職場は家族じゃないですよ
幼稚園、保育園、そして企業型で働いてきた保育士として、一言言いたいことがあります。
そう切り出してみると、なんだかとても高圧的で不穏な空気が感じられるかもしれません。
ただ、ワタシは数年間保育士として働いて、同じ職場の人たちに同じ気持ちを抱いたことが何度もありました。
けれども、その気持ちをずっと押し込んで我慢することを選んでいました。
理不尽に怒られた時は、我慢しました。
朝から不機嫌に当たられた時も、我慢をしました。
意見を押し付けて、「はい」としか言えない状況になった時には、受け入れることを選びました。
心のどこかで(どうしてワタシは、我慢することを選んでしまうんだろう。そしてどうして、彼女たちは感情をむき出しにして目の前にいる人たちを傷つけているんだろう)と疑問を持つこともありました。
けれども言えなかったのです。
「その行動は、間違っていますよ」なんて・・・。
そして、同じように感情を露わにして気持ちを伝えることもしませんでした。
当時のワタシは嫌われるのが怖くて、孤立することを恐れていたのです。
ただ少しずつ自分の頭で考えるようになり、そしてふと立ち止まって相手の行動を見てみると、どうしても納得がいかないことが多くありました。
もしもあの時、勇気を出して気持ちを言えていたら、何か変わっていたでしょうか。
もしもあの時、他人の気持ちよりも自分の気持ちを一番に考えられていたら、何か変わったでしょうか。
それは、ワタシにも分からないんです。
ただたった一つ言えることは、職場はあくまで仕事をする場であって、理不尽に八つ当たりをしたり、感情のままに言葉を発していい場所ではありません。
そう、私たちは家族ではなく、職場の同僚にすぎないのだから。
けれども、どこかで考え方を間違えたのか、上司だから、先輩だからと役職や地位を盾にして好き勝手に言葉を発する人たちがたくさんいました。
相手がどんな気持ちになって、傷ついているかも知らずに。
「親しき仲にも礼儀あり」そう昔の人たちは、適度な距離感と最低限の敬意を払うためにあらゆる想いを込めて、この言葉を作ったことでしょう。
家族だからといって、なんでもしていいわけではありません。
ならば職場は、もっと考えて言葉を発していかなければならない。
けれども、長く勤めていけばいくほど、自分の価値観が作り上げられていくほど、簡単なはずのことが出来なくなってしまう人たちがいるのです。
まだ若かったワタシは、その言葉全てを受け止めて、自分のせいにしていました。
怒られるのは、ワタシが悪いから。
不機嫌にさせてしまった原因も、きっとワタシにあるんだろう。
そうやって自分を責めることで、この理不尽な出来事と折り合いをつけていたのかもしれません。
気づけば彼女たちがかつて理不尽な行動をとっていた年齢と同じ年になりました。
けれども、彼女たちのように思ったことは一度もありません。
その代わり、自分がされて嫌だっことは相手には絶対にしないようにしようと反面教師として意識するようになりました。
誰一人として、自分の身勝手な行動で周りを巻き込んではいけないと思うんです。
自分にも心があるように、相手にだって心があって感情があります。
だからこそ、最低限の距離感を持ち、関わらなければいけないと思うんです。
それでもきっと、彼女たちの考え方は変わらないと思います。
長年培われたものが他人の言葉で変わるはずがないんです。だからこうして今も変わらず、同じことを繰り返し、自尊心を守るために必死になっているのだから。
身勝手な人たちを変えることはできないけれど、それはあなたのせいではない。辛い環境下にいたら、きっと自分のせいにした方が楽だと思ってしまうこともあるかもしれません。
けれども、どうか自分で自分の心まで傷つけるようなことはしないでほしいんです。
あなたの心の清らかさと、正しさは、きっと見ている人にはちゃんと伝わっているはずだから。
理不尽に言葉をかける人ばかりではなく、あなた自身を見てくれる人が必ずいることを、どうか忘れないでほしいのです。
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