力はない。
でも、音楽でたった一人の人間は変えられるかもしれないと思う。たった一人の人間の心を支えられるかもしれないと思う。音楽は真ん中に立つ主役ではなく、人間に、人生に添えるものであると思う。
本の中のこの一節がずっと心に留まっている。
ここ最近、自分が何をやりたいのか、何になりたいのか、すっかり分からなくなってしまった。コロナ禍ということもあるのだろうか。でもこれは大学生あるあるで、きっとありふれた悩みなのだろう。
やりたいことが分からないなら、せめて自分の興味のあることをしよう。そう思ったが、サークルにも所属していない、大学での交友関係も狭い、自分の手元に残された選択肢は、残念ながらアイドルオタクのみであり、そこにひたすら縋ることしかできなかった。アイドルを追っかけているときは楽しかった。でもどこか虚しかった。なぜだろう。
僕は、日常の物足りなさを、アイドルという音楽を主役にすることで埋めようとしていたのかもしれない。でもそれは、虚しさを感じている自分の心がさらに虚しくなるだけだった。
根本から考え方が間違っていた。音楽は真ん中に立つ主役にはならない。そっと背中を押してくれるものだ。それなのに自分の人生の主役にしようとしていたのだから、それは悪循環に陥るはずだ。
音楽を主役にしようとすると、楽ではない日々を頑張って生きて、数ヶ月に1回行けるかどうかのライブのありがたさ、そこからもらえるエネルギーというものを忘れてしまうのだと思う。もらったエネルギーをどこに使えばいいのか分からないのだから。
先ほど引用した文章には、次の段落が続く。
人前で歌を歌うようになって、自分の歌で泣いているおじさんを見たときに思った。どうかこの歌があなたの人生の役に立ちますように。僕の歌は応援しかできない。苦しい日々を変えたり、前に進めることができるのは、あなた自身、たった一人にしかできないことなのだ。
自分は今まで音楽の力に縋ることで、向き合うべき自分の人生から逃げていたのかもしれない。お得意の他力本願だ。しかし、この段落で幾分か勇気をもらえた。自分の人生を生きたい。でもまだちょっと不安だから、音楽に背中を押してもらうことで、前に進もう。きっと自分と未来は変えられるはず。
その帰り道、鬱陶しいような暑さから一気に冷たくなった秋の空気に凍えていたが、イヤフォンから流れてくる寄り添ってくれるような源さんの歌声で、電気毛布を纏ったような暖かい気持ちになった。自分に語りかけてくれているようで、遠い場所にいても繋がっているような気がした。
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